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 「空手をするな」は、まさに空手そのもの
2016年07月29日 (金) | 編集 |
今月、タイランドオープンに行ってきました。大会の次の日に、アガイエフのセミナーがあり、それにも参加してきました。現在、世界で最も注目されている選手のことですから多くの参加者があり、内容も素晴らしいものでした。

何よりも、彼独自の技や戦いの考え方がふんだんに盛り込まれており、私自身大変勉強になりました。

彼のセミナー中、最も印象に残った言葉があります。あることをする前のアドバイスとして、「空手をするな」(No Karate)と言ったことです。普通に考えれば、空手のセミナーで空手をするなということは、「じゃあボクシングをするのか?伝統の空手の技術は使うなということか?」などと、日本だったら捉えられてしまうのではないかと思いました。

しかし、それを聞いた瞬間、私は「これこそ空手だよな!さすがわかっていらっしゃる。」と感心しました。空手をするながなぜ空手なのか?少々性格がひねくれていないとわからないでしょう。
なぜならば、彼は空手そのものをするなと言ったのではなく、固定観念を持つなと言ったのです。
「空手はこうなくてはいけない」という固定観念がどれだけ勝利を遠ざけてしまうか、彼はよくわかっているのです。

彼のこの考え方は、空手からKARATEになったというよりも、私はむしろ沖縄の空手そのものだなと思ったのです。沖縄で、ある先生から教えていただいたことですが、「例えば、巻き藁というと土に板を埋め込んで藁を巻いたもの、それを一本一本魂を込めて突きこむものだと本土の人間は思っているが、それは巻き藁鍛錬のほんの一部だ。一口に巻き藁と言っても色々な種類があって、いろいろな稽古の方法がある。」とおっしゃっていました。

別の沖縄出身の先生のご自宅を訪問し、お話を聞いた時に、角材に藁を巻いたものを持ってこられ、「私はこれで手を鍛えている。」と言い、実際に見せてもらいました。それは巻き藁を突きこむのではなく、目にもとまらぬ速さで連続して打つものでした。

空手の技も同じで、「これは受けだ。」「運足はすり足でなければならない。」「しっかりと狙って、一撃で相手を倒せ。」等、決めつけてしまうとその技のポテンシャルの一部しか応用できなくなってしまいます。

私は、以前「空手のすばらしさは何にでも応用できる汎用性にある。」とこのブログに書きました。ある意味、「実戦に使えればそれは空手である」ともいえるのだと思います。もちろん何でもかんでも良いというわけではなく、空手であることの条件は存在しますが、「こうでなければならない」という決めつけは大変危険です。

私は、アガイエフのNo Karateを聞いて、伝統的な空手と現在の競技空手がつながったと思いました。

彼の動きはまるで、ビデオの早送りを観ているようなスピードでした。私と彼が同じ人間であることが信じられない思いで見ていましたが、一つだけ彼に勝っている点を発見しました。英語は私の方がうまいという点です。

agahev
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