いつか支援から交流になるまで・・・
2012年07月10日 (火) | 編集 |
一昨日7月8日は、光が丘体育館でSayOss!Vol.12in東京合同練習会が行われました。
これは、現在土佐樹誉彦先生が中心となって、東北の復興支援のために各地でチャリティを行っているものです。

きっかけは、2004年に起きた新潟中越地震の時でした。私が空手で何か被災地に元気を与えることはできないかと思っていたところ、土佐先生が快く協力を申し入れていただきました。

残念ながら当初の支援計画は実現することができませんでしたが、今度は若い指導者や選手が中心になり、東北支援のために尽力をしてくれています。


昨年の3・11大震災の直後に土佐先生から電話を頂いた時から言っていたことです。2011年は震災の年で日本中、いや世界中で復興支援の声が高まり盛り上がりますが、年が明けるとそれまでの熱はいっぺんに冷めてきます。
そして、2013年になれば復興を口にする人が果たして何人いるか?
でも、いまだに復興はなされておらず、今日の食事さえ満足にできない、寝る場所さえない人がまだ多く存在しているのです。

産業が元通りになるのは、いつになるのかさえ予想できない状態でしょう。

だから、我々の真価は年が明けてからになるということを話し合いました。昨年は、復興支援の空手道大会も数多く開催されましたが、今年になっても支援を続けているのは何団体あるでしょうか?



私は、アフリカにいた時は、アフリカ大飢饉の真っ最中で、まさにその中心にいました。大河が干上がり、砂漠からは何万人という難民が流れて来て、そして死んでいく。死体は軍のトラックによって運び去れらるが、その場所に新たに到着した難民が居座り、そして彼らもいずれ死んでいく。
私がいたのは1985年から1987年までですから、ちょうど世界のミュージシャンたちが一堂に集い、ライオネル・リッチーやマイケル・ジャクソン等が中心となり、We are the worldを歌っている時でした。

そして、フィリピンに移ると、ほどなく何度もクーデターが起こり、実際の撃ち合いをこの目で見ました。そして、ピナツボ火山の大噴火を経験。噴火の日は土曜日の午後で、上空の火山灰が日光を遮り、真っ暗になりました。
そして夜になると、深々と火山灰が雪のように降り注ぎました。

同じ頃に噴火した長崎の雲仙普賢岳の100倍の規模の噴火でした。近隣の村はすべて火山灰で埋まり、ルソン島にあった米軍基地は、空軍基地も海軍基地も、噴火以前にフィリピンから完全撤退し、以降フィリピンから米軍はいなくなりました。

余談ですが、中国が南沙諸島に進出し基地を作り始めたのは、米軍がフィリピンから撤退した直後でした。

そんな経験をしてきた私でも、まさか祖国日本で同様の大災害が起こるとは想像していませんでした。



皆さん思いませんか? 震災後すぐに江頭2:50さんは、サラ金で借金してまで、名前を伏せて被災地に炊き出しに行った。SMAPの中井さんしかり。タレントやミュージシャンは、積極的に行っており、Jリーガーやプロ野球選手も個人単位で支援に赴いている。

で、空手界はどうでしょうか?
被災地の野球少年たちは、プロの選手が何人も慰問に来てくれる。サッカー少年も何人ものJリーガーと触れ合っている。それを見ている被災地の空手少年少女たちは、どんな思いだったでしょう?



ボランティアいとうのは、強制されるものではありません。個人の意思でそれぞれにできることをやっていくべきです。

そして、誰がやるのかはさほど重要ではありません。何をどれだけやるかが重要なのです。すべてをSay Oss!がやらなくてもいいんです。個人個人できることがあればそれをやってください。
そして、どこに何をすれば分からない人がいたら、Say Oss!に連絡をして共に支援して下さい。

復興までは果てしない時間がかかります。2年や3年で完全復興することは絶対にありえません。来月は、関東の子供たちを引き連れて、岩手県に合宿に行き現地の子供たちと交流をさせる予定です。
私たちは、あと20年もすれば死んでいるかもしれません。しかし、今の小学生たちの交流の橋渡しができれば、あと50年以上は交流が続くでしょう。

支援とは、なにもお金を寄付することだけではありません。被災地から全少や全中、そして高校でも活躍する子が一人でも多く出るよう、技術交流をすることも立派な支援だと思います。

大きな大会はいつも東京をはじめとした大都市で行われます。全少だって、東京や埼玉に住んでいれば、朝起きて電車で行けば時間的にも余裕で間に合うし、交通費もさほどかかりません。
一方、被災地から東京に出てくるのは時間も費用もバカになりません。


ならば、今度は関東から東北に出かけていって、子供たちとの交流を図るべきなのです。

私たちのような、社会的地位もない、経済力もない人間がどんなに頑張っても、AKB48が3億円寄付したなんてニュースを聞くと、これだけのおじさんたちがたくさん集まってもAKBの何十分の一の金額しか集まりません。

それでも、空手に関わっている限りは、何年でもこの活動を続けるべきなのです。年を経るにしたがい支援の形態も変化するでしょう。そして、私たちが老いて動けなくなれば弟子たちが意思を継いで続けてほしいと思います。


いつか東北が復興を成し遂げ、支援の必要が無くなっても、それは交流という形で残ってもらいたい。支援は永遠ではありませんが、交流は永遠なのです。
子供たちに、どんなに話をしても、映像を見せても、あまりにも悲惨すぎてかえってピンとこないでしょう。それでも、今回の災害は子供たちに語るべきなのです。
そして、機会があれば見せるべきだと思います。

ここを読んだ方で、チャリティを開催しようと思う人がいたら、いつでも連絡をお待ちしています。
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