切羽詰まった時に選手のセンスが表れる
2013年06月28日 (金) | 編集 |
試合を観ていると、戦い方にその選手のセンスが如実に表れます。

センスとは、動きの切れや調整力等の肉体的素質もさることながら、精神的な部分がより勝敗に関わっているように思えます。



私が選手の試合を観ていて感心する時は、決して大技を連発して6-0のストレートで勝った時だけではありません。そういう時は、何をやってもうまくいくものです。
勢いのある時は、逆に本質的な部分は見えにくいものです。

では、どのような場面に注目しているかといえば、点を取って取られてのシーソーゲームの時、1ポイント負けていて時間があまりない時、逆に残り時間あと僅かで1ポイントリードしている時等です。

こんな時は、肉体的な資質よりも、精神的な資質がよく分かるものです。


子供でいえば、自己管理のしっかりできている者は、上記の緊張した場面では強さを発揮します。逆に、自己管理の出来ていない選手は、普段は物凄く強いがプレッシャーのかかった場面ではからっきしダメになるという者がいます。


先日の某大会の時も、残り10秒を切って2ポイント負けている場面で、勝っている選手は逃げ切ろうと思い下がってしまった。負けている選手は、その試合は突きで1ポイントも取れていないので蹴りを出したが、相手はそれをわかっていて食らってしまい、大逆転負けを喫した試合がありました。

リードしている選手の敗因は、逃げに入ってしまい、蹴りしか来ないと分かっていて食らってしまったことです。そこをあまり考えていなかったことが大逆転負けを喫した理由です。
しかし、私は逆点で勝った選手が慌てずにしっかりと相手から目を離さずに追って行った場面に感心しました。そこで浮き足立ってしまえば、そのまま逃げ切られてしまったでしょう。

普通に見れば、負けた選手のポカで済まされてしまうかもしれません。でも、あの時の上段蹴りを決めた選手の目を間近で見ていた私は、「この子は、この先もこういう土壇場で競り勝つ場面を多く演出するだろうな。」と思って観ていました。

切羽詰まった場面での行動は、空手の試合だけではなく、その選手が先の人生で遭遇するであろう困難に直面した場合でも同じように勝利するのではないかと思い、楽しくなってしまうのです。


大会の時は、自分の道場の選手の活躍が気になりますが、他道場の選手でもこういったセンスの良い試合をする選手を見ると、パンフレットで名前を確認してしまいます。
次の大会の時も、良い戦いをした選手のことはしっかりと覚えているものです。

うちの生徒たちも、勝っても負けても他の先生方に名前を憶えていただけるような戦いをしてほしいと思います。もちろん、悪いことで覚えられないようにしなければいけませんけど。



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 統計の大切さ
2013年06月20日 (木) | 編集 |
試合の勝因・敗因、傾向と対策を練るのに、統計を取ることはあまり空手界では行われていません。野球が最も発達しているでしょうかね。

野球は、試合ごとにスコアブックを付けますが、これが情報の宝庫なんです。私も空手版スコアブックを試みたことがありますが、まだアイデアが固まっていません。

ですから、映像または生の試合を観ながら、永年の感と経験に頼らざるを得ないんです。



例えば、あるチームのポイントが、ほとんど上段突き、それも攻めた時の上段突きが総ポイントの7割を占めていたとします。
もう一つのチームは、上段突き・中段突き・自分から攻めた場合・カウンターで決めた場合の割合の均整が取れている場合、前者のチームに対する策は、非常に簡単です。上段突きだけを注意していれば、失点はほとんどありません。
しかし、後者のチームの対策はさらに深いリサーチが必要になります。選手の癖や得失点の場面場面を綿密に解析することが要求されるからです。

もちろん、これはチームとしてだけでなく、個人でも同じことが言えます。



私の場合は、相手の最も得意とする技やコンビネーションを封じることを第一に考えます。ほとんどの選手は、攻める時の1パターンとカウンターの1パターンの2つの技で、総得点の7割強近くを取る選手が多いのです。
その2つのパターンを封じれば、単純計算では相手の攻撃力の7割強を削減できるわけです。

また、「始め!」から、何秒でポイントを取ったのか? これも重要です。

私のリサーチでは、始めから2秒以内ならば、先の攻撃した方が得点となるケースが8割以上になる。5秒以内でも7割程度。ところが、5秒を過ぎると、今度は6:4くらいの割合でカウンターが決まる確率が増していきます。

人間は、通常集中力がMAXとなるまでに5秒くらいかかるのではないかと推測します。

ところが、一流の選手となると「始め!」と同時に集中力がMAXになり、先制攻撃が効かない場合があるのです。


ですから、これらの要素を私の場合は、自分なりに項目を作り、選手の特徴を把握するようにしています。

予算があれば、本格的に研究できるんですが、今は家庭用のビデオで地味にやっていくしかありません。


永年そういう研究をしていると、試合中にどんなパターンでどちらが勝つか、相当に高い確率で当てることができるようになります。
私は、空手界に必要なのはこういったデータの蓄積ではないかと思っています。
 上段を決めたければ中段を突く
2013年06月18日 (火) | 編集 |
ある大会を観ていて、これまで面白いように決まっていた上段突きが、少し上のレベルの選手を相手にすると全く決まらなくなるケースがありました。

この傾向がある選手は、みんな自分の得意な技が上段突きなので、上段しか突かないのです。こういう時は、一度中段を突いておけば、相当に高い確率で上段突きが決まるのです。例え、中段突きがポイントにならなくても良いのです。中段を突くことにより間合いも合ってきます。

また、比較的小さくてすばしっこく、ダッキングで避けるのが上手な選手には、やはり中段突きが非常に有効になります。
最初から上段を狙っていれば、ダッキングで避けられているうちにタイミングを読まれてしまい、カウンターでポイントを取られてしまいます。
そんな時は、ダッキングをしにくい中段突きから入ると、上段を突いた時にダッキングをされる確率が低くなります。

これは、蹴りに関しても言えることで、いきなり上段蹴りで3ポイントを取りに行くよりも、まず中段を蹴っておくことで、ダッキングをしにくくさせてから上段でポイントを取ることが良いと思います。

ルールが変わったことで、これまでよりも少々中段突きがポイントになる確率が低くなりました。しかし、ルールがどんなに変わっても、やはり中段突きというのは空手の要なのです。

技を散らすとどんなに試合が楽になるかということは、ボクシングをやっていると分かります。素人でも顔を殴ることはできます。しかし、顔しか殴らなければ避けるのは本当に楽なものです。ところが、ボディを打てる者は練習を積んだものしかできませんが、技を散らすことで顔面も楽に突けるようになります。

また、野球の投球術なども大いに参考になります。2ストライク後に、いつも得意球で勝負をしていたら打者は楽に打つことができます。そんな時、1球別なコースに投げておくか、異なる球種で勝負をすると打者は的が絞れなくなり、アッサリと仕留めることができるものです。

結論としては、上段突きが得意な選手も、絶対に中段を深く突くことを普段の稽古で行うべきだということです。
 形の誤解
2013年06月13日 (木) | 編集 |
今回は、形の誤解されやすい部分について述べてみようと思います。

剛柔流と糸東流にスーパーリンペイという形があります。剛柔流と糸東流の形の違いについて、巷で大きな誤解が存在するようです。

まず、中盤で四股立ちから斜め四方向に一本拳で突く箇所があります。四股立ちで構えた時に掌を開くのが糸東流で、握るのが剛柔流だという誤解があります。実際には、剛柔流も古くは掌を開いていたそうです。それが、年代が新しくなるにつれて手を握るようになってきたということです。
宮城長順先生の教えは、若い頃から晩年にかけて変化があったということですから、どの時期に教えを受けたかで異なっているのは当然ではないでしょうか?

ですから、四股立ちのところで掌を開いていても、これだけをもって糸東流であって剛柔流ではないとは言えません。私の会派を含め、沖縄でもこの部分を掌を開いて行っている剛柔流の道場は多いのです。

また、後半部分で後ろを向いて抑え受けと掬ってから掛けるのを同時に行なう箇所があります。ここの回数も「剛柔流は五回、糸東流は三回」と、回数で流派を決めるような誤解が存在します。この部分も、回数で流派の違いとなることはありません。元々はすべて三回だったようです。

また掛け受けも、一方の手を水月におくのが糸東流で脇まで引くのが剛柔流というのも誤解です。剛柔流でも水月に手をおく道場は多く存在します。

関節蹴りは、親指を立て他の四本を下に向ける場合と第二指定形のクルルンファのように指を五本とも上に向ける場合がありますが、同じ関節蹴りでもどこをどのように蹴るかで蹴り方も異なって来ますから、どちらが正しいと断言することはできないと思います。

会派として、指定形としてどちらかに統一することはありますが、空手そのものとしてどちらかだけが正しく、他は間違っているとはいえません。


ですから、四股立ちから四方向に一本拳をするところで手を開いている。そして抑え受けと救い受けの部分が3回だから、「剛柔流と糸東流が混ざっている」というのは、明らかな間違いだということです。

同じ先生に習っても、異なる教えを受けることがあります。また、先生の教え自体が歳と共に変わる場合があります。


これらの誤解については多く存在するので、後日続編を書いてみようと思います。
 99%の努力と1%の閃きをどう捉える?
2013年06月11日 (火) | 編集 |
「天才とは1%のひらめきと99%の努力である。」いわゆるエジソンの格言と言われているものです。

皆さんは、これの意味を「1%のひらめきを導き出すためには、99%の努力が必要」と思っていますか?



私は、ずっと「違う」と思っていました。まあ、私がひねくれているというのは十分にわかっています。
でも、この解釈にしっくりと行かなかったのです。
この言葉を聞いた時、「エジソンって本当に天才だったのかな?」なんてクソ意地の悪い考えも持ってしまいました。



そんなまま大人になり、おじさんとなってしまった今、この格言も正確には、

「99%の汗が実るのは、1%の閃きを大切にしたときだ。」

と言ったと知り、安堵した次第です。

加えて、エジソンも自らの言葉が誤解されたことに関して、

「私の言葉が誤解されてしまったようだ。99%の汗ばかり強調されている。汗を流せば何でも成功すると思うのは間違いだ。私は1%の閃きといったはずだ。1%の閃きを無視してはならない。」

と言ったそうです。

ここで私は、初めてエジソンはやはり天才だったと100%安心したのです。


天才とは、努力の先に閃きがあるのではなく、初めに閃きがあるのです。その後の努力で天才となるのです。「閃き」とは、努力の先に得ることもありますが、基本的には努力にかかわらずあると思うのです。

教育的には、前者の「努力の先に閃きがある」とした方が良いでしょう。しかし、事実はそうではないと思ったのです。


なんでこんなことをムキになって書くのかというと、最初に1%の閃きがあるか、最初に99%の努力があるかは、私にとってけっこう重要なことだからです。


競技の達人的パラドックスに書いた内容って、その多くは閃いたことです。

腕相撲に負けない方法も、曲がらない腕も、目の状態も、振り子の突きも、誰かに習ったわけでも、様々な方法を試した結果でもなく、最初に答えが閃いて、後でそれを検証したのです。

では、いつ閃くのかというと、必ずしも空手をやっている時ではないし、寝ている時や食事をしている時、空手の練習中でも全く違うことをやっている時に突然閃くのです。

まったく関係のない時に、突然チャンネルが合って情報が脳に入ってくるという感じです。


とはいっても、99%の汗のないところが私の痛い部分でもあり、天才となりえない事も事実です。(--;)


私のせこい理論もそうですが、私よりも何万倍も高度なアインシュタインの相対性理論でも、計算の結果そう導き出したのではなく、答えは予め閃いており、それを証明するために努力をしたのではないかと思っています。
つまり、アインシュタインのピンから私のキリまで、物事が高度かどうかにかかわらず、発明の類いはまず閃きが重要だと思ったのです。


ところで、今日閃いたこと。「和式の便器をどうやって洗浄式にするか?」でした。
 気になる学力低下
2013年06月06日 (木) | 編集 |
最近の日本の子供たちの学力の低下を真剣に心配しています。年々、学力が低下していっているようですね。学校ではなく、空手を指導していてそれが分かるのですから、よほどのことだと思います。

私は今、世界の中でも日本人の勉強の量は相当に少ない方だと感じています。15年前は、インドネシアで英語を話せる人はほとんどいませんでした。日本と同じ島国で、国民性も日本に似ている国です。
ところが、3年前にインドネシアに指導に行った時には、小学生にも英語で教えることができました。


私が指導していた当時のフィリピンチームは、国内で1・2位を争う大学の生徒が多く所属していました。ある生徒は、練習の5分か10分の休憩時間にもノートを持ってきて常に勉強していました。
この選手は仕事に就いてからも、夜11時に練習が終わると、「やり残した仕事があるから」と、オフィスに戻っていくこともありました。

中には、WKF世界大会の会場で、「帰ったら大事なレポートの提出があるから」と、試合会場で勉強をしている選手もいました。
みんな、1分1秒を惜しんで勉強をしていました。でも、空手は中途半端にはならず、やる時は真剣でした。

勉強も真剣に、空手も真剣に。だから、日本のように高校も大学も毎日道場で練習ができるなんて環境はなく、週3日2時間のみの稽古でアジア大会、世界大会に臨んでいました。


1994年の世界大会で銅メダルを獲得した選手は、仕事の関係でチームと一緒に出発できず深夜1時過ぎにホテルに到着し、次の朝一番で試合でした。
すると、当日に計量すると連日深夜まで仕事をしていてろくに調整もできず500gのオーバーでした。すぐにランニングをさせ体重を落とさせましたが、なかなか戻って来ず、計量の係が「もう、ダメだ。」というのを、私は「あと3分待ってください。」「あと1分待ってください。」「お願いです。」と粘り続け、ようやくギリギリでパスしたと思ったら既に他の選手はコートに並んでおり、今何キロも走ってきたところですぐに優勝候補の選手との対戦で負けてしまいました。

彼は初戦で負けてから1戦1戦大切に勝ち上がり、敗者復活戦4試合を戦って銅メダルを手にしました。
この選手は、卒業してすぐに工場の管理者になり、いつも深夜まで仕事をしていました。ある時などは、陸上トラックで走り込みを終えた後、車に道着を取りに行って40分後に帰ってきました。それまで何をしていたのか訊くと、「道着を取ろうと乗用車のトランクを空けたら、そのまま頭を突っ込んで寝てしまった。」そうです。

当時の選手たちはそのくらい猛烈に勉強し、猛烈に仕事をしていたのです。
その選手たちは、今では立派なビジネスマンとして世界を股にかけて活躍しています。選手時代の面影は全くなく、頭が薄くなった者、腹が3倍くらい太くなった者もいますが、当時は国の威信をかけて空手を戦っていたものが、今では経済で国を支えているのです。
せっかく、有望な選手がいても、そのうちの何人かは「アメリカに留学するので」と空手を辞めてしまった生徒もいます。

でも、それらのすべては至極健全なことだと思いますよ。文字通り文武両道を実行している選手たちでしたから。

彼らを指導していた私もとても楽しかったです。監督としての楽しさは彼らに教わったのかもしれません。相手に対する作戦を共に立て、思い切った策を実行できたからです。

力に劣る者が力に勝る者に勝つには、頭しかない。
その作戦がズバリ当たって勝った時などは、本当にうれしかったものです。
「先生の言うとおりにやったら勝っちゃったよ。」「いや、あれを徹底して実行できたんだから大した勇気だよ。」
と、共に喜ぶことができました。



話しが随分と逸れてしまいましたが、やはり勉強は大切です。空手界も今トップを張っている強豪大学の選手を東大はじめ国立大学の選手が破るなんてことが起きると、空手界はますます活性化するんですけどね。

という、3流大学卒の私の主張でした。