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 チャリティ大盛況!
2013年09月30日 (月) | 編集 |
昨日は、尾張旭市空手道連盟のご尽力で、第3回目となるSay Oss!のチャリティを220名の参加をいただき行いました。 理事長の久野先生、案内・募集から当日の仕切りまで、獅子奮迅の活躍された古橋秀鷹先生、他お手伝い・生徒の引率をいただいた諸先生方、保護者・練習生の皆さん、この場をお借りし厚く御礼を申し上げます。
他県からも多くの参加者があり、200km以上離れた遠方から参加いただいた方もいらっしゃいました。

午前中は私のセミナー、午後は練習試合形式で行いましたが、講師を務めさせていただいた私自身も大変楽しい時間を過ごさせていただきました。

震災から2年半が経ちました。世間では復古支援はもういいだろうと思っている人もいるのではないでしょうか?私は、1980年代のアフリカの大飢饉のときに、被害の最も大きい国で空手を指導していました。フィリピンに移ると、度重なるクーデターで実際の撃ち合いをこの目で何度も観た。(私自身もアフリカで刺され、フィリピンでは軍に威嚇射撃を受けた体験があります)
ピナツボ火山の噴火は、同時期に噴火した雲仙普賢岳の100倍の規模でした。

2011年の東日本大震災は、それに匹敵する災害でした。世界中どこでも同じなのですが、1年目は日本中が支援支援で盛り上がります。しかし、2年目になるとパタリとなくなるのです。

だから、SayOss!は、今も変わらずチャリティを行い、本当に微々たる規模ではありますが支援を継続しています。

誰か、チャリティを行いたい方はいつでも連絡をください。日本中、どこでも飛んで行きます。
本当に日本中どこでも行きますよ!飛べない豚はただの豚ですから。

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※220名の参加者の下、盛大に行うことができました。

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※じゃんけん大会で、こんなにも多くの色紙やDVD、Tシャツが当たりました。写真は、勝利者です。




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 戦いのセンス
2013年09月25日 (水) | 編集 |
選手たちの戦いぶりを見ていると、センスのある子とそうでない子の差が大きいと感じます。当道場のエースのある生徒は、私が舌を巻くほど計算をして戦っています。

蹴りが得意な子で、得点の大部分は蹴りですが、大会の度に蹴りを決めていれば相手もわかってきます。対戦する選手は皆蹴りを警戒してきます。
普通の選手ならばこれだけ警戒されれば突きか投げでポイントを取るでしょう。
しかし、彼は相手がわかっていても蹴りを決めるのです。

加えて並々ならぬセンスを感じたのが、連休中に2日連続で大会がありましたが、彼は2日間のペース配分を考えて戦っていました。

細かに言うと彼の対策を教えることになるので詳細は書きませんが、相手が十分に警戒しているのに毎試合蹴りを決めるのですから、凄いことです。ただ、こういった稀にいる凄い選手は、一瞬で感じることが多いので、言葉で表現するのは苦手かもしれません。

まあ、生徒の普段の稽古の姿勢を見ていれば、本番でどのようになるかはだいたいわかります。
練習ではできるのに本番でできない者は、本番の緊張感を考慮していないからできないのです。

形の稽古でも、日本のトップクラスになる選手は、調整方法が違います。私は、いちいち全員が集団行動で同じことをするのはあまり好まないので、小学生のうちから個人で調整をさせます。

先月の全少の時も、放っておいても勝手に心身ともにピークに持ってこれる選手と、指示が必要な子がいました。
おそらく、「まだ、小学生なのだから、自分で調整なんて」と思うかもしれませんが、私が思うに、できる子は小さい時からできますが、できない者は大きくなってもできません。
自立心のある子は、自分の調整方法を知っているので、逆に指導者や先輩をこき使います。動きたい時に動き、休みたい時に休む。

そういう子は、普段の稽古でもテーマを自分で決めています。身体能力としてのセンスは、生まれながらにして身についている部分が大きいと思いますが、自立心は後天的な要素が大きいと感じます。


やはり、安定して勝つ選手は、自分の勝ちパターンを持っています。野球に例えると、最後はフォークボールで決めるが、その前に相手を追い込むパターンをいくつか持っている投手は、わかっていても最後はフォークボールで三振が取れますよね。

空手も全く同じです。やはり勝ちパターンに持って行くまでの前の段階でいくつかのカードを持っておくべきでしょう。

こういったセンスを磨くのも、普段の生活が大切なのです。
 国際交流と生徒の成長
2013年09月24日 (火) | 編集 |
先週末の連休は、2日続けての大会でした。韓国から、先月来日されたユン先生が今月もご家族とお弟子さんを連れて来日し、一昨日は大会を観戦に訪れてくれました。

正直、韓国の少年少女の空手は低いレベルです。しかし、今回訪れてくれた先生方を観ていると、そう遠くない日に日本に匹敵するレベルになる可能性があると確信するに至りました。

やはり、人を育てるのは人です。今回、食いるようにうちの道場の練習を観ていて、なんと道場生の顔をほぼ全員覚えてしまったのです!いったい彼のIQはいくつあるんだろう。主だった選手の名前までも憶えているんですから驚きです。

一昨日も、広い会場で8コートでやっていましたが、うちの生徒が出るたびに、彼が私に「ほらっ、7コートで○○の試合が始まるよ。」と教えてくれるのです。
物凄い記憶力です。また、指導者同士がハングルでいろいろと会話をしていて、私はハングルを話せませんが、なんとなく身振り手振りで理解できますが、随分と本質をついているなと感心しました。へたな日本の指導者よりもよほどわかっているなと・・・。

終日、トイレにも行かずにずっと観戦している集中力も並ではなかったですよ。いやはや、凄い指導者だなと感心しきりでした。



で、2日間の試合で感じたことは、勝負の綾はコート内ではなく、練習会場、観客席、そして普段の稽古や家庭環境にあるということでした。一昨日は審判をやらずに観客席で、観ていました。
とはいっても、たまたま勝てる日もあるしいくら頑張っても勝てない日もありますから、やはり評価は「点」ではなくこれまで選手がやってきたことを考慮し、この日の結果、そして今後の予想を踏まえて「線」として捉えなければいけません。

このブログは、当道場の保護者もご覧になっているのであえて載せますが、安定して勝てない選手は、自分の荷物の整理ができません。バッグのジッパーを閉めず、着替えたTシャツも安全具も放りっぱなし。こういう選手は、昨日はよくても今日は同じことができずに負ける。一方的に勝っていながら終盤に大逆転されるケースが多い。相性が良いと大勝だが相性が悪いと大敗、加えて接戦に弱い傾向があります。

私は、朝から気づいていましたが、生徒たちには言いませんでした。この子たちがどのような試合をするか、結果が出てから言わないと、選手も保護者もわからないと思うからです。


うちの指導者と生徒たちの話題の時、誰が強い誰は弱いという話は出ません。そんなのは見れば誰でも分かるからです。この日も話しをしていたのは、


某指導者「○○ちゃんは、この間の練習の時、誰か足の指から血を出して床に血が付いていた時、他の子は避けていたのをこの子は黙ってティッシュで拭いていました。普段大人しいのに、本当にしっかりしていますね。」

私「そうでしょ。あの子のお兄ちゃんもそうなんだよ。正直言って空手はとろいけれど、他人がやらない時に頼りになる子だから、親がしっかりと育てているんだよね。」


と、いつもこんな会話ばかりです。


私が大ファンの野村克也氏は、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」とおっしゃっていますが、私には多くの場合、勝ちにも不思議の勝ちなしの方が多いような気がします。


勝つべくして勝つ、負けるべくして負けるということです。

昨年は、形・組手でダブル優勝したある生徒が、今年は、形の準決勝で2-3で負け3位になりました。私は、彼女の方が良いと思っており「4-1か5-0で勝ちだな」と思っていましたが、結果は負けでした。形の最中に一つ気になったのが、「審判を敵にしているな」ということでした。

「審判を敵にしている」これを説明すると本1冊になってしまうほど深いのです。

つまり、審判に自分の技術を評価してもらえない。それには何か、技術以外の要素が含まれているからです。いくら自分が絶対に勝ったと思っても負けることがあります。逆にこりゃ負けたと思っても、勝ってしまうこともあります。

この子の場合、親子にじっくりとこの「審判を敵に回す」事の意味を説明しないと誤解されるので、ここでは書きません。やる気が空回りしてしまい、技が荒くなっていたとだけ言っておきます。

ただ、私が驚いたのが、負けた瞬間にいつもはポカ~ンとしてたのが、今回は悔しくて泣きながらコートを去ってしまったのです。その時に私は「変わったなぁ~」と感心しました。これまで、執念がないだの試合に向けての心構えが甘いだの散々言われてきたのが、この夏休みの間に別人のように変わりました。
午後の組手は、まるで鬼神のような攻撃的な組手で優勝しました。韓国の先生方も「あの子は凄い!今日1日で大ファンになった!」と絶賛してくれました。

私も彼女にうちで空手を始めてずっと辛口の評価をしてきましたが、今回は初めて100点満点を与えました。試合前の練習から汗だくになって必死にやって、コート脇に整列して立っている時も微動だにせず、まっすぐ立っていたことから、並々ならぬ集中力があったことがわかります。

やはり、人は変わろうと思えば成長するんですね。私は昼休みにこそっと練習会場をのぞいたり、他の人間に様子を訊いていましたが、この子は形で負けた分絶対に組手は優勝するとの強い信念で練習をしていました。この時点で、私は「組手で勝っても負けても今日は誉めてあげよう」と思っていました。

でも、こういう時はやはり結果は優勝しかないんです。

私がこの子を初めて選手として認めた日でした。


私は年に1~2回、会場から保護者と一緒に試合を観戦することがありますが、本当に勝負の綾は、コート外にあると感じることばかりです。親の座る位置、役割分担、応援の態度等も子供のパフォーマンスに大きく影響しています。


最後に、当道場は海外からの訪問者がメチャクチャ多い道場です。今回も韓国のお菓子を袋に詰めて、全員に配ってくれました。一つ一つを手で袋に詰めて作ってくれたのですから真心がこもっています。
真心には真心で応える。これが子供たちに一番に教えたいことです。


将来、世界を股にかける立派な国際人に育ってもらいたい。今はそんなことわかってもらえないかもしれませんが、これからも世界中の人たちを道場に連れて来るし、こちらからドンドン海外に出ようと思います。


いつかこの意味が分かってくれて世界に貢献できる人間になってもらえたらと思っています。

と、この記事を書きながら、韓国の飴ちゃんを舐め、お茶を飲み、ご飯にふりかけをかけて食べています。思えば、アメリカ、青森、インドネシア、韓国、中国とひっきりなしにお土産をもらい、体重が増えました。(涙

体重が減らないのはあんたらのせいだ!(怒
というのが今日のオチでした。


注)海外の国に交じり青森が入っていますが、決して青森を外国扱いしているわけではありません。もっとも、津軽弁は外国語以上に理解不能ではありますが、この世でこれ以上うまいものはあるのかと思うほどおいしいものをいただいたので、書いたまでです。

韓国おみやげ
 ツイストのすすめ
2013年09月20日 (金) | 編集 |
最近指導をしていて、「どうしてこんなにステップが単調なんだろう?」と疑問に思うことがあります。
行く時と行かない時がハッキリしすぎているから、相手にとってはカウンターが決まり易い「ありがたい相手」になってしまっている生徒が多いのです。

みんな一所懸命やっています。でも、出来ない生徒には一つの共通点があります。それは「相手も目があり脳みそがあり、手足が同じ数だけある」ということです。自分の行きたい時に行っても、相手が「いらっしゃ~い!」と待ち構えていれば、飛んで火に入る夏の虫状態です。

こつは、行かない時は行くと思わせ、行く時は行かないと思わせることです。

これは、普段の生活習慣が大きく関わってきますから、100%自分のペースで生活している者にはなかなか理解できないと思います。相手の心を読めなければ出来ないことです。


さて、このように相手がいることですから精神的な部分が最も重要であることは間違いありません。しかし、身体も柔軟に使うことも同時に要求されます。

どんなに素晴らしい技を持っていても、間の詰め方がわからないと決まりません。生徒に固定観念があると、ワンパターンの間の詰め方しかできないようです。ただ、構えたまま前進して間を詰めるだけになってしまいます。
やはり、最低限の動きで間を詰めることは重要ですが、そればかりで相手に分かってしまっては何もなりません。

最近は、あえて余計な動きをして相手の思惑を外す稽古をやっていますが、すぐにできる生徒とできない生徒には致命的な相違点があります。
それは、身体を細かく使えているか否かです。

回転する時に、腰と肩を同時に回す者は、回転が遅くなり格好の餌食となってしまいますが、腰→肩→腰の順で1回転すると速くなります。また、身体を細かく使うということは、相手にとって動きを読みにくいという利点も生まれます。
腰と肩に加え、両手も使えると、随分と良くなりますね。

あっ!説明が遅くなりましたが、間を詰める時にただ構えて前進せずに、1回転して間を詰める練習をした時のことを書いています。よく、テコンドーでやっているやつです。

当然、ほとんどの生徒ができません。それは腰と肩のツイストが全くできていないからです。外国でこれを指導するとほとんどの生徒がすぐにできます。いつも踊っていてツイストが骨の髄まで染み込んでいるからでしょう。

そういえば、ジグザグに間を詰めることを指導している時も、同様でした。上体を固めて足だけでジグザグに入ったら間に合うはずがありません。首・肩・腰・膝等を細かく使わないと複雑なステップはできないのです。ステップは決して足の動きではなく、上体の動きで重心が移動し、重心が移動した方向に足が出るだけです。

しばらく、生徒たちにはツイストでも躍らせれば、こういったステップができるようになるかもしれません。
 お・も・て・な・し
2013年09月15日 (日) | 編集 |
2020年は、東京でのオリンピック開催が決まったのは1週間前でした。最終プレゼンの評価は高く、私も素晴らしいプレゼンだったと感心しました。

さて、その中でも滝川クリステルさんと佐藤真海さん2名の女性によるプレゼンが最も評価が高かったと思います。

滝川さんの行った、左手を交えての「お・も・て・な・し」は、今年の流行語大賞を「今でしょ!」と争う勢いです。

この「おもてなし」で、私は思い出したことがありました。フィリピンにいた頃の話です。フィリピン各地を指導で回り、中には危険な地域での指導も行っていた時のことです。
フィリピン人の気質で、彼ら自身が胸を張って言う言葉があります。それは「Hospitality」でした。普段、怠け者だのなんだのと自虐的な自己評価しかしないフィリピン人が、胸を張って「ホスピタリティでは世界一だ!」と言っていました。
ところが、当時はあまりピンとこなかったのは事実です。

しかし、今になって考えると、本当に彼らは誠意を込めて私を歓迎してくれていたんだなぁ・・・、としみじみ思う時があります。
日本人が外国人の客を、当時の彼らが私をもてなした時と同じようにできるかといえば、絶対にできないだろうと思うのです。

当時はどこに行っても、訪問した私よりも受け入れたフィリピン人の人たちの方が何倍もうれしそうにしていたのです。そして、豪華なごちそうを用意し、退屈させまいと精一杯の気遣いを見せてくれました。
私を喜ばせることが彼らの喜びとなっていたのです。

例えば、近隣にホテルがなくて民家に泊まらせていただいたことも何度もあります。その時も、その家で最も良い部屋を私に使わせてくれたのです。当然、ゲストルームなんてある家ではありません。ご夫婦の部屋か子供の部屋を空けて私を寝させたのです。

当時、「フィリピン人は、借金をしてでも客にごちそうをふるまってもてなす。それが彼らの喜びでもあるから。」と聞かされていました。
本当にそうでしたね。これはフィリピンに限らず、インドネシアでもマレーシアでもタイでも、特に東南アジア人はその傾向がありました。

どんなに文明が進んでいても、その国を好きになるかどうかはわかりません。どんなに古い文化が根付いていても、今そこに住んでいる人たちがそっけなく対応したら、その国を嫌いになるでしょう。

私がこれまで訪問した30か国の中で、嫌いになった国が一つもないのは、みんなが心を込めてもてなしてくれたから、その国や人を好きになれたのだと思っています。



なぜか、7月から今月にかけて、海外から客人の訪問が続いています。これって、本当にありがたい事です。みんなが日本に来たがっているんですから。
そして、もてなす立場の我々が精一杯のことをしてやって、彼らに「日本に来て良かった」と思ってほしいですね。

当然、客人がいれば仕事も進まないし、出費もバカになりません。でも、そういうマイナス要素を補って余りある満足感を客を送り出した後に得ることができます。


世界最大の祭典であるオリンピックが7年後にあるということは、世界の人たちに日本を好きになってもらう最大のチャンスだと思うのです。
開催に関しては、未だに賛否両論がありますが、決まった以上は日本にやってくる外国人の皆さんに精一杯のおもてなしをすることが大切ではないでしょうか?

日本を好きになるのは、富士山でもスカイツリーでも、もちろんリニア・モーターカーでもありません。人が人を好きになるのです。

私が、海外に住んで学んだことは多くありますが、このホスピタリティは彼らから常に施され、学ぶことができた一番のことかもしれません。
私が、今後外国人にしてあげることも、今までしてもらったことに対する恩返しにすぎません。一生をかけて訪問する外国人を持てなしても、私がこれまでの人生でしてもらったことを超えることはできないと思います。


私は、先日の記事で、「韓国に対し本気で喧嘩をしろ!」と書きました。このきつい言葉に違和感を抱いた人も少なからずいるのではないかと思います。しかし、政府レベルやナショナル連盟レベルでは、自国の主張を押し通すことも大切であり、時には喧嘩に発展することも駆け引きの一つです。

しかし、民間レベルではまちがっても互いを批難しないよう心掛けるべきで、そして信頼関係を築くには互いの交流しかないのではないかと思っています。

奇しくも、今週と来週受け入れるのは、中国と韓国の客人です。国家観がどんなにギクシャクしようと、個人のレベルではこの「おもてなし」の精神を忘れるべきではないと思っています。

「おもてなし」なんて素晴らしい言葉なのかと、滝川さんのプレゼンが思い出させてくれました。
 チャージ完了!
2013年09月02日 (月) | 編集 |
今年も700km北上し、青森県の津軽地方に行ってきました。

過去にも何度か書きましたが、世界中、日本中を回っていると、初めて来たのにすごく安堵感を覚える土地というのがあります。
私の感覚では、デジャヴー(既視感)とはちょっと違うのです。太古からのエネルギーが充満しているというか、そこにいるだけで心地よい気分になれる土地があるのです。

世界を旅している時もありました。「何でこんなに気持ちよくなれるのだろう?」と思い、ただボ~ッとしていたり、散歩していたりしているだけで、そこに名所や風光明媚な景色があるでもないのに、満足感にあふれるような・・・、そんな感じなのです。

だから、毎年津軽に呼んでいただいていますが、セミナーに呼んでいただいていると同時に、私としてはエネルギーのチャージにもなっているのです。
この津軽地方は、明らかにもの凄いエネルギーが溜まっているところです。

金曜日の稽古終了後、夜10時半くらいに埼玉を出発し、朝6時前に五所川原市に着きます。街の中心街にある銭湯が6時に開くので、一番風呂に入ってからセミナー会場に行くのが恒例となっています。一昨年は最初に着いたのに、6時に開いて車からタオルだなんだと出すのにもたついている間に、洗面器を自転車の前かごに入れて来た女子中学生に一番をさらわれました。
さすがに青森の女子中学生は侮れません。サッと自転車を留め、さっさと洗面器をかごから取り出し、スッと銭湯に入って行きました。

昨年は、随分前に到着し、意地でも一番に入るとの気構えで、見事一番先に入ることができました。
今年は、到着時には既におじいちゃんとおばあちゃん組が入口に立っていて、また一番を逃してしまった。

2日間にわたり、百数十名の参加者が熱心に私の変な稽古に付き合ってくれました。
さて、今回はセミナーの内容ではなく他のトピックにしましょう。

皆さんは、この津軽地方が世界の中心で、世界中から人々が来ていた時代があるということをご存知でしたか?五所川原市の民家の屋根裏で発見された津軽外三郡誌というものに書かれていました。
また、鰺ヶ沢沖に竜宮城があるという伝説もあります。新郷村にはキリストの墓、五所川原市郊外の梵珠山には、釈迦の墓、おまけにピラミッドまであります。

亀ヶ岡の遮光式土偶も、スイスのエーリッヒ・フォン・デニケンが「これは宇宙人だ!」と発表し、世界的に勇名になりました。
また、日本中央の碑もある。岩木山には、天狗伝説もある。

もう、三内丸山遺跡だけではないんです。「トンでもマニア」を自称する私としては、もうよだれが出るほど魅力的な土地なわけです。

縄文時代には間違いなく、ここは日本の中心でした。私が今住んでいる埼玉も、縄文遺跡が驚くほど多いのです。例えて言えば、京都や奈良なんて当時はど田舎もいいところ、縄文時代には津軽と埼玉は大都会だった。いわば、津軽と埼玉は、今の東京と大阪みたいなもんだったと言ってしまうと、日本中から呆れられてしまうかもしれませんね。

でも、少しだけ歴史が違う方向に向かっていたら、津軽地方が現在の日本の首都になっていて、津軽弁が日本国の標準語になっていたかもしれないと思い、連れて行ったアシスタントたちに、「もしもパラレルワールドが存在して、現在と違う歴史を歩んでいたら・・・・」などと、津軽地方の偉大さを切々と説いたりして、生徒たちを洗脳しています。

子供たちも懇親会の席では、地元の子たちに津軽弁を習い、少しは話せるようになりましたが、K先生から、「なの津軽弁は、まだわんつか訛りがあらぞ。」とご指摘を受けていました。
来年までには、訛りのない津軽弁を話せるよう、予め訓練をして行きたいと思います。どこか、津軽弁の駅前留学ができるところはないでしょうかね?

to be continued…

青森2


青森





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