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 年月よりも波長
2014年01月27日 (月) | 編集 |
空手界でもその他の世界でも、師の下で何年修行を積んだかということが重要視されます。

まあ、長く師につかなければわからないことは当然ありますから、やはり何年修行をしたかは確かに重要ですよね。しかし、長さだけでは計れないことも多々あることも知っておかなければならないと思います。

師に何年ついて修行をしても、学ぶ能力がなければわからないことがありますが、一度会って指導してもらっただけで目の前の視界が大きく広がってその後の力量が大きく花開くこともあります。


なんで私がこんなことを突然書くかといえば、別に最近何があったわけでもありません。私自身の経験で、一度ある方に教わっただけで多くのインスピレーションが得られた経験もあれば、何度会ってもあまりインスピレーションを得られない経験もあり、それは互いの力量というよりも、波長が合うか合わないかが大きく左右するのではないかと思っていたのです。

中には、何も教わっていないのに、その人と数時間一緒にいただけでもの凄いインスピレーションをいただく場合もあります。これなどは、私自身も説明できないのですが、同じ空間をちょっとだけ共有しただけでその後の人生が大きく変わったことがあるのです。

ですから、空手に関しても師の技術を継承するのに「俺はいちばん長く師について修行したのだから正当な後継者だ」という人がいても、長くいただけで正当な技術を受け継いでいるかどうかはわからないと思うのです。
もっと、その人よりもずっとずっと短い期間しか修行を積まなくても、その人以上に師の教えを継承した人だっているかもしれない。


私の感覚では、ネット環境に似ています。通信速度が遅ければ長い時間なかなかダウンロードが終了しないが、通信速度が早ければ瞬く間に終了してしまう。
人間と人間の関係もこれと同じじゃないだろうかと。

また、時期(タイミング)というのも大事ですね。自分が相手の情報を受信できる状態にあるかどうか?相手が自分の情報を送信できる状態にあるかどうか?その双方が合致した時に、ものすごいデータの交換が行われる。その環境がなければ技術の継承や発展はないのではないかと思います。。


そういう意味では、常に高感度のアンテナを持ち合わせ、必要な情報はいつでも取り入れる環境に自分を置くことが重要ではないかと思ったりします。

何度直に教わっても全然しっくりいかない場合もあれば、何かの機会に言われた一言ですべてが理解できたりするのも同様かなと思います。


高度なアンテナを持つ必要がありますが、高度であれば不必要な情報も同時に受信してしまうことがあるので、必要か必要でないかを判別できる、または感じることができる能力も同時に要求されますね。
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 イメージ
2014年01月24日 (金) | 編集 |
今回は不思議な世界、というか飛び切り変なお話をしましょう。

皆さんは、「物を覚える」時、どのようにするでしょうか? たとえば、英単語を暗記する。歴史の年表を暗記する。漢字を覚える等です。

空手で新たな練習体系を覚えるとか、新しい形を習う時も同じです。

私の場合、頭の中にイメージが浮かびます。歴史教科書のある箇所が問題に出たとき、その答えが乗っている教科書のページそのものが頭に浮かんできます。
極端に言えば、教科書のページごと写真を撮って頭に入れてしまうという感じでしょうか?

また、形を覚えるにもこつがあります。形の法則を頭に入れれば良いのです。形には演武線がありますから、演武線に沿ってイメージします。また、同じ動作の繰り返しが多いですから、そこは一つ動作を覚えたらそれの繰り返しか、左右対称に行うだけですから一度に覚えることができますね。
このコツさえつかめば、技を覚えるのはどんな形でも10分あれば大丈夫だと思います。


ここから書くことは、他人には訊いたことがないし、話したこともありません。私が幼少時から持っていたイメージです。
ちょっと、私の場合は特殊だと思うのですが、必ずイメージが頭の中にありそこに新しい情報を入れ込むだけにしています。たとえば、歴史を覚えるのに、地球の誕生(46億年前)から現在、そして未来に至るまで、数字がなが~~~~い道のようになっています。それもクネクネと曲がった道で、左に行ったり右に行ったり、下ったり登ったりと、理由はわかりませんが、ずっと頭の中のイメージでは暗い立体的な空間に数字が道になって存在しています。

数学もそうですね。頭の中で数字が曲がりくねって数が増えて行きます。計算もその道を利用して行います。

空手の試合で、両者が構えているときに、今度は赤がポイントを取る、青が取り返すというのも、戦う人間だけを見ていたら、わかりません。試合会場全体の空間をまとめて感じることが大切です。その空間全体の空気を読むことができれば、どちらがどう動けば勝てるかがわかってきます。

これを例えれば、2匹の金魚を見ていてもどちらに泳いでいくかわからないけれど、水槽全体の水を感じることができれば、この後どうなるかがわかってくる感じかな?水槽の水は、空手の試合会場では空間の気の流れです。


生徒を指導したり、ある選手の分析、対策を練る場合、私はその人間に乗り移って身体意識を体で感じてみます。乗り移るといっても、魂が幽体離脱して相手の中に入っていくわけではありません。
あくまでもイメージで、その人になりきるのです。そうすると、「この選手は肩が力みすぎている」とか、「腰の意識が足りないから上半身で技を出してしまう」とか、「なるほど、重心が瞬間的にこちらにシフトしているから蹴りがおこりなく出るんだ」なんて発見をします。

形だって、どうやって実戦につなげるか、形をやっている時にイメージで浮かんできます。「相手が突いてきた、今の受けでは間に合わない。」「投げる時に運足はどのようにすれば良いか?」これらはイメージでわかります。


では、このイメージを強くするにはどうすれば良いか?

私の場合は、形の練習の時に簡単な形(例えば太極初段)を

1、左右対称に行う。
2、最終挙動から始まり、第一挙動で終わる。(逆回し)
3、左右対称の逆回し。

のように指導します。

頭の中にイメージがしっかりとできている人は、一発で簡単にできますが、イメージが浮かばないとなかなかできません。

また、一点をジッと見つめる練習なんかも効果的ですし、座禅を組むことも有効です。



こうやって改めて書いていくと、自分はなんて変な人間なのかと、改めて実感します。

練習の時に、突然にどんどん稽古メニューが浮かんで来たり、寝ている時に閃いたり、かと思えば、さっき浮かんだもの凄く素晴らしいことがいったいどんなことだったか全部忘れてしまい、凄いことだという印象だけしか残っていなかったりします。

また、生徒に話をしている時にどんどんトピックが浮かんできてしまい、それを話しているうちに全然話がとんでもない方向に行ってしまったり、絶対に言おうと思っていた肝心なことをすっかり忘れていたりと、周囲に迷惑ばかりかけています。

何とか、このあっちこっちに意識が飛ぶ傾向だけは何とかしないといけないなと真剣に思ったりしています。
 変な子の育て方
2014年01月23日 (木) | 編集 |
ここを読んでいる人で、「自分って変な人間だよなぁ・・・」と自覚している人はいますか?

私は、子供の頃から変でした。例えば、算数の時に答えの解き方が教科書通りでないと先生に指摘される。やってはいけないと分かっていてもやってしまう。右と言われたら絶対に左に行く等、他の子供とは明らかに違っていたのです。

これも私の生い立ちが特殊だったからだと思うのです。父親が電力会社に勤務していたため、小学校に上がるまで水力発電所勤務だったので、山奥でそれこそ動物と遊んで育ちました。兄弟はおらず、いつも一人で遊んでいたんです。
凄い山奥で、猟師が裏山でクマ狩りをしており、解体して背負って帰るところを母親がクマの肉を猟師から買ったり、家の近くにマムシの巣があり、一度家の中にマムシが入ってきたことがあります。

父親がこのままでは近くに学校がないので、転勤して人里に下りてきたのですが、親は入学前に3か月だけ私を保育園に入れました。
ところが、人と接したことがないので、友達とどうやって遊んでいいか分からず、ほとんど保育園には行きませんでした。
元祖不登園児だったわけです。

また、幼児の時に病名も分からない病気にかかり、低学年の時は休みが多く体育も見学ばかりでした。走るとビッコで、人並みに運動すると脚の筋肉が硬直して一晩中痛くて泣いていて、両親に脚をさすってもらっていました。

運動会も小学校6年間で3回しか出ていません。


こんな生い立ちなら、そりゃ変になりますよね。だから、物事の発想自体が未だに他人とは違うんですよ。おまけにジッとしているとイライラしてくるので、授業中もずっと騒いでいたのです。だから高校3年生まで廊下に立たされていました。今でいうADHDってやつでしょう。


さて、そんな私も歳を重ねると普通とはいきませんが、とりあえず人並みに近い生活を送れるようになりました。


で、今の子供たちを見ると、私みたいな子供が多いんですよ、これが。

街中で普通に育っているのに変?

まあ、変だといわれると気を悪くする人もいるでしょうが、変というのは私は「個性」と捉えているので、そのつもりで読んでください。

やはり核家族化が浸透し、おじいちゃんおばあちゃんから知恵を授かることがなく、おまけに親以外に他人に接する機会がなく、友達とも外で遊ぶことがなくなった。ということは、街中にいて、私が育ったような山奥の状況と同じ環境になってしまっているのではないかと思うのです。

でも、私が観察していると、こういう変な子って人が気づかないところに良く気がついて、私が時々「ドキッ」とさせられることがあるんです。

また、行儀の悪い子の中で、叱られると分かっていても何度もやってしまう子がいます。この気持ちすっごく分かります、私もそうでしたから。

私はよく先生に、「こんなことをやって良いと思ってるのか!?」と叱られましたが、心の中では「悪いことくらい分かっていますよ」と反論していました。

ではなぜ分かっているのにやってしまうのか?悪いと分かっていてこんなことしたら叱られるなと思ったら、本当にこれをしたら叱られるのかを検証したくなるのです。
で、叱られると「やっぱり叱られるんだな」と分かるわけです。

では、分かった時点で二度としないかというと、私みたいな捻くれた人間は、「この前は予想通りに叱られたけど、もう一度やったらどうなるだろうか?」という好奇心がムクムクと膨れ上がってきて、またやってしまうのです。


先生を困らせる子は、本当に困らせようとは思っておらず、かまってほしいから気を引くためにやっている場合が多いと感じます。

特にひとりっ子って変な子が多いですよね。でも、自分が極端にそうだったから、一人っ子の変さかげんがもの凄く理解できるんです。
私の道場生の中で、明らかに他とは異なる生徒がいますが、分かっていても自分の経験上、やっぱり叱らなければいけないのです。でも、心の中では「お前の気持ちはよく分かるぞ!」って思って叱っています。


こういう子の場合、保護者は我慢強く育てていただきたいと思います。注意力も散漫だし、人にちょっかい出して迷惑かけるし、叱られる要素はたくさんあります。そして、指導者も保護者もそんな時は叱っても良いと思います。叱られることを分かっていてやってしまっているわけですから、叱らなければダメなのです。

でも、叱る時に「なんでお前はこんなことがわからないんだ!ダメだっていうのが分からないのか!」と思うのではなく、「この子は、こういう性格なのは分かっている。分かっているのにやっているんだ。今すぐに治らないだろうから、こっちも根競べのつもりで叱り続けるぞ」と思って叱っていただきたいのです。


私も心の中では「自分の子供の頃と同じだ」と逆に親しみを感じて叱っているのですが、本当に怒っていると勘違いされているのかもしれないと時々反省しています。

こういう子って、大人が自分のことを好きか嫌いかってことは、普通の子以上に気にしているはずです。


我が子が稽古についていけないと諦めてしまう保護者の皆さん。もう少し気を長く持って預けていただきたいと思います。他人よりも能力がないから稽古について行けないのではないのです。来る時が来ればおそらく通常の子供以上に伸びる可能性があるのです。
ただ、それに時間がかかっているからなのです。


空手を指導していても、こういう変な子って、発想が他人と違うから、他の人間が見えないところが見えることが良くあります。いわゆる、当たり前のことは答えられないのに、誰も答えられないことを正解するようなところがあります。

つくづく、こういう資質を潰してしまうのはもったいないと思ってしまうのです。
 自分を変える勇気
2014年01月21日 (火) | 編集 |
自分を変える勇気、漠然としていますがやはり空手を指導しているとこれがないと上に行けないように思います。


みんな、自分なりには頑張っているつもりでいます。でも、他人から見ればとても頑張っているようには思えない生徒が多いものです。

気合が小さい生徒に「気合を大きくしなさい」というと、ちょっとだけ大きい声を出す。「まだ聞こえない。もっと大きな気合を出して」と言うとまた少しだけ大きくなる。
こんな生徒で勝つようになった例はありません。

踏み込みが浅くて、いつも突きが届かない生徒に、「もっと深く踏み込みなさい」というと数センチだけ深く踏み込む。でも、相手はさらに30㎝先にいる。
こういう生徒も、何年経っても同じことしか言われません。
 

このような傾向の生徒は、自分では頑張っている「つもり」になっているので、親には「一所懸命にやっているのに、先生が認めてくれない」と愚痴をこぼします。でも、他の指導者や生徒も「あいつはいつも手を抜いている」という意見で一致しています。

これは、例えて言えば、「宇宙に行くのに富士山の頂上に上って、少し宇宙に近づいたと勘違いしている」と同じだと言えるでしょう。これが富士山でなくエヴェレストでも同じです。標高8848mに到達しても海辺の標高0メートルにいる者と変わりないのです。

「頑張りが足りない」と言われて、数パーセントしか余計に頑張れないものは、何もやらないと同じです。目一杯やってあと数パーセントであれば大きな価値がありますが、ほとんど頑張らずに数パーセント余計にやっても無駄だという意味です。

自分を変えて2倍でも3倍でも頑張って、初めて他人は頑張っていると認めてくれるのだと思います。周囲から、「それはちょっとやりすぎでは?」と思われるくらい頑張って初めて他人は評価してくれるのです。


また、いつも本当に一所懸命に頑張っているのに、毎回同じパターンで負けてる生徒がいます。一所懸命具合ではどこに出しても恥ずかしくないくらい練習態度が真面目なのです。でも、心に余裕がなく、いつも同じことしかしないから、同じパターンで負けてしまう。

この子の場合、思い切って練習の時にいろいろと試し、負ける覚悟が必要です。練習の時に負けたくない一心で得意なことしかやらずに勝ってしまうから、いつまで経ってもワンパターンの空手しかできない。だから、ちょっと強い相手になるともう通用しなくなる。



頭を使う習慣、これも常にそういう考えを持っているかどうかに関わっています。

実は、19日の日曜日に大きな大会がありました。ある2名の選手が決勝戦で、相手は両名とも右構えで逆体の相手でした。この2名は対照的な空手をします。一人は相手を対戦前に分析し、事前に何をすれば良いか、何をしてはいけないかを分かっている。もう一人はひたすら頑張るタイプ。

結果は対称的でした。

試合内容をみていると、ひとりは上段蹴りのブロック法も、稽古でやった事を実行していた。そして質問すると、相手が逆体と分かった時点で、対策を練っていた。

もう一人は、相手が逆体と分かっていたが、何も対策を練っていなかった。上段蹴りのブロック方法も、まったく教わったことをやろうとせずに、やはり食らってしまった。

私は、この生徒が全く相手のことを考えずに自分だけ必死になって戦っているのを知っているので、横にいた先生に、「この子は、上段蹴りがたまたま入れば勝負は分かりませんが、突きでは1ポイントも取れないはずです。」と試合前に言いました。案の定、上段蹴りを食らい、本人は1ポイントも取れずに負けてしまいました。


前者の対策を練っていた生徒は、狙っていた技を決めて優勝しました。これも、そばにいた先生に、「彼は必ず相手を分析していますから、優勝間違いありません」と言っていました。


また、投げられないための対策をここのところしつこいくらいにやっていましたが、この決勝戦で負けた生徒は、何度も同じパターンで倒されていました。


技を習ってもいつもその時に聞いているだけで、全部忘れてしまいその後何も練習をしないから自分のものできない。対して、勝った生徒は教わったことを覚えていて、その後の練習で使い続けるから自分のものにできます。

この問題に関しては、生まれ持っての資質もあるでしょうが、やはり育ってきた環境が大きいのではないかと思います。


上記の3例で、伸び悩んでいる傾向にある生徒は、「自分を変える」勇気が必要です。自分が変わろうとしない者は、言い訳が多くなります。自分を正当化する理由をいつも考えている。まあ、人間とはそういうものかもしれません。


しかし、こうやって偉そうなことを書いている私自身も、自分を変えることは物凄い勇気が必要なことはよく知っています。そして、私自身も自分を変えることは容易にはできません。


こんな時、何か具体的な目標があれば、大きな決意をもって事にかかれば、自分を変えることはできると思います。そして、いつ自分を変えるのか、それは大事な試合に負けて悔しくてたまらない時がベストではないかと思うのです。


19日に試合を終え、20日の稽古でさっそく、これまで以上のやる気を見せてくれた生徒が何人かいました。こういう生徒がいてくれると、指導者は「、またイチから頑張ろう!」という気持ちになります。

その点では、人間の真価は勝った時ではなく負けた時にあるのだとつくづく思いますね。
 演技も大切
2014年01月18日 (土) | 編集 |
形や組手の競技で、過度な演技をするのは好ましいことではありません。ただし、私は特定の選手に対し、

「大げさに演技をしろ!」

ということがあります。


形で、上手だけれど技がそれほど強いわけではなく気合も普通という選手が多い、というよりも通常はこんな選手の方が多いのではないでしょうか。

その種の選手を観察していると、やる気もほどほど、表現力もほどです。100%の力を出せといっても、自分なりにはやっているのでしょうが、他人から見れば頑張っていないのと同じです。

そんな時は、

「バランスを崩して転んでも良いから、脇が空いても良いから、軸がぶれても良いから、とにかく般若のような形相で、気合も胃袋が喉から出るくらい大きな気合いで、100%の力を出してやってみなさい。」

と言いますが、それができれば最初からやっているんですよね。


昨日の練習で、無表情で普通に形をやっている生徒に、

「自分が考えられる限りの怖い顔を大げさにやってみなさい。」

と言ったのですが、普通に目がきっとなっただけで、顔の筋肉がほとんど動きません。

演技をしても審判にはばれてしまいますが、無表情のために損をしている選手は、そうであっても一度大げさに表現した方が良いと思います。

「どうしても勝ちたいんです!」

という意思を身体中で表現すれば、審判の心は少しは動きます。

「できれば勝ちたいです。」

と80%程度の力で形をやっても、他人の心は動きません。


組手でも同じです。例え自分の技が入ったと思っても、旗を上げるのは他人である審判です。審判の心が動くから手が動くのです。
ですから、形でも組手でも、審判の心を動かすような気持ちが一番大切です。


80%でやっても他人の心は動きません。90%でも動くことはないでしょう。練習の時から100%の心がけをしておかないと本番で100%を発揮することはできないと思います。


私は、若い時に海外でコマーシャルタレントをしていました。CMで日本人役がほしい場合は、日本人として登録している中から、それに見合う人間を探してオーディションをします。

たった30秒のCMでも、役が決まったら数日のワークショップで顔作り、役作りを行い、何十回も1シーンを取り直します。

私などは、素人でしたが、時折プロの役者さんと共演する事がありましたが、直前まで談笑していたのに、カチンコが鳴ると、一瞬で役になりきる見事さに驚いたものです。

瞬間で場に入ることができるだけのスキルを役者さんたちは当たり前のように身に付けているわけです。


私は、自分の生徒たちを見ていて、

「演技の勉強をしたら、この子たちの空手の成績はどこまで上がっていくだろうか?」

と常々思ってしまいます。


例えば、最近のおしめは性能が格段に良くなり不快感がない。だから、乳児の時から大きな声で泣く必要がない。友達と取っ組み合いの喧嘩もしたことがないので、相手を睨んだりしたことがない。

こんな環境の変化が、子供たちをますます無表情にしているのかもしれません。


また、日本人は海外の人と比べても、顔の筋肉を動かす習慣がない分、表情が分かりません。その分、表現力が乏しい傾向にあります。

当道場の保護者には、その道のプロにいらっしゃるので、演技の指導もしてもらおうかなと考えています。


 寝食はすべての基本
2014年01月06日 (月) | 編集 |
新年明けましておめでとうございます。本年もネコ共々よろしくお願い致します。

さて、私は元旦生まれで年が明けるとともに誕生日が来て、あわただしい正月を毎年迎えています。昨年は、元旦の朝に黒ネコが行方不明になり、初詣のお願いが、「ネコが帰ってきますように」となってしまい、自分のことや家族のことのお願いができずに終わってしまいましたが、今年は、通常通りの初詣ができました。

私の実家は、閑静な住宅街に建っていますが、目の前が畑で横が空き地になっていて、動物たちには天国のような場所です。毎朝、私はネコたちと散歩に出かけていました。昨年いなくなた黒ネコは、実家に連れて行って土地勘がないくせにひとりで遠出をしてしまい、帰り道が分からなくなってしまったのだと思い、今回は私が同伴で散歩に行き、土地勘を植え付けることにしました。


うちのネコは、私が家を出るとちゃんとついてくるんです。ずっと私の前後を歩いて、家に戻る時も「帰るよ!」と言うとちゃんと後ろをついてきます。困ったのは、年始のあいさつで近所を訪ねた時に一緒についてきて、挨拶先のお宅に上がり込んでしまったことでした。
私が「新年、明けましておめでとうございます。」と言ったとたんにネコが2匹現れて上がり込まれたら、そりゃビックリしたでしょうね。ホントにご迷惑をおかけしました。



さて、先月は、インドでの当会の世界大会、その後年末の29日までに2回の合宿と、年末まであわただしく空手をやっていました。
夏にこのブログにも書きましたが、今回は韓国から6才のくそガ・・・いや、かわいいお子ちゃまから、韓国代表の選手まで、幅広く合宿に参加していただきました。

海外からの参加者を見ていつも思うのですが、小さい時は日本の子供と比べると、ホントに自由奔放でまじめに練習をしないんです。だから、日本人の同じ年齢の子と練習しても全然適いません。レベルに雲泥の差があるんです。

ところが、年齢が上がるにつれて、練習にまじめに取り組むようになります。汗をビッシリとかいて一所懸命に練習してくれます。

また、技術や知識の吸収が早いのにはいつも驚かされます。本質的に頭が良いんですよ。


今は、日本の足元にも及びませんが、彼らが本気になればすぐに追いつかれるだろうなと思ったのが、形を指導した時に感じた彼らの身体の強さでした。
おそらく中学生以上でも、きつい練習に耐える体力は、日本の選手の方が上だと思います。練習量が全然違いますから。

でも、彼らの体幹の強さは半端ではありません。これは私が中国で指導した時も同じことを感じました。その理由が分かったのは食事の時です。
とにかく食べるんです。特に韓国代表の形選手で、アジアでは何度もメダルを獲っているチヘ・チョイ選手の食べることといったら、半端ではありません。

私は常々、自身の指導体験から、「何でも食べる、どこでも寝れる。これが一流になる絶対条件だ!」と言っています。好き嫌いがあったり、枕が代わると寝れなかったりと、神経質な選手は国際大会でのプレッシャーでなかなか実力を発揮できないものです。

その点、彼女の食欲はメガ級の凄さですから、ちゃんと指導を受けたら世界でも表彰台に乗れる時が来るかもしれません。


指導者として、ものすごく教えがいのある選手たちでした。


私は、合宿や合同稽古の時など、みんなで食事を取る時に、最後まで残さず食べさせます。本当に最近は「この子は、おそらく水さえかけておけば。光合成かなんかで生きて行けるんだろうな。」と思うほど食べない子が多いですね。こんな摂取量でよく生きているなというくらい小食です。時に男子が全然食べません。

私が海外に住んでいて、今も時々海外に指導に行って感じること。それは、日本は高校や大学で空手を主にやっていれば優遇され、卒業もできる。でも、海外では学生は勉強を主にしなければならず、空手で特待生になるなんていう国は、ほとんどない。
日本は練習量もダントツで多いし、技術的にも高いのです。

けれど、空手以前の人間としての生命力自体が日本人は弱いような気がします。
だから、小さい時は突きも満足にできないような子が、数年経つと国際大会で日本人に勝ってしまうようなことが頻繁に起きるのだと思います。

首を切り取られても死なないのではないかと思うくらい、タフな選手が海外には多いですから。



それ以外で、私が感心するのは、昨年夏から何度も日本に来てくれているユン先生が、いつも家族連れで来日することでした。本当に家族を大切にしている良いパパなのだなと思うのです。

彼の家族を大切にする姿勢を見ていると、人間として信用できる人だなと感じます。これなら子供も立派に育てることができるだろう。指導者としても信頼出来る人だと確信します。



さて、今月と来月はまた海外への指導が入っています。そうなるとネコと何日も会えない日が続くから、今のうちにネコと遊んでおかなければ。

ところで、ネコを大切にしている私を、世間では信用できる人間だと思ってくれているでしょうか?


熱心に形を習う韓国の参加者たち(上半身裸の奴は無視してください。変な日本人ですから)

韓国


私と散歩するネコたち

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