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 学ぶということ
2016年10月24日 (月) | 編集 |
ずっと前から思っていました。指導するということは、教える側の能力もさることながら、教わる側の能力も重要だなと。
100回言ってもやらない生徒がいます。反面、1回教わっただけでものにしてしまう生徒もいます。
できないものから見れば、できる者は「あの子は頭が良いから」「器用だから」で済ましがちです。

でも、違うんです。
教わった時に、すぐできるかどうかはあまり重要ではありません。その後、それを継続してやるかどうかが問題なのです。

例えば、新しい技を教えます。ある子はすぐできるのですが、次の稽古ではまったくやりません。ある子は最初はできなくても次の稽古でもその次も忘れずにその技を使い続けます。この場合、どちらがその技をものにできたのか、言わなくてもわかりますよね。

面白いことに、あるところで接点のない方二人が同じことをおっしゃっていました。「できないのはできるまでやらないからだ。」
まさにこれだと思います。お二人とも人間として一流の方々です。
知っているだけでやらないのは知らないのと同じです。全部ものにしろとはいいません。ただ、なんとなく稽古に来てなんとなく自己流の組手をやっているだけでうまくなることはできません。
具体的な目標をもって、「こうしよう」「こうなろう」と思って稽古をすればうまくなります。

私の生徒で、毎回同じことを教わっているのに、まったくできない者がいます。言われた時はやっているのに、自由組手になるとすっかり忘れて100%自己流になっているのです。
他道場の子で、セミナーや出稽古に来て、次に来た時にはすっかりできている者もいます。

学ぶということは教わった回数ではないのです。その後自分で努力した回数が重要だと思うのです。

私が海外で生活していた時に、戦後すぐに移住して4~50年生活しているのに現地の言葉を話せない日本人がいました。自分が話そうとしないので、周囲が日本語を話せるようになってしまったんです。

私は、人間学ぼうと思わなければ学ぶことができないのだと思いました。稽古に毎週通ってきてもそこにいるだけでは上達は望めません。「学ぼう」、「覚えよう」、「使おう」と思わなければ何も上達しないのです。

それこそが、すべてに共通する「学ぶ態度」ではないかと思います。
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