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 タイムマシン
2013年01月06日 (日) | 編集 |
昨日、実家に戻り、今日JIJIの捜索をしてきました。午前中3時間周囲を歩き回り、ビラを店に貼ってもらいました。
実家にJIJIとKIKIの糞を置き、JIJIの寝ていたマットを縁側に置きました。少しでも自分の臭いで実家に戻った時に気づくようにと。

下の写真はそのビラです。

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さて、あとはもう情報を待つだけとなり、午後2時ごろから部屋の片づけをしましたが、まあ懐かしいものが出てくるわ出てくるわ。
アフリカに行った時に持って行ったケース。フランスで購入し、アフリカ諸国やフランスを回る時に使ったリュック。そして、若い時に読んでいた本がバッグいっぱいに入っていました。
読んでいる本が、大学生の時から今まで、全く変わっていない。

高岡英夫氏の本やら、南郷継正氏、小説はほとんどが歴史もので、特に司馬遼太郎氏の本がドバっとありました。海外に在住時、日本に帰国した時に買い溜めし持って行ったものです。


さて、その中で2つのグローブがあった。左右一つずつです。実は、私は中学校に上がる前の春休みに、どうしてもピッチャーになりたくて、毎日壁に向かってボールをぶつけていました。1日何百球と投げているうちに肘を壊し、それでも投げ続けていたら、医者に「もう、一生右では投げられないよ」と宣告され、中学に入学早々、「右で投げられないなら左で投げよう!」と決意し、右のグローブを買ってもらいました。

キャッチボールもみんなとできず、毎日壁に向かって投げ続け、ノックの時間になると球拾い専門、守備に付けませんでした。2か月ほどそんな練習が続きましたが、「このままでは使ってもらえない」と思い、右に戻してしまったのです。
それから、高校3年生まで6年間、肘の痛みをごまかしながら野球を続けていました。
高校3年生の夏の大会の時は、右腕の握力がゼロに近くなり、バックホームの場面が来ないよう、祈りながら外野を守っていました。
左のグローブは、高校に入って買ってもらった硬式用のものです。これは、大学生・社会人になって草野球チームに所属している時まで使い続けたものです。

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そして、次のボロボロのパンチンググラブは、大学進学と同時にボクシングジムに通い始め、プロでやっていた時に使っていたものです。今思うと、こんなにボロボロになるまで使い続けていたんですね。バンテージは、何本も持っていたので、比較的保存状態が良いです。ハンドグリッパーを握りながらシャドーを延々とやっていました。
ボクサーになって、一番きつかったのはパンチの打ち合いでも、スタミナ切れでもありませんでした。減量で飯が食えないのが一番きつかった。
もう少し私に根性があれば、別な人生もあったかもしれません。

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下のヌンチャクは、海外に出る時に買って持って行ったもの。自己流でずっと振り回していました。紐が切れて何度も替えるほど振っていました。でも、これを使用したのは貧民街にうちに入った泥棒を捕まえに行く時、腰に挿して行って、向こうの武器に対抗した時くらいでしょうか?

この頃は、数年前に一度アフリカ人の強盗7人と格闘して刺されており、「俺は、空手バカ一代のマンガみたいにはいかないなぁ・・・」、なんて思っていた頃でしたから、やはり万が一のために腰に挿していましたね。
ただ、運よくこれを使って格闘することはありませんでした。

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ってな具合に、タイムマシンのように実家の押し入れからは私が子供の頃からの宝物が続々と出てきました。まだ、裏の物置は探していないので、暖かくなったら物置のタイムマシンで過去に戻ろうと思います。
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