料理と空手の共通点
2014年05月05日 (月) | 編集 |
今日、韓国から来た客人を、2月にお世話になった家族が韓国レストランに招待してくれました。オーナーは韓国人ですからハングルも話します。そして、料理が来て談笑しながら韓国料理を食べました。

まず、私が

「日本の韓国料理屋の味はどうですか?特にキムチの味は?」

と訊くと、しばらくキムチを味わった後、首をかしげました。もう一人に食べてみなさいと言って、もう一人が口に入れるとやはり首をかしげます。

彼は、

「まずくはないけれど韓国の味ではない。」

と、言いました。
加えて、

「例えて言うならば、基本を疎かにして組手をやっているようなもの。」

といううまい表現をします。

スンドゥブが運ばれて来た時も、ハングルで

「これ、本当にスンドゥブなの?」

と、店員さんに尋ねます。

盛り付けも韓国とは違う。また、我々が鍋物の締めにうどんを入れるように、彼らはスンドゥブにはご飯を入れます。

ところが、その店で来たのはラーメンです。
私は、ソウルで彼に連れて行ってもらったので、

「ラーメンを入れるのは、トッポギだよね。」

と言うと、彼は

「そうだ、トッポギにはラーメン、スンドゥブにはご飯だ。」

と、しきりに今日行った店はジャパニーズスタイルのコーリャンレストランだと繰り返しました。


私は世界各国を回って、日本レストランに行くのが楽しみです。というのは、海外生活が長かった私は、別に日本食が恋しくなることはありません。逆に、日本では食べられない日本食が出ることが多いから楽しみなのです。

アメリカなどは、比較的日本と同じ味のものが出てきますが、途上国の地方のジャパニーズレストランなどは、メニューの日本語もメチャクチャ、出てくる料理の味も全然日本とは違います。だから、私などは逆にそれが面白くて日本食レストランに入るのです。ミソラーメンがシソラーメソになっていたり、メニューを見るだけで楽しくなってきます。


韓国人が経営している日本の韓国料理の店でも、韓国人に言わせれば韓国ではなくジャパニーズスタイルだということになる。これが、今回の重要なテーマです。



空手も、これと全く同じです。正しい空手をしっかりと普及しようと何度も日本に足を運び、日本人以上に日本の先生の教えを守り続ける立派な外国人の先生もいらっしゃいます。

中には、日本人が海外に永住し、その地に骨を埋める覚悟で指導されている方も多くいらっしゃいます。


しかし、今回の日本の韓国料理と同じで全く同じものを受け継いでいるつもりでも、国が違うと生活習慣や身体意識の違いから微妙に技が変わってくるものです。それは身体意識の違う中で指導をしていれば、同じことをやっているつもりでも、微妙に違いが出てきてしまうということです。

料理も空手も、国が変わっても全く変わらないということはあり得ないと思うのです。むしろ、競技として普及させたいのであれば、積極的に変わることを容認しなければ、永久に日本有利のルールしかできません。
無意識のうちに海外では技が変わってくることは、逆にいえば自分たちに合うように改良するということです。

これは、国内でもいえることです。「空手は日本の伝統文化だ。」と言っても、沖縄の人たちから見れば「でも、それは沖縄で培われ、継承されてきた手とは違います。」ということになるのではないかと思うのです。

10年以上前にJKFanの連載で書きましたが、中国から見れば、沖縄の空手は「我々の亜流だ」と思うでしょうが、沖縄から見れば、「中国拳法を沖縄の風土や生活習慣に合わせて今のように変化・発展させた」と思うでしょう。

同様に、沖縄の人から見れば、今の本土の空手は沖縄の手とは別物であると思い、本土の人から見ればそうは思わないと思います。
これの延長で、日本から見れば世界の人たちがやっているKARATEは、「もはや武道ではなくスポーツだ。」と思うでしょうが、海外の人たちからすれば武道もスポーツも空手に変わりないではないかと思うはずなのです。

沖縄⇒日本本土⇒世界と普及した空手は、前者から後者を見れば「亜流」と捉え、後者から前者を見れば、それほど亜流化したとは思っていないはずなのです。空手の発祥を沖縄であると捉えれば、本来の空手とは沖縄で行われていたものが本来の空手であり、本土の武道や生活習慣の影響を受けたものは、既に亜流化した空手であるといえるのではないでしょうか?

また、本当に本来の空手の継承を心がけるのであれば、空手は絶対に競技化すべきではなかったと思います。競技化された時点で、やる人が武道としてやっていようがスポーツとしてやっていようが、それは本来の空手とは「別物」になる運命にあるからです。

私は、二十年以上前に、インド人を日本のカレー屋さんに連れて行ったことがあります。味を訊いてみたら、

「日本のカレーは美味しい。ただ、インドではこれはカレーとは言わない。」

と言いました。

確かに、カレーはインドから直接伝わったものではなく、イギリスを経由して日本に入ってきましたから、経由した時点ですでにカレーとは名ばかりで別物になっていたのです。
別物ではあるが、おいしいかまずいかは別問題です。インド人でも日本のカレーをおいしいというのです。ただ、俺たちのカレーとは別物だよというだけです。

変わらずに継承することがどんなに難しものか? 今日の会食で改めて思いました。
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コメント
この記事へのコメント
場違いとは思いましたが、10年ほど前の2chのナショナルチームのスレでの先生のレスについて質問があります。
世界大会では協会と和道会の選手が結果を残していることが多いという主旨のレスでしたが、その要因は何だと考えていらっしゃいますか?
私は和道流の末端の人間なので、和道流のことしかわかりませんが、和道流の場合は柔術との融合ということで、古伝の空手からは亜流になりますが、独自の身体操作法を確立したことが大きいのかと思っています。
また、初代大塚博紀宗家は胸の意識が発達しているとのレスもありましたが、どのような点から先生はそれを発見したのでしょうか?
まだまだ素人で胸の意識というものが私にはよく理解できていないので参考にしたいと思いました。
さらになんですが、やはり海外の選手は国が育成して、その国の身体文化に合うように発展しているので、当時の日本のように松濤館系や和道系が結果を残しているというような流派ごとの違いなんかはあまりないのでしょうか?
質問ばかりで申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
2014/05/15(Thu) 09:24 | URL  | 和道好き #-[ 編集]
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