天才の作り方
2012年07月06日 (金) | 編集 |
日本は、どの分野でも世界に名を轟かすほどの天才が現れにくい土壌にあるようです。理由は、規格化を徹底しすぎて、指導者の考えを押しつけ過ぎることではないでしょうか?


空手の基本の稽古メニューは、誰でも強くなれるように構成されています。いわゆる運動能力の低い人でも、時間をかけて稽古すれば一定のレベルを獲得することができます。


しかし、私がこれまで多くの天才といわれる選手を自分なりに研究してきた結果。ある事がわかりました。


 「凡人の常識は天才の非常識、天才の常識は凡人の非常識」 

ということです。

ですから、指導者たるもの、天才には天才の論理で指導しなければならないのだと思います。


私は常々、シアトルマリナーズのイチロー選手の動きを観て、きわめて武道的な動きだと敬服します。

私も高校までは野球少年だったのですが、右打者は壁を右の腰に作れと言われてきました。私は、凡才のそのまた下クラスの選手でしたが、ひとつだけ他と違っていたことは他人と異なる思考回路を持っていたことです。

他人からのアドバイスを聞かない頭の固い、いわゆる監督や先輩からは扱いにくい選手だったと思いますが、独自のアイデアは、ふんだんにありました。

その中で、中学まではスウィングの時には、前の腰(右打ちなので左腰)に壁を作って打っていました。それはすぐに直され、結局は通常の打ち方になってしまいましたが、自分なりの感触として前の腰に壁を作り、全身をそこに向けてぶつけるようにした方が、フォロースルーが楽に取れて飛距離がはるかに伸びたのです。

私自身も野球から離れ、忘れかけていた頃にイチロー選手が登場し、当時「振り子打法」と言われる打ち方で一世を風靡しました。その時に、思ったのが、彼は左打ちなので右腰に壁を作る、いわゆるそれまでの常識とは逆の方法だったわけです。

空手に例えると、従来の打法は逆突き、イチロー選手の打法は、追い突きに近い操作です。

空手の形でも特徴的なのですが、逆突きは後ろ足を張って腰を切ります。しかし、本来の多くの沖縄の形は、後ろ足を寄せながら攻撃を決めます。



さて、競技空手界に目を移すと、面白いことがわかります。世界の競技空手界は、コンスタントに右上がりに発展してきたわけではありません。ある時突然変異的に天才が現れ、それまでの常識を一掃してしまい、彼(彼女)のスタイルがその後のスタンダードとなっているのです。

ですから、凡人の積み重ねの上に天才が現れたというよりも、彼らは突然に現れ流れを強引に変えてしまうのです。


日本で、世界に最も影響を与えた選手といえば、1980年代に世界と全日本の頂点に立った鈴木雄一氏でしょう。
当時、べた足が普通というか、動き回るという概念が全くなかった時代に、フットワークを駆使して日本の頂点に上り詰め、世界では2m級の大男たちを相手に互角以上の戦いをしていました。



実は、私は同じ時代に空手を始め、学連にも出ていました。プロボクサーからの転向で、どうして空手をやって良いか分からず、最初のうちはガードを固めて、フットワークを使ってジャブを出していました。
学連の試合に出ると、当然ボクシングのパンチの打ち方ではポイントを取れるわけがなく、副審が笛を口にしながら私を見て笑いをこらえていたのを今でも覚えています。

そりゃそうです。当時の空手の試合でフットワーク使ってジャブをだし、相手の突きをダッキングでかわして、時々間違ってボディにアッパーを打ちこんでしまったりしていたんですから。


そう思うと、振り子打法も空手のフットワークも同じことをやっていたのに、天才は時代を変え私のような凡才は世間に何の影響も与えないという、当たり前の結果になったことは十分に納得がいきます。




さて、ここまで書いておいて一見矛盾するようなことを書きますが、ここからが私の本音です。
空手の基本とはなんでしょうか?

私は、天才の動きを凡人にもできるように修練過程を合理化されたものが基本ではないかと思っています。
ですから、時間をかけて基本をしっかりやれば、凡人でも天才になれるチャンスはあると思っています。



では、最初に書いたことは嘘だったのかといえば、そうではありません。

本当の基本とは、凡人が天才になれる道だと思っています。しかし、一歩間違えば、基本をやり込むことで、レベルの高い凡人を増産することにもなりかねないのではないかと危惧しているのです。


具体的にどういうことかといえば、指導者の身体意識と生徒の身体意識はイコールではありません。ですから、「こうでなければいけない」という指導方法では、指導者と異なる身体意識の生徒を潰してしまいかねないのです。

指導者にとって正しいことは、必ずしも生徒ひとりひとりにとって正しいとは限らないこともあるということです。


ですから、指導者は自己の身体感覚を生徒に押しつけることなく、生徒の感覚を感じ取ってその人間にふさわしい動きを教えることが必要ではないかと思います。


「こうしなければならない」という指導法が主流を占めている限り、日本から天才は現れにくいのではないでしょうか?



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