スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 喧嘩をしろ!
2013年07月31日 (水) | 編集 |
サッカー東アジア杯での政治的スローガンが掲げられた件で、せっかくの選手たちの頑張りに水を注されてしまったように白けてしまいました。

こちらのブログには、あまり政治的なトピックを扱いたくないのですが、先の東アジア大会の一件があまりにも酷かったので、今回は私の正直な気持ちを書きたくなったのです。


私はあの日、家でホットプレートで焼き肉を食べながら試合を観戦していました。
今回もまた、懲りずに政治をスポーツに持ち出す態度には呆れました。


私はこれまで、「何で日本は堂々と喧嘩をしないんだ!?」「交流を断ってでも抗議しなければならない」と主張してきました。
余りにも過激なこの意見には、賛否両論あるでしょう。これだけでは誤解されてしまうかもしれませんね。

私がドンドン喧嘩をしろ!というのは、決して「てめぇ!この野郎!!」「ぶっ飛ばすぞぉ!」という汚い言葉の応酬や、いずれは戦争をなどというものではないのです。
一部には、「そんな考えを持っていたら将来本当に戦争になってしまう。」と危惧する人もいるでしょうし、「こちらが大人になって黙っていればいずれ収まる」という意見もあると思います。


日本サッカー協会は、東アジアサッカー連盟に抗議文を出したようですが、会長がそもそも韓国人です。まともに扱うことはないでしょう。


実は、私が一番言いたいのは、

「中途半端に喧嘩をするなら何もしない方が良い。しかし、やるならば徹底的に白黒はっきりするまでやるべきだ。」

ということです。

その点では、下村文科相が「その国の民度が問われること」と述べたことは非常によろしくなかったと思っています。あくまでもその国や国民を卑下する表現ではなく、行為に対してのみ非難をすべきと考えるからです。

でないと、同じレベルでの喧嘩になってしまいます。

また、今回韓国サッカー協会の反論で、日本が旭日旗を掲げたので、韓国側もあの横断幕を掲げたと、明らかな嘘を述べました。あの横断幕は、既に試合前から掲げられていました。

2013年東アジアカップ2 (1)

ですから、これは最初から用意されていたものなのです。


ところで、この韓国の常套句となった旭日旗ですが、これは決して日本帝国軍の象徴と言われるものではありません。日本の準国旗とも言えるもので、韓国側の言うようにハーケンクロイツと同等視される類のものではありません。

これを韓国側が抗議するようになったのは、2011年にキ・ヨンソン選手が、日本戦でゴールを決めた後に猿の真似をした時、「会場の旭日旗を見て涙が出た」と、旭日旗はどこにもなかったにも関わらず、虚偽の発言をした事からエスカレートしたはずで、ここ数年のことです。

2011年

2011年3 (2)

しかし、韓国の抗議が少々強引であっても、日本側として旭日旗を掲げることを自粛させるという日本サッカー協会の判断は正しいと思います。
その時も、黙って自粛をすれば「やはり大日本帝国軍の象徴ではないか!?」と既成事実化されるので、ハッキリと大戦以前から軍のみでなく、家族の祝い事や商船にも掲げられてきた準国旗であるが、相手の気持ちを慮りサッカーの試合では自粛する。と宣言すべきです。


私が、最も今回の件に対し意見があるのは、日本側の態度です。

実は、「歴史を忘却した民族に未来はない」の横断幕は、今回が初めてではなく、2010年には既に掲げられていました。

2010年 

なぜ、その時には何も抗議をしなかったのか?それが不思議でなりません。

今から言うことが正しいかどうかは皆さん個人個人のご判断で良いと思いますが、私は異国の地で異人に囲まれて11年間暮らしていました。1匹狼で生きてきた私の経験から言わせていただけば、何も言わないということはそれを受け入れた、または相手にひれ伏したという意味と捉えられても仕方がありません。

ですから、現在のように日韓関係が微妙になる前から、韓国の応援団はこのような相手を侮辱するような横断幕を掲げていたのですから、発見した時に即抗議をすべきだったのです。

韓国人に言わせれば、「我々の論理から言えば、これは事実ではないか?」という反論もあると思います。その感情を否定する意思も権利も私にはありません。しかし、強く言いたいのは、「そんなことはスポーツの場でやるな、他でやってくれ!」ということです。

多くの日韓の子供たちが、憧れの選手たちの活躍と祖国の勝利を願って一所懸命に会場やテレビの前で応援しているのです。そんな場所に、政治を持ち込むなということなのです。

たかがスポーツですが、されどスポーツです。子供たちにとっては人間形成の重要な教育の場です。「その聖地でお前らは何をやっているのか?」という怒りを抑えることができません。

韓国の応援団の態度は、おおよそ教育とはかけ離れたものが多いのです。

下は、2010年の時のものです。

2010年2

2010年3

2010年4

その後、2011年の東日本大震災をお祝いしますという横断幕、ロンドンオリンピックの時の「独島は我が領土」のメッセージボード等、留まるところを知りません。

ところが、これまで黙ってきた日本側に突っ込むこともできるのです。旭日旗に対する韓国側からの苦情はつい最近のものですが、ならば「歴史を忘却した民族に未来はない」の横断幕も安重根・李舜臣の肖像画も、「以前から掲げられてきたのに、なんで今それを問題にするの?」と言われても仕方がないのです。

この意味で私は、「言うことはその時に言っておかなければ、後々問題が大きくなる。」と言いたいのです。


今回、私が期待しているのは、これらの事例を時系列で第3者にも分かるように抗議していただきたい。その際、相手国や国民を蔑むような表現は避け、その事例のみを抽出して抗議していただきたいと思うのです。
韓国にも多くの識者がいます。そういう識者に訴えることができるような喧嘩をしてくれというのが、私の願いです。


また、旭日旗は立派な日本国の旗であり、決して韓国の主張するようなハーケンクロイツと同様のものではありませんが、それでも相手国の気持ちを慮り、日本サッカー協会が自粛するようしているわけですから、日本のサポーターもそれは守っていただきたいと思います。

今回の旭日旗を掲げた人物は既に特定され、ネットに顔もアップされていますが、サッカー協会も本人に連絡を取って厳重注意くらいの措置は取っても良いのではないでしょうか?


今回の記事には賛否両論あってしかるべきと思いますが、やはりスポーツの場は教育の場であり、汚い言葉のやり取りや相手を蔑むような態度は絶対に慎むべきです。
それは、韓国側に要求するだけでなく、日韓双方が気をつけなければならない問題です。


最後に、日本側のサポーターが東日本大震災の支援に対するお礼の横断幕を掲げました。こういうニュースもぜひマスコミは取り上げていただきたいと思います。

また、この件で韓国や韓国人そのものを嫌いになることは良くありません。あくまでもお互いの行き過ぎた行為に対し、ハッキリとものを言うべきであり、誤解が解けたまたは双方納得のいくまで話し合えば、その時点でノー・サイドとし、あとはぐちゃぐちゃ言わない。それが、友好を深める道ではないかと思うのです。



本来、スポーツとは人種も宗教も、すべてを超えたところになければいけません。また、例え国と国との関係が良好でなくても、個人や民間の交流は関係なく行うべきと考えます。いや、政治的に問題のある時こそ、個人・民間レベルでの交流は密にしなければならないのではないでしょうか?


今回は、これまでにも増してエラそうな内容になってしまいました、すみません。


P.S.因みに、東アジア杯の結果ですが、最下位が一番上に、優勝国の日本が一番下になっています。ここまで徹底してやってくれたら、かえって気持ちいいですね。(笑

2013年東アジアカップ3
スポンサーサイト
 危険な投げ
2013年07月25日 (木) | 編集 |
最近、試合を観ているとヒヤヒヤすることが多くあります。それは、選手が投げようとするときに決まったように相手の膝を掛けるのです。別に膝を掛ける事そのものが危険ではないのですが、強引に力づくで膝を折って倒しにくる選手を観て、「これではいつ怪我をしてもおかしくないな」と思います。

判で押したように膝を掛けるのではなく、他の方法も勉強すべきではないかと思います。

やはり、この辺りの研究は、欧米の方が数十年は進んでいるでしょう。理由は、柔道やレスリングのバックグラウンドがあることもそうですが、第一に形の研究に余念がないことが挙げられます。
私は11年の海外経験で、日本人がもっとも分解に興味がないと感じます。海外の空手家の良いところは、「形は使えなければ意味がない。」と思っているところです。

だから、「この位置では相手は崩れない。形はちゃんとそうなっている」とか、「A先生はこう言ったがこれでは本気で掴んできた相手の手を外すことはできない。B先生の指導のとおりにやると、簡単に外れる。」とか、とにかく研究に余念がないのです。

そういう指導者に習うので、当然選手も子供の頃から「使える形」を習ってきた選手が多いのです。

一昨年にスペインの世界3連覇を成し遂げた伝説の王者、エヘア氏が来日した際、彼の投げは柔道でもレスリングでもなく、転身八方を競技用にしたものでした。
彼は、「私が子供の頃は、組手といえば自由組手ではなく、3本組手でした。ですから、組手の試合にはほとんど出たことがありません。」と言っていました。

それが、伝説の王者になるのですから、やはり空手の選手は伝統的な空手をまず学び、そこから創意工夫があり、自分の組手を確立すべきなのだなと思いました。


で、競技の空手に戻りますが、崩して投げるのではなく、投げて崩そうとするから必要以上の力を使わなければならなくなる。すると、その力を利用されて相手に崩される危険性がある、といった悪循環に陥りやすいのです。

ですから、選手の皆さんには相手の膝を掛けずに崩す研究をしていただきたいと思います。
 判断材料は直感
2013年07月16日 (火) | 編集 |
最近、ある先生から質問を受けました。
「最近入ってくる生徒がみんなボ~ッとしている。全く話を聞かず覚えが極端に悪い。」
私もそれを感じていました。

理由は、

・外で遊ばなくなった。
・いつも大人がそばにいて管理されているので、自分で考える習慣がつかない。
・幼稚園でも学校でも、規則が緩くなり、いうことを聞かなくても叱られない。
・少子化で兄弟も少なく、十分に手をかけて育ててもらっている。

に加え、食品の添加物の影響もあるのかもしれません。

最も苦労をするのは、小学生になっても右と左が分からない。身体の部位が分からない子供が増えていることです。


ただ、私の意見としては、確かに子供がボ~ッとして、話しを全く聞いていない。覚えも以前は1回の練習で覚えられたことが、今では半年かかる等、指導が難しくなっていますが、人間本来の能力としはさほど変わりはないのではないか?
以前は、外部からの刺激が多く、自然に年齢と共に覚醒していたのが、今では刺激が少ないために覚醒の時期が遅れているのではないかと思っています。

ですから、指導者としては少しでも早く子供一人一人を覚醒させることに集中しなければならないのだと思います。


さて、再三にわたり、将来大きく化けるこの話をしてきました。

実際に箇条書きでどういう子が化けるかを書くことはあまり意味がないのです。なぜかと言うと、子供一人一人のタイプが異なれば、同じことを言ったり行ったりしても、感じ方が全く違うからです。

例えば、「試合に負けて泣いた」生徒がいるとします。時と場合によって、泣く行為を見てAという生徒には大いなる将来への可能性を感じるが、Bという生徒には失望する、なんてことがよくあるのです。

試合の当日に寝坊する生徒に、「物事に動じない図太い選手だ」と感心する場合もあれば、「緊張感がないから本番で上がってしまい、実力が出せないんだ」と失望する場合もある。

結局は、直感なのです。朝どう起きるか、どう顔を洗うか、試合前の表情、勝った時の態度、負けた時の態度、どんな時でもその子が将来どうなるか、垣間見ることができる瞬間があるのです。

実際にその子が今強いかどうかは、素人でもわかります。しかし、10年後にどうなっているかを予想するのは大変難しいものです。それは、プロ野球のドラフトでもわかると思います。

今、活躍している選手がドラフト1位指名されるわけですが、レギュラーを調べてみると面白いことがわかります。下位指名の選手が驚くほど多いのです。
名スカウトと言われる人でも、的中率は打率と同じで3割当たれば上出来ではないでしょうか?


ただ、それでは答えになっていないので、ある程度の判断基準を箇条書きにしてみます。

1、自分の世界を持っている選手
  他人に流されない、独自の世界観を持っている等です。
2、負けた時に極端に悔しがる。
  勝負に淡白な選手は、頂点に立つのは難しいと思います。
3、自立心がある
  他人に頼ることが少ないことは重要です。

技術的には、

1、試合中に瞬きが少ない。
2、強い選手にも弱い選手にも、自分の戦いが出来る。
3、ある程度緊張する。

等でしょうか?
この中で、3番は結構重要なのです。大事な試合ならば誰だって緊張します。試合前に顔が引きつっている選手だっています。
でも、緊張するということは、緊張しないよりは絶対に良いのです。適度な緊張とMAXの集中力が合わさるいわゆるゾーンに入ると、不思議なくらい火事場のバカ力が発揮できますが、普段の生活である程度の緊張感のある選手の方が、本番で開き直ることができて、ゾーンに入ることができるような気がします。

ですから、試合で緊張してしまうと悩んでいる人が読んでいたら、「自分はすぐに緊張してしまう。しかし、緊張しない人よりは自分のように緊張してしまう方が良いのだ。」と思えば良いのではないでしょうか?

最後に過去にも何度か書いてきましたが、私なりの人間の判断方法は、目と指先と背中なのです。その3点を見れば、その人間の8割はわかるのです。
 
 いつ化けるかはわからないが・・・
2013年07月12日 (金) | 編集 |
 選手が化けるのはいつか? この質問に、今流行りの「今でしょ!」なんてことにはなりません。

 これは、本当に3年後か、5年後か、10年後なのか予想もつかないのです。あるきっかけを境にして上昇気流に乗る場合が多いのですが、それが中学から高校に変わった時、高校から大学に変わった時、道場にライベルとなるべき相手が移籍してきた時、大会で良い成績を取った時等、多岐にわたります。

 全国レベルの選手が上昇気流に乗るのは、全国規模の大会で、組み合わせが超ラッキー、その日は絶好調、たまたまやる事が全部うまくいく等で、上位の成績を取りそのまま上昇気流に乗る場合が多いと思います。

 まあ、最初はまぐれだろうが何だろうが、それを千載一遇のチャンスとして以後精進できれば、本物の実力がつくのです。

 反面、今一歩のところで何度も全国レベルのチャンスを逃す選手は、アスリートととしては性格的に向いていないのかもしれません。
 とはいっても、やはりこんな時も気持ちの持ちようなのです。何度挑戦してもダメでも負け癖さえつかなければ、いつかは運をつかむことがあるでしょう。何度か失敗して「今回もダメかも?」と不安を胸にしていれば本当にダメでしょう。

 チャンスは必ずやってきます。その時に化けるか化けないか?指導者としてはチャンスが来た時にそのチャンスを活かすことができるように指導することが大切なのだと思います。
 そうなると、技術もさることながら、心の面の指導が何倍も大切だと思います。


 永年指導をしていると、選手の性格を見てすぐに、「この子は大丈夫だ!」「この子は難しい」というのがわかります。
 しかし、ダメならばどうやって良くするかを考えるのが指導者の役目なのですが、やはり家庭環境が子供の性格に一番影響しているので、親の協力を得なければいけなくなります。

 決して、一流選手になることだけが目標ではなく、「一事が万事」というように、一流の人間というのは、どの分野でも共通する点があるので、そこを指導できれば一流の指導者といえるのだと思っています。

 ある意味では、親が変わらなければ子供が変れないこともあります。それを指摘した時に親が自分も変わろうと思ってくれるか、親はそのままで子供だけに変わることを要求するのか、そこが人生の分かれ目かもしれません。


JKFan5月号で拓大紅陵の森章先生が「子供と親の共通点」を実に的を射たことを書いていらっしゃいました。

本当は、すべての文章が素晴らしい内容なので、一部を抜粋すること自体が大変失礼なのですが、ここでは一部だけを抜粋させていただきます。

・・・・・この練習で発見できるのが、親子の性格的遺伝です。雑巾を持っても何処から掃除をすればいいのか判らない部員、対照的に仲間に次々と指示をする部員がいます。坂道ダッシュでも、先頭集団で掛け声も大きく走り出す部員がいて、その後を追いかけるように走り出す部員がいます。相撲の当たり稽古でも自分より大きくて強い部員を相手に選ぶ部員、弱そうで小柄な部員とだけ稽古する部員がいます。休憩時間にも、輪の中心にいて笑顔で語りかける部員、その部員から着かず離れずの距離で話を聞いている部員がいます。何となく彼らの姿に「親御さん」の姿がダブって見えてくるのです。
 休日になって保護者の方が集まってきます。すると、「子供が立つ位置」と「保護者の方が立つ位置」が全く同じなのです。通路で友人たちと楽し会話をしている保護者、その場所と集まっている顔ぶれ、顔の表情は、部員の休憩時間とまったく同じです。
 親が積極的で協力的だと、子も積極的で協力的。親が負けず嫌いで熱くなれば、子も負けず嫌いで前に進みます。親が諦めるのが早く愚痴が多ければ、子も諦めるのが早く言い訳が多くなり表情も暗いという風です。親子の遺伝子の存在を改めて実感しますから、親御さんも自分の子に願う姿を、自分の言動行動に示す努力が必要なのです。・・・・・・


 親であれば、自分自身が厳しく指摘されることはあっても、こういう点を指導していただける学校に我が子をやりたいと思うのではないでしょうか?

 私も最近この森先生のおっしゃることがとてもわかるのです。親が諦めるのが早かったりすぐに落ち込むと子供も根気がなく競り合いに弱い。親がいつも後ろに隠れるように立っていると子供も消極的になる。
 親が、係員の選択で困っている時に、「じゃあ、私がやります」というと子供も自信を持ち協調性がある。普段は温厚だが子供がダレている時、最低限のことができない時に烈火のごとく叱り、すぐに温厚な表情に戻れるところは、子供も良いところで後輩に厳しく接し、かつ精神的なフォローも忘れない。


 選手が化けるか化けないかは、こんなところに一番の原因があるのではないかと思うのです。もちろん、指導者としては心の教育と同時に、しっかりとした基本を身に付けさせ、基礎体力を養っておくことは不可欠です。

 チャンスは誰にでもやってくる。そのチャンスをものにするかしないかは、日頃の心掛け次第。それを子供に教えるのは一番が親であり、次に指導者であり、そして先輩だということです。

 今の自分に満足している者は、チャンスが来ても必ず逃します。常に上を目指している者は、チャンスをつかむことができます。

 道場で、同じ内容の練習を同じ時間やっていても、ドンドン上達するものと何年間も同じことばかり注意され全く上達しない者がいます。それは、肉体的、または頭脳的な素質よりもむしろ、性格的な素直さ、集中力によるところが大きいと感じます。
 出来なくても、言われたことを徹底してやっている子は、絶対にそれをものにします。すぐに自己流に戻してしまう。最初からいい加減に聞いていて正確にやらない。その日はやっていても次の練習ですっかり自己流に戻っている。そんな生徒は一生ものにできません。

 長くなったので、次回は具体的に「こんな生徒は将来大きく化ける」と確信できる事柄を具体的にあげてみようと思います。
 すべてに当てはまる
2013年07月10日 (水) | 編集 |
皆さんは、JAXAという組織を知っていますか?独立行政法人宇宙航空研究開発機構の略なんですが、今日のニュ-スで興味深いものを発見しました。

下記URLに皆さんもアクセスして見ていただきたいのですが、採用試験の見事さというか、これってすべてのことに通じているなと、感心してしまったのです。

http://toyokeizai.net/articles/-/14646

実は、私はJAXAについて興味を持ったのは、宇宙兄弟を観てからなんです。その時に、JAXAの採用試験に大変興味を持ち、「本当に素晴らしい組織だな!」と感動したのです。

記事を読んでもらえばいいのですが、


あまりに美しい理想ばかり並べる人には、あえて“外す”ような質問をするという。たとえば「失敗したことはありますか? 」と。

「大事なのは失敗から何を学んだか。どうやって失敗をリカバーしたか。同じ失敗をしないために前向きに考えているか。そういう質問を重ねることで、自分を客観視できているかどうかがわかります」(山口)。


とか、「あえてダメだしをする」「人の立ち位置を評価する」「一発芸をさせる」「自分で考える力が重要」等、参考になることばかりです。

人間の本質を暴きだし、可能性を引き出すことばかりですね。


できることならば、このような採用試験で空手の選手も採用できればいいなと思ってしまいます。



そういえば、空手を指導していて、私は5年先、10年先のその生徒をイメージして今を指導しています。稀に大きく化ける生徒がいますが、まだ開花していない時点で、その才能を垣間見ることができるのです。

「いつか、化けることがある。」親も指導者も、今ダメな生徒を信じて育てています。しかし、ただ今と同じことをやっていては、化ける可能性がある生徒も化けることはできないのです。

だから、道場での技術よりも、普段の私生活の習慣の方を重要視してしまうのです。私生活を見れば、その生徒が将来化けるか化けないか、化けないとすれば何が足りないのか?それがよく分かるのです。

これについては、次回の記事に書いてみましょう。とりあえず、今日はJAXAの採用試験に感動したということでした。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。