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 名前はない
2012年07月01日 (日) | 編集 |
記事の題名が、夏目漱石の「吾輩は猫である」みたいになっちゃいましたが、別に猫の話題ではありません。

空手には、本来技の名前はないということは、多くの先生方がおっしゃっています。


沖縄では、立ち方や技にいちいち名前は付けていなかったということです。当初は、沖縄文化は文字で記録する習慣がなく、いわゆる「てーげー」ゆえの事かと思っていました。

確かに「てーげー」もあるでしょうが、技に名前がついているおかげで非常に応用が効かなくなってしまって困るということに気が付きました。

※テーゲー (teegee) とは、沖縄県で見られる、物事について徹底的に突き詰めて考えず、程々に適当に生きていこうという意味の琉球語であり、概念。 by Wikipedia


まあ、これは私のような中途半端な研究者が語ることをせず、しかるべき方にお任せしなければいけないのでしょうが、名前がつくとなぜいけないかということを私なりに、あくまでも私なりに書いてみようと思います。


我々は、規格化あるいはスタンダード化するために、動作に対して共通認識を持たなければならず、その為に名前を付けます。
しかし、動作に名前が付いてしまった時点で、動作の効果が限定されてしまいます。



一つ例に取れば、松濤館の「後屈立ち」や和道流の「猫足立ち」は、撞木足の一種ではないかと思っています。名前が付いて規格化され、前進する時も後退する時も受ける時も攻撃する時も同じ足幅や両足の重心の掛け方では、逆に効果が薄くなってしまうのではないでしょうか?。
剛柔流の猫足立も、やはり本来は撞木足ではなかったかと思うのです。



ここまで書いたところで、6月13日の私の記事をお時間のある方は再度読んでみてください。


猫はどのように鳴くか? 

猫は、決して「ニャ~ッ」とは鳴かないと書きました。これは、猫の鳴き声を聞いた日本人が、勝手にかつ無理やり文字に直しただけで、実際に猫の気持ちになってみれば容易にわかりますが、こんな鳴き方はしていないのです。

今考えると、「これって沖縄の空手と同じじゃないのかな?」と思ったのです。

猫の鳴き声を「ニャ~ッ」と表した時点で、それは既に猫語ではなく日本語に変換されてしまったのです。猫語を使いたいのであれば、猫の鳴き声をそのまま感じ鳴くしかないのです。



そういえば、形ってよくできているなぁと、最近驚いています。
稽古していると、その目的や効果等、知れば知るほどわからなくなってくる。でも、それがいずれわかってくるけれど、また新たな疑問が湧いてくる。


しかし、近年作られた形やいわゆる創作形には、そういった奥深さがまったく感じられないのです。その点でも、時代が古くなるほど人々の感覚は強かったのではないかなどと思ったりしているうちにまた寝るのが遅くなってしまいました。
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