無駄が無駄ではない
2013年02月17日 (日) | 編集 |
週末は、某所での合宿に参加しました。各県から強豪選手が集まり練習試合を行い、一緒に宿泊し、生徒たちは大いに刺激を受けたことと思います。

さて、今回印象に残ったことがあります。うちの生徒で怪我のために昨秋から練習がろくにできず、4月に手術を受ける予定の生徒がいます。彼は今回、試合ができないにも関わらず合宿に参加し、空手着を着て他の参加者たちのお手伝いをしていました。
母親も子供は試合ができないのに、ずっと試合を観ていました。

私はこれまでの指導経験で、このような態度の生徒は本番に強いことを知っています。競り合った時、ここ一番で絶対に勝たなければいけない時、こういう生徒は力を発揮するのです。
なぜならば、自分が動けない時でも空手に関わることで、忍耐が養われるからです。

自分はできないにも関わらず、ずっと仲間の試合を観てアドバイスを送り、良い選手を観て参考にする。健康な時よりもこういう時の方が頭への吸収は早いものです。
また、自分ができない悔しさの中で他人の手伝いをすることは、怪我が治った時にはこれまで以上のペースで上達するはずです。


例えば、伸び悩んでいたり、テンションが下がっている時などは、リフレッシュのために空手から離れることもありだと思います。

しかし、自分は試合をできないから出ても仕方ない。単純にこういう理由の者は、いざという時に踏ん張りが効きません。または、あと一歩のところで負け続けることが続きます。やはり、自分の事しか考えられないというのは、周囲からの人望も得られず、結果的に損をしますね。


指導経験が長くなると、試合以外の部分で生徒の評価をする割合が大きくなってきます。今強い弱いは見れば誰でもわかります。しかし、5年後に誰が強くなっているか?20年後に誰が立派に社会に貢献できているか?
これは、空手そのものがうまいか下手かというよりも、空手を習っている過程で、どのような心構えでいるか?どのような振る舞いをするかに注目します。



しかし、子供の心構えも親次第です。親が「できないのなら行っても無駄だから休んじゃいなさい」と言ってしまえば、子供は踏ん張りの効かない子になります。自分の身体は動かなくても、目は他人と同じく見ることができるし、脳みそは他人と同じく考えることができる。
ならば、身体を使えない分、目と脳みそをフルに使えば、他の生徒以上の成果を得られるかもしれないのです。



私は、幼少の頃は極端に身体が弱く、小学校の運動会は3回しか出ていません。後の3回は病気でお休みでした。人並みに運動すると筋肉が硬直する病気にかかっており、体育も見学が多かったものです。

だから、自分ができない惨めさや悔しさは誰よりもわかっているつもりです。まあ、極端に身体が弱かった反動で、将来はスポーツ選手になることが夢で、その延長で今は空手で生活しているのだと思います。
しかし、多くの選手の動きを見ただけで特徴を把握でき、対策を練ったりできるのも、身体が弱かったおかげで子供の頃に人並みに運動ができず、来る日も来る日も見取り稽古をしてたことが大きく影響していることは確かだと思います。

世の中、何が得して何が損をするかわからないものです。もしも、私が人並み以上に丈夫な身体を持って、子供の頃から病気もしないで育っていたら、今のような分析力は身に付いていないかったはずですから。


先の生徒に話が戻りますが、自分ができなくても参加して仲間の手伝いをしている姿を見れば、指導者であれば「治ったら絶対に勝たせてやる」と思うでしょう。

だから、ここに書いたことを考えれば、彼が今回の参加者の中で一番成果を得たと言っても良いのではないかと思います。「でるだけ金の無駄だ」と思わず、子供を参加させたご両親も立派だと思います。

こういうことの積み重ねが将来の大きな財産になっていくのです。
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