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 1-6は単なる5ポイント差、0-1は∞の差
2015年01月20日 (火) | 編集 |
これから書くことは、ある限定的な生徒に対する指摘です。すべてにおいてあてはまるわけではありません。

いつも、負ける時に0-3とか0-4で負ける生徒がいます。自分よりも少し格上の選手には1ポイントも取れません。きれいに戦おうとしてなかなか得点できず、逆に1ポイントづつ相手に点数を積み重ねられてしまう。負けた方からすると一番ストレスの溜まる内容です。

私は、中途半端な戦いでいつも0-1,0-2,0-3、0-4と無得点で負ける生徒に対しては、「すぐに勝てとは言わない。お前の負けパターンは、いつも中途半端に惜しい技しか出せなくて、無得点で負けるんだから、ガンガン攻めて大差で負けても良いからとにかく1ポイント取って負けろ!」と言います。

例えば、1-6で負けた時、その差は単に5ポイントですが、0-1で負けた場合、その差は∞なのです。相手にとっての1ポイントは、3にもなるし6にも8にもなります。しかし、いつも負ける時に0ポイントということは、永遠にゼロかもしれないということです。

団体組手などは、0―1で負ければ次につながるし、1-8で負ければ致命的1敗になりますが、ひとりの選手を育てる場合には、大量の失点よりもたった1ポイントの得点をすることから始めなければならないのです。

負けるのが怖くて小差で勝ちを逃す。こういう場合が、勝たせるのが一番難しい生徒です。ならば、思い切ってガンガン行って大差で負ける、しかし1ポイントをとる。こうなれば先が見えてくるものです。
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 反省とは?
2015年01月19日 (月) | 編集 |
人間って、なかなか反省出来ないものです。私自身もそうです。

そもそも反省とは何でしょうか?ウィキペディアからそのままコピペしてみます。

反省(はんせい、英: reflection)とは、一般的には自分がしてきた行動や発言に関して振り返り、それについて何らかの評価を下すこと、あるいは自分の行動や言動の良くなかった点を意識しそれを改めようと心がけること。あるいは自己の心理状態を振り返り意識されたものにすること。

自分が正しいと思ったとき人は反省しない。軽い気持ちかもしれないが、 人にはそういう紛争の種が潜んでいはしないか。放っておくと危険だろう。

ジョン・ロックは反省を、外的対象に向けられる感覚に対して、意識の働きに向けられた内的感覚と考えた(ジョン・ロック#認識論を参照)。

哲学史において、アリストテレスは感覚を五感に制限して内的感覚を否定したが、プラトンは、「精神の目」を認めていた。カントは、これを「内的直観」と呼び、ヘーゲルは反省を、相関的な関係を持った二つのものの間にある相互的反射関係を示すために用いた。

「振り返って考えることのほかに、過去の自分の言動や行動、考え方に対して、その過去から現在までに得た知識・情報を元に過去の自分のありかたを鑑み、将来に渡って、悔い改め改善しようとする気持ち、これがなければ人間的成長はない。[要出典]」



なぜ、冒頭からこんなネガティブな書き方になったのかというと、指導者として悪いところは生徒に反省させなければいけないのですが、反省の仕方が分からない子が多いのです。
例えば、試合での敗因を漠然としか理解できていない生徒がどんなに反省しているつもりでも次もおそらく同じ負け方をしてしまいます。なぜならば、具体的な解決方法が分からないからです。

例えば、敗因を「気持ちが弱いからです。もっと気持ちを強くしたいです。」と言った生徒が、果たして気持ちを強くする方法をわかっているか?
気持ちが弱いということは、まずどのように弱いかを自分で理解しなければなりません。弱気になるまたは守りに入る、過度の緊張を伴う、集中できない、等。いったい自分はどういうふうに気持ちが弱いのか?それを十把一絡げに気持ちが弱いから強くしたいと言っても、効果はありません。

また、技術的にカウンターを取られて負けるパターンの生徒は、試合の時だけカウンターを気を付けていて、果たして取られないようになるのか?練習の時は、自分の間合いとタイミングで良い具合に攻め込んでいてきれいにポイントになっていても、試合という緊張と集中がMAXの状態の時に、果たして練習の時のように自分の間合いが取れて自分のタイミングでポイントを取ることができるのか?

何度も同じパターンで負けている者は、反省の仕方がピントがずれていて反省できていない者がほとんどです。だから、解決方法が分からずにただ一所懸命に頑張るだけ。解決方法が分からないからまた同じパターンで負けてますます自信を失っていく。そんな生徒も少なからずいます。

人間には、思考パターンがあり、行動パターンがあります。実は、昨日の大会である先生との会話です。ある選手が派手に技を極めて圧倒的に勝ち上がっていました。ある先生が「○○君絶好調ですね。行けるんじゃないですか?」というので、私は、「いくら派手な技を極めて勝っても、それは彼がいつもやっていることで、問題はもう少し強い相手にどうするかですから、まだ何とも言えません。」と答えましたが、やはり途中でいつもの負けパターンで上位に行くことはできませんでした。

反面、昨日優勝したうちの道場生のほとんどは、自分の負けパターンに陥らないように工夫を凝らしていたのは大きな成果です。
ある生徒は、緒戦から決勝戦まで無失点で優勝しました。うまく相手の間合いを殺し、プレッシャーをかけながら自分がいつも先に攻めて先制点を奪い、その後も終始自分のペースで戦っていました。緒戦でできることを全部試し、準決勝・決勝は、相手のパターンを読んでいて自分の調子も把握しており、勝利の方程式どおりにガンガン行ってストレート勝ちという理想的な展開で優勝してくれました。
このような形での勝利は、後輩たちに良い模範となるものです。

また、同じパターンで負ける生徒の思考パターンは、「やっているつもりになっている」というものです。自分ではやっているつもりになっている、でも実際には徹底してやろうとしないから何の効果もない。次もなんとなくやっている。中途半端だからまた同じパターンで負けるという繰り返しです。

自分を変えるのは、並大抵のことではありません。技術を身に付けるのはさほど難しいことではないのです。最も難しいのは、自分を変えることです。思考パターン、行動パターンを変える。これはそれこそ徹底して意識して実行しないとできないことです。
難しいのは、勝負の行方は表面的な体格、体力、技術よりも、思考や行動の癖によるところが大きいというところではないでしょうか?

 こんなふうに考えています。
2015年01月05日 (月) | 編集 |
新年明けましておめでとうございます。

年末から、風邪を引き本日ようやく治りました。やはり、年末年始で何もしないと気が抜けてしまい、病気にかかりやすくなってしまうようです。

年末は、毎年恒例の某合宿でした。中学3年生にとっては、おそらく最後になるであろうこの合宿で、ある先生と話していたことを書いてみます。

1、群れちゃダメ
  夜は自主練習で、選手は練習会場に来ても来なくても良いのです。ほとんどの選手は練習をしているのですが、形をやっている選手たちを観ていると、一定の成績を上げている生徒はひとりで形をやっています。いまいち成績が伸びない生徒は、誰かと一緒に練習をしています。
 もちろん、友達と仲良くすることは大切ですし、誰かと一緒にいる子の方が他人の面倒見が良いので、一概に良し悪しは断言できませんが、やはり大事なところでは一人でいられる人間の方が強さを発揮できるのでしょうね。
 このあたりが生徒本人も判断が難しいし、指導者もどのように伝えるか迷うところです。

2、目立て!
  合宿で毎回先生にかわいがられる生徒がいます。柔軟の時に上から押されたり、脚を開かされたり・・・、これはいじめではありませんよ。こういう生徒は、やはりリアクションが面白いので、周囲の雰囲気が盛り上がります。
 毎回、手を抜かず、大きな声で返事をして、いるだけで周囲をやる気にさせる生徒もいます。かと思えば、やたら存在感だけはあるのに、ボ~ッとしていて話を聞いていない生徒がいます。真面目に答えていることがいつもピントが外れていて周囲を笑わせる子もいます。
 組織にとって、こういう存在は雰囲気を盛り上げるのに大きな貢献をしています。また、静かであまり目立とうと思っていないのに、やたら存在感のある子もいます。
 私は、「何でも及第点で取りわけ目立つこともない子と、しょっちゅうやらかして先生に叱られている子を比べたら、後者の方が人生で得をする場合が多いと思います。」と言います。まず、名前を憶えられることは人生にとって重要です。
 指導者というものは、叱った生徒は覚えているものです。かえって褒めた生徒よりも叱った生徒の方が強く記憶に残ります。叱られるというのは、決して悪いことばかりではないと思います。
 とにかく、なんでもいいから目立つこと。これが大事です。とはいっても、なかなかそういうキャラになれず目立てない子も存在します。そんな時は、「空気みたいな存在なら誰にも知られないが、空気よりも薄い存在ならばみんな窒息しちゃうから中途半端に目立つ奴よりももっと存在感があるものだ。何事も中途半端が良くない。目立たないなら空気よりも薄い存在になりなさい。」なんて言っていますが、ここまで来ると私も松岡修造並にわけのわからない人間になってしまいますね。

2、本性は、指導者の観ていない(と思われているところ)に出る
  朝練の時に、面白いことがわかりました。普段の練習では見れない選手たちの本性がよくわかったのです。中学3年生が5名参加し、うち4名は強豪私立高校に進学予定です。1名は、空手ではなく学力で某名門校に行きます。
 5名のうち、ひとりは、四股立ちで何百本も突きと蹴りをさせられている時に、まったく手を抜かず、脚がガクガクいっても高くならずに、気合も大きく思い切り技を行っていました。もう一人は、静かではありましたが手を抜かずに頑張っていました。3人目は要領が悪いのですが、やはり頑張っています。4人目は途中からいかにも死にそうな顔をして手を抜き始めました。5人目は、限界が来る前から手を抜いていました。
 現在の空手の実力でいえば、手を抜いていた後者の方が少々上を行っています。でも、高校生になるとおそらくまったくこの順番どおりになるでしょうね。
 このブログで何度も書いていますが、ベテランの指導者は見えないところ、または見ていないと思われているところで本当の評価をしているというのはこういうところなのです。
 選手はだから手を抜けないのですよ。

 私が尊敬するある高校の先生もおっしゃっていました。

「選手たちのダッシュをここから見ていると本性がわかります。苦しい中で、最後まで手を抜かずに走り切る選手は、入った時は弱くても、最終的にはレギュラーを取っています。」
「最後の10mで手を抜く生徒は、期待されて入ってきても思うように伸びずに終わってしまいます。」
「必ず1番になろうと思って必死に最後まで全力を出すもの、1番で走っているのに最後に手を抜いてしまうもの。3年間でこのダッシュと空手での結果が見事に一致しています。」

 試合の結果よりも、合宿や私生活、そして練習中も先生の観ていない(と思われている場面)の方が、よほど選手の将来を的中させることができますね。

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