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 引き手にこつがある 2
2013年10月31日 (木) | 編集 |
昨日に続き、引き手の話です。引き手ってなんで脇に拳を引くのか、考えたことがありますか?

私はずっと疑問でした。実際の戦いの時に脇に拳を引いたら防御ができないし、突きの衝撃力を計っても数値が低いし、「絶対空手って変だよな。使えない事ばかりだ。」なんて、若い時は思っていました。

ところが、肩甲骨を意識し始めて、上半身の使い方が分かってくるにしたがい、引き手の意味が少しずつ分かってきました。ひとつ分かればふたつ分かる。ふたつ分かればみっつ分かる。ドンドン分かってくるものです。

さて、では何が分かったかというと上半身の使い方です。引き手を取ることで肩甲骨を最大限に使用する。最大限に使用できれば、威力も距離もスピードも明らかに向上します。加えて起こりのない動きも可能になります。

さて、引き手の取り方が分かると、自然に肩甲骨を使って突くことができることは昨日の記事で書きました。では、肩甲骨が使えるとどうなるかというと、突きが決まった瞬間に拳を押してみればわかります。そうとう強く押してもビクともしないのです。

ゆっくりと、肩甲骨を使って突いてみると分かりますが、腹筋が信じられないくらいに締まるのです。別に特別意識して腹筋に力を入れているわけでもないのに、自然に突くだけで腹筋が痛いくらいに締まります。

これは、剛柔流をやっている人は分かると思いますが、三戦の姿勢そのものです。つまり、三戦という形は、ただ、力んで呼吸音を出してやるだけではほとんど効果がないと言えるでしょう。
まず、姿勢を作る。肩甲骨と骨盤の使い方を勉強する。そして呼吸と動作を一致させる。

ここまでわかれば、三戦を行うことで、競技に大きな効果を発揮できるはずです。威力もスピードも増し、おこりのない動きも可能となるわけですから当然ですね。


空手ってつくづく深いなぁと思います。拳の握り方だけでもいつまで経っても分からない事ばかり。引き手も分かれば分かるほどますます次の疑問が湧いてくる。

立ち方もしかり。ただ足を前に出すだけで、なんでこんなに悩まなくちゃいけないの?というくらい疑問だらけ。いつまで経ってもゴールがないどころか、ドンドンゴールが遠くなる。というよりも、ゴールなんてはなからないのではないかと思います。

また、基本と形と組手は分けて考えてはいけない。競技空手も空手のうち、伝統技法と競技としての技術も分けて考えてはいけないと思います。必ず、それらはリンクしているのです。

皆さんも引き手について、今日の稽古で考えてみてはいかがですか?
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 引き手にこつがある
2013年10月30日 (水) | 編集 |
最近は技術的な記事が少なくなっていましたので、今日は純粋に技術の話をしましょう。
大会の審判をやっていると、当ててしまってカテゴリー1のワーニングを取られる選手がいます。こういう選手は中段突きはしっかり突けるかというと、今度は届かずにポイントが取れないものです。

原因は、感覚が鈍いことです。以前も書きましたが、突く時に目標との距離を感じるセンサーがあります。手と肩の前のところです。
このセンサーが鈍いと、当ててしまったり届かなかったり、つまり「当て感」が悪いということになります。

この当て感は、先天的なものも大きいとは思いますが、基本をしっかりやっていればカバーてきるはずです。まず、しっかりと手をしっかりと握る、開くことを心がける。突きはちゃんと握る、受けで開く時は指先までピッと伸ばす。
次に突きは腕で突かず背中で突くことです。肩甲骨をしっかりと使って突けば良いわけです。試合で当てることが多い選手は、後ろから見ていると肩甲骨が使えていません。

たから、これらは組手で直さずに基本で直した方が良いと思います。

ここからが本題です。では、どうやって肩甲骨を使って突くのか?これが問題です。

結論を言ってしまえば、引き手に秘密があります。あるこつがあり、その通りにやると、自然に肩甲骨を使って突くことができるのです。

試合に勝ちたければ正しい基本を身につける。これの典型例です。

私は、競技で勝つためのセミナーを行っていますが、本当に勝たせたければ、ドンドン基本に戻ってしまいます。
この内容は、今月から公開しています。
 勉強も大切
2013年10月28日 (月) | 編集 |
今回は、保護者の方に読んでいただきたい内容です。

中学生が高校で強豪校で空手をやりたいと思ったら、空手もそうですが学業も頑張らなければなりません。
少なくとも、全教科3以上の成績を取るというのが、条件の学校が多いです。

私が中学生の頃と比べ、先生が1や2を付けることが極端に少なくなっていますから、それでも1か2をもらっている生徒は真剣に考えた方が良いと思います。

私の道場では、試験前には中学生は勉強のために稽古を休むことを許可しています。生徒によっては2週間前から休む者がいます。
私は5教科の点数を毎回中学生に訊いていますが、勉強の量と点数が一致していないことが多いのです。

別にそれは不思議でもなんでもありません。勉強の時間を増やしたからみんな成績が良くなるなんてことはないのです。

自分が何をやっているのかハッキリしている生徒は10m先から見ていてわかります。教科書を開いていても、まったく内容を認識できておらず、自分が何をしているのかわからない生徒もすぐにわかります。

8月6日の記事で、アメリカの生徒たちが当道場に宿泊し、一所に寝泊まりして稽古や勉強をして銭湯にも行ったことを書きました。
その中で、勉強をしてる写真がアップされていますが、これを観ても、ひとりひとりの学力がだいたいわかるものです。

私が確信したのは、夏に来てくれたアメリカの子供たちで、勉強の仕方が分からない子は一人もいなかったことです。
日本の生徒たちは半分は大丈夫、勉強の時間さえ与えれば自分で何とかできるだけの基礎学力がありましたが、半分は勉強のやり方から教えてやらないとダメだなと思いました。

なぜ、一瞬でそれが分かるかというと、勉強中の姿勢を観るのです。集中力はどうか、根気があるかは姿勢で分かるから10m先からでも大丈夫なのです。

永年指導畑にいると、空手も学業も何がダメでどこをどうすれば良くなるのか、ひとりひとりに対し明確にわかります。


当道場生の保護者で、

「ただ、勉強の時間を増やしただけではダメですよ。勉強のやり方自体が分かっていませんから、やみくもに時間を与えても無駄です。」

と言われた方がいます。
塾に行っている生徒もいますが、勉強のやり方学ぶのであれば個人指導を選んだ方が良いと思います。


空手もそうですが、要領の良い生徒は物事の法則を把握するのが上手です。それと目的意識が明確です。今何をやっているのか、そこにハッキリとした意思が感じられます。

記憶も応用もこつがあります。こつがわからないければ膨大な時間がかかりますし、時間をかけてもわからないかもしれません。

ですから、「うちの子は勉強が苦手で」と言って、家で自習だけさせるというのが最悪の選択です。やり方がわからない子が24時間自習の時間をもらっても、成績はほとんど変わりません。

こつを掴む習慣があれば、他人の何分の一の時間で他人以上の点数を取ることができるでしょう。

まだ、お子さんが小学生で、何年後には空手の強豪校に入れたいと思っているのであれば、今のうちにお子さんの学力を把握しておいた方が良いと思います。
 整列はすべての基本
2013年10月26日 (土) | 編集 |
今回、インドに行って、最もビックリしたことがあります。私は、今回いくつかのインターナショナルスクールを訪問しました。その中の一つで、体育として空手を導入している学校で昇級審査を行いました。

小学1年生から6年生までだいたい200名くらいです。

最初に小学3年生が入ってきました。驚いたことにきれいに1列に並んで入室し、見事に整列したのです。日本の学校では、きちんと整列することを指導できないために、道場でも整列にものすごい時間がかかっています。当道場もたった20人のクラスでも毎回整列に何分かかっているでしょうか?

それがあのインド人が、自己主張の強いインド人がですよ!きれいに並んでいるのです。そして、審査が始まってまたビックリ! みんな上手なのです。一部の生徒は毎年日本に来ていますが、そのつど「まだまだだなぁ」と思っていましたが、それは日本のように徹底して空手をやる環境にないからです。なぜかって、勉強が忙しくて空手を毎日のようにする時間が取れないのです。週末には必ず遠征か大会があるなんていうのは、私が知る限り日本だけです。

トップレベルは日本の足元にも及ばないのですが、逆に学校体育としてやっていて、果たして日本でここまで上達させることができるか疑問に思いました。

一つの学年が終了すると順に退出し、次の学年が入ってきます。凄いのが1年生もきちんと並んでいたことです。日本であれば絶対に無理でしょう。1年生はまだ空手を始めて4か月程度のはずです。もう突きと受けと蹴りがちゃんとできていました。
当道場の生徒は1年経っても、このレベルまで行っている生徒はごく僅かでしょう。そのくらい、上達の度合いが違っていたのです。

また、ほぼ全員が集中力を切らさず、キッと正面を見て審査を受けていました。


私は、

「体育として週4回くらいやっているのかなぁ…。それにしても見事だ。」

と思い訊いてみたら、週2回1セッション30分だけだそうです。30分のクラスだと整列に手間取っていればすぐに10分くらい経ってしまいます。

私は、これが真の教育だと思いました。指導者の指示通りに動き、規律も守る。教育の最も重要なものが1年生からしっかりと指導されていたのです。


最近の日本の生徒で気になるのは、ボ~ッとして正面から話しかけても気づかない生徒がいます。上段挙げ受けの練習をしている時に、中段の受けを一人だけしていても気づきません。
正面を向かずに空中をボ~ッと観ている子がいます。
話しかけられても返事をしません。

この日のインドの子たちに、このような傾向の生徒はいませんでした。

私は日頃、

「整列がきちんとできれば、空手の上達は早い、整列ができないうちは何も覚えることは出来ない。整列はすべての基本です。」

と言っていますが、インドの子供たちを見て、さらにその思いが強くなりました。

学校でそれが出来なければ空手でやれば良い事です。時間になったらきちんと整列する。そこにすべての基本があるように思います。


もちろん、インドのすべての学校でこのような指導をしているわけではありません。しかし、トップレベルの学校は、間違いなく現在の日本が失ってしまったものをシッカリと教育しているのです。こういう子たちが30年後、40年後には国のトップとして、政治・経済を引っ張っていくのです。
貧困層は、この上流層の何百倍もいるでしょう。それがインドという国なのです。

しかし、世界を股にかけ他国のトップと対等以上に渡り合える実力を持った者は、日本人よりもインド人の方がはるかに多いでしょう。

日本の教育も考え直さなければいけない時が来ていると強く感じます。




そういえば、審査の最中に前の子の背中をついている子がいました。突かれている子が先生に訴えると、突いた子は謝らず、

「彼が僕の突くところに立っていたから彼のせいです。」

と、とんでもない言い訳をしているのを聞いていて、ようやくやっぱりインド人だなぁ・・・、と安心しました。
 見返りを求めない善意
2013年10月24日 (木) | 編集 |
さて、昨日は桜の押花が日本への夢をふくらませたことを書きました。昨日は書きませんでしたが、この方こそが本年インドで行われる当会の世界大会のメインスポンサーなのです。

もし、この方がインドの支部長のツテだけのつながりであった場合と、50年以上前の少年時代に日本人との交流があった場合では、協力の度合いは随分と異なってきます。

ですから、この50年以上前に桜の押花をインドに送られた方の恩恵を、同じ日本人というだけで見ず知らずの我々が受けているということになるのです。

人の縁というものは不思議なものですね。



今日は、実際にあったお話を書いてみましょう。

インドは毎年のように学校が休みになると日本に合宿に来ています。まあ、そこでは生活習慣の違いからトラブルが絶えず、私も何度業者さんに頭を下げたのかわからないほど謝りました。

ウィークリーマンションを借りるのですが、靴で部屋に上がる。ベッドで食事をしてマットをカレーと泥だらけにする。壁に落書きをする。カーテンにぶら下がり、カーテンレールを捻じ曲げる。階に設置してある消化器を撒き散らす等、破壊の限りを尽くしたりしたことがあります。

そこを平身平頭彼らに成り代わって謝罪し、弁償するのですから大変です。(もちろん、弁償は彼らにさせますよ)

その彼らが来日していた数年前、こんなことがありました。当時インドの支部長は来日せず支部長の奥さんが子供たちの面倒を見ていましたが、帰国の前日に支払いのために銀行に行って両替をした後、地下鉄に乗ったら寝てしまい、降りる駅を随分すぎてしまいました。都内を移動していたはずが、気がついたら長津田まで行ってしまったようです。

土地勘のない人にはどこと書いてもわからないでしょね。とにかく1時間くらい寝過ごしたのです。

彼女は、目が覚めて慌てて電車から降りた時に、ビニールの袋に入れた銀行で両替したばかりの現金13万円を電車に置いてきてしまったことに気がつきました。
困って通りがかった女性に助けを求めたら、その女性は駅員に事情を話してくれて、警察にも届けてくれました。

当時、私は墓参りで栃木の実家に帰っており、これから長津田に向かっても三時間以上はかかるし、置いてきたのが現金だけでは戻る可能性もないとあきらめていました。私も1時間おきにお客様センターに電話して聞いていましたが、当然のように現金の落し物はありませんでした。

すると夜の9時過ぎに支部長の奥さんのところに男性から電話があり、現金を電車の中で見つけたので連絡してくれたそうです。なぜ電話がわかったのかというと、銀行の両替したレシートに書いてあったそうです。

その方は葛西に住んでおり、外国人では取りに来るのが大変だろうと、それからわざわざ中野まで夜の11時くらいにお金を届けに来てくれたそうです。
そして、何もお礼も要求せず、すぐに立ち去ったそうです。

次の朝にインド人たちが空港に着いてから私はそれを聞き、お礼をしようと電話番号を訊いたら、携帯電話がレンタルだったのでデータを消去して返却してしまったそうで、その方にはお礼も言えないままになっています。

私はこの方に対し感謝の気持ちでいっぱいです。外国人からすれば、電車の中に置き忘れた現金が戻ってくることなど奇跡に近いことだし、ましてやわざわざ電車で1時間もかけて届けてくれて、そのまま立ち去るなどという行為は信じられないと思います。

このような善意が、その人だけでなく日本人全体の評価として世界中に広まっていけば、結果としてどれだけのメリットが生じるかわかりません。
帰国したインド人たちは、日本で起きたこの奇跡を何人の人に伝えるでしょうか?

日本人がどれだけ正直で親切かを一生語り続けることでしょう。


また、長津田駅で警察官や駅員の方が英語が話せないということで、貴重な時間を割いて通訳してくれた女性にも感謝したいと思います。

「見返りを求めない善意」こそが最大限に評価されるものです。その意味で、この現金を届けていただいた方こそが、日本人のあるべき姿を見せてくれたのではないかと思うのです。


最近、インド人に成り代わって謝罪したり感謝したり、時々「俺って一体何者?」と思う時があります。
 桜の押花
2013年10月23日 (水) | 編集 |
日本人とは何か?
答えを知りたかったら、外国で外国人に囲まれて生活すればすぐにわかります。自分が意識するしないに関わらず、周囲は日本人として扱うからです。

今回、インドで大変高い地位にいる方と食事をしました。うちの支部長が日本がどんなに素晴らしい国かを力説しました。

「電車やバスに乗るのに人々は並ぶんですよ。誰も横から割り込まないんです。」

「道を聞くと誰も丁寧に教えてくれます。店の人に訊くとわざわざ外まで出て教えてくれるんです。」

「買い物をしても笑顔で接してくれます。そして、丁寧に頭を下げてありがとうございましたと言ってくれるんです。」

「日本人は、約束を守ります。だから、口約束だけでいいんです。嘘をつきません。」

最後は少々耳が痛いですね。

すると先の方が、

「私は少年の頃、日本人のペンパルがいました。」

と言います。

そういえば、私の少年時代にも外国人と文通をしている人がいましたね。

この方は、今でも日本人の名前を覚えていました。

「日本では、桜はいつ咲きますが?私は桜の季節に是非日本に行きたいと思い続けてきました。」

「ペンパルがある日、日本のものを送ってくれたのです。折り紙や絵葉書がありましたが、中に乾燥した花がありました。私は、これが一体何かわからずに母に聞きました。」

「母は、これは桜の押し花で、桜の花はある季節になると満開になって辺り一面に咲き乱れることを聞き、いつか満開の桜を観に日本に行きたいとずっと思っていたんです。」

と、話してくれました。

私は幼少時、病弱で人並みに運動ができなかったこともあり、世界地図を眺めながら

「いつか世界を回ってみたい。」

と、夢見ていました。
当時は、世界は168カ国くらいだったと思いますが、国の名前を全部覚えたものです。

今のように気楽に国際電話もできず、スカイプで互いの顔を見ながら話すなんてのは遠い未来の技術だった頃の話です。ネットで検索もできず、何かを知りたければ図書館にいかなければなりませんでした。

この方のように、遠い国からの贈り物に夢を膨らませ成長した人間が今や国の中枢で活躍している。こんな素敵な国際貢献はないのではないでしょうか?

日本が国際的に地位を揺るがないものにして、世界中の人たちと仲良くやって行くには、今も昔もこの方のペンパルの日本人のように、心のこもった草の根の交流が一番なのです。

当時、海外に物を送るのは、決して安くはなかったでしょう。しかし、もしかしたら将来の国際交流の場で万倍倍もの効果になることだってあるのです。
ひとつの桜の押し花が、異国の少年の胸をときめかせ、一生日本に憧れ続けることになる。その少年が成長して社会のリーダーとして何らかの形で日本に関わることになれば、先方は最初から好意的な態度で接してきます。

桜の押し花という、日本の心を送られた彼のペンパルだった人はいったいどんな方なのでしょうか。
 慌ただしい日々
2013年10月20日 (日) | 編集 |
しばらく、記事を書いていませんでした。これには理由があるんでんす。私の所属する会派の世界大会が12月にインドのムンバイであります。私は大会実行委員長を仰せつかったので今、準備のためにムンバイにいます。

みなさんが海外旅行に行くときは、何ヶ月前から計画して行くことばかりかと思います。私の場合もそうですが、時々

「明日来い!」

という時があります。

今回がまさにそれでした。
準備で大会前に行かなければならないことは決まっていたので、あらかじめビザは取っておいたのですが、国際電話で

「9月10日に来てくれ」

と言われ、間近になっても何の連絡もなし。9月末に

「10月の第2週に来てくれ」

と言われ、チケットを待っていたら何も連絡なし。

そして、10月初めに

「17日に来てくれ!」

と言われ、16日になっても何も連絡がなかったので、

「どうせ、また延期だろう」

とタカをくくっていたら、午後9時にいきなりeチケットを送ってきました。

慌てましたよ!その時は私は愛知の道場で指導し、これから夜行バスで帰るところでしたから。それを午前中出発の便のチケットを送ってくるのですから。

早朝、新宿にバスが着いて即電車で家に帰り、パッキングを10分で終え、すぐに車に乗って成田空港に向かいました。チェックインできたのが離陸1時間前です。間に合うかどうか、かけに近いものがあったので、呼吸が浅くなり、実際に飛行機に乗るまでは生きた心地がしませんでした。
おまけにうちの支部長、健康器具を頼んだものだから、荷物の制限が20キロまでなのに、その荷物ですでに14キロもある。
自分の荷物は機内に持ち込めるケースとパソコンだけ。完全に運び屋状態でした。

我ながらよく間に合ったものだと感心しています。


ということで、インドに来てから週末の予定のキャンセルの連絡を入れた方々には、この場をお借りしまして心よりお詫びいたします。m(_ _)m


こちらでは空手の指導、大会の打ち合わせに加え、大会のアドバルンをぶち上げるための営業活動を行っています。一昨日は某ミッションスクールの創立150周年運動会に参加し、炎天下の中をスーツ姿でテント内で観戦し、その後2つの学校の経営者に協力の支援要請。
明日は、大々的な記者会見が行われます。
まあ、日本から大会を盛り上げるために来たという設定でアピールして盛り上げたいのでしょう。

よく、新商品のキャンペーンにB級コメディアンが駆り出されて時々滑りながら宣伝をしている、あれと同じような感じですよ。

いろいろと学校を回って思ったのですが、子供たちが皆元気です。学校に入った途端に子供たちが近寄ってきて周りを取り囲む。10人以上がいっぺんに話しかけて来て、「俺は聖徳太子じゃない!」と内心思ったり、小さな手が千手観音のように出てきて握手を求めてきたりと、クチャクチャにされました。
でも、子供たちの好奇心いっぱいの目を見ると、

「もっと、日本の子供たちもこういう目をしなければいけないんだよなぁ…」

と、思ってしまいます。


それにしても、今回の主催者であるうちの支部長の精力的な行動には舌を巻きました。終日いたるところで大きなゼスチャーを交えて熱弁をふるい続けています。普通の日本人ならば耳栓をしたいくらいの大音量での会話は、もの凄いエネルギーです。
これでは首を切っても死なないのではないかというくらいの凄い生命力ですよ。

私は携帯電話を3台持っているのですが、彼はそれ以上持っていました。ひっきりなしにどれかの携帯電話が鳴っていました。


世界に出るということは、政治でもビジネスでも空手でも、こういう人たちを向こうに回して互角以上に渡りあっていくことなんですよね。
この人たちと日本人が互角に渡りあうには、栄養ドリンクを何本飲んで、高麗人参茶を飲んで、にんにく注射を打って・・・、それでも難しいでしょう。

あと2日、こちらでの営業活動を頑張ります。

ムンバイ2
 友情は冷めない
2013年10月11日 (金) | 編集 |
ここのところ、3ヶ月ぶっ続けで海外からの客人を指導していました。今、暫しの休憩ですが、今月海外指導が入り、11月にはまた海外からの客が2か国から訪れます。

正直、しんどいですよ。自分の仕事ができずに海外からの客人をもてなすのですから。でも、私にとっては恩返しの意味もあり、また友人に楽しんでもらいたいとの思いから、「来たいやつはみんな来い!」となっちゃうのです。

未だに大したことないのですが、それでも今の自分があるのは海外の人たちのおかげなのです。海外数か国で11年もナショナルコーチをさせてもらい、多くの迷惑をかけたにもかかわらず、その国の人たちが寛大な心でそれを許してくれたからだと思っています。

日本人だからと差別されたこともありましたが、それよりも日本人だからと優遇されたことの方が何倍も多いのです。うちの子供たちは3人とも海外で生まれましたが、小さい頃を知っている人は、未だにうちの子供たちにもお土産を持ってきてくれます。

海外の人って、友情が冷めないんですよ。
先日とてもうれしいことがありました。当時スリランカ在住で、日本に研修に来た時に3週間滞在・指導の面倒を見て、その後スリランカにも指導に行ったのですが、研修に来た3人のうち1人が直後にデンマークに移住しました。

知り合ってからもう6年になりますか。そのデンマークに移住したスリランカ人が2年前に名古屋に来ているから少しだけでも会いたいと連絡が来ました。名古屋駅で30分ほどマクドナルドで話をして別れましたが、今回も事前に「日本に行くので会いたい」とメールが来ました。本来であれば食事くらいしたかったのですが、私も他国から来た指導者との稽古があり、なかなかスケジュールが合わなかったのです。
すると、「挨拶だけでも良いから」と、わざわざ当会の本部道場までお土産を持って会いに来てくれたのです。彼は奥さんを連れて来てくれましたが、私はその後審査があったので、ほんの10分ほど話をして彼は帰りました。

残念ながら彼の道場は当会の国際組織の傘下になっていません。それでも、わざわざほんの10分だけでも本部道場まで会いに来てくれた。
つまり、6年前の恩をズッと忘れずにいてくれているのです。


日本の素晴らしさ、空手の素晴らしさは、国籍・宗教・民族に関係なく、みんなが平等に習うことができる点です。そして、このように海外の人たちは友情が冷めず、いつまでも恩を大切に持ち続けてくれています。

私は、空手の技術の深さ・指導において他人を育てる楽しさもさることながら、こういう真の友人たちが世界中に多く存在することもこの歳になっても空手をやっている理由だと思っています。

そういう人たちと交流ができるだけで、自分の人生がどれだけ豊かになっているか、自分の仕事を犠牲にしてお金を使っても、十分な価値を得ることができるのです。

こうしてどんなに私が客人をもてなしても、私が行った時にはその何倍も彼らはもてなしてくれるのです。それを考えると、本当に幸せだなぁ・・・としみじみ思います。

これで、もっと収入があれば人生いうことないんだけどなぁ、やっぱお金も大切だよなというのが今日の結論でした。

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