なぜ組手なのか?
2015年10月20日 (火) | 編集 |
空手では、対人での攻防を行うことを組手と言います。なぜ、相撲のように組まないのに組手というのか、永年の疑問です。

組手の語源はわかりませんが、私は、独断による自論を展開しています。組手とは、「戦い方を一つ一つ組み立てていくから組手なんだ」と。

試合前の調整で、トーナメント表を確認し、相手が誰かを知ったら、その相手ごとに戦いをシュミレートする。何度も何度もシュレーションどおりに身体が動くようにイメージする。もし、想定外の展開になった時に備え、複数のシュミレーションを立てておく。単に技の攻防だけでなく、事前の段取りからすべてが組手に含まれているのだと勝手に考えています。

その時に問題となるのが、やはり学力なのです。学力全般ではなく、特に国語力ですね。別に芥川賞を取れるだけの文章力を要求されているわけではありません。普通に日本語ができれば良いのです。
最近、試合後の反省や、観戦のコメントを求めると、文法として日本語にならない生徒、ありきたりのコメントで、そんなのその場にいなくても誰でも言えるよというコメントしかしない生徒が増えています。
別にみんなが驚くような意見を言えということではありません。自分の言葉で、正しい日本語で発表しなさいというだけです。

試合前の調整は、私は集団ですることはなく、個人個人でさせる事が多いのですが、それは良い選手ほど自分の調整方法を持っているから、他人に合わせてしまうとうまく調整できなくなってしまうからです。
言葉がちゃんとしている生徒は、戦いを組めるのです。正しい日本語を話せない生徒は、まず自分のことを把握できない。相手の事もまったくわからない。ただ、ひたすら汗をかいている。
これは、先日もこちらのブログにアップしました。  http://kyoginotatsujin.blog.fc2.com/blog-entry-307.html

ですから、面倒ではありますが、日記をつける。反省文を書く。意見を発表させるということは、教育上多大な効果があるのではないかと思っています。
空手の練習を頑張っているから、空手が上達するのではありません。学校生活も、私生活もすべて空手に関係しています。言いかえれば、空手も空手だけに役立つのではなく、勉強にも生活の知恵にもなるのが、本来の稽古だと思います。

語源はどうであれ、組手は戦い方を組むからだと考えると、どのように本番に挑むかがわかってきて面白いなと思ったりします。
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