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 ルーティーン
2012年07月31日 (火) | 編集 |
一流選手には決まりきった動作があります。

典型は、イチローがバッターボックスに入った時にやる右手でバットを立てて持ち、左手を口に当ててバットを回して構えるという一連の行為です。
私が好きだった落合博光氏も腰をグンと押し出して背伸びのようなことをやっていました。

もし、一流選手にこのルーティーンをすることを禁止したらどうなるでしょうか?おそらく、成績はガタ落ちするのではないでしょうか?
それほど、自分を理想の状態に持って行くことに独自のルーティーンは必要なことなのです。

総じて多くの競技の一流選手には、試合開始前に身体を伸ばす選手が多いと感じます。
格闘技では、身体をパチパチと叩く選手が多いですね。

ルーティーンを持つ選手って、ものになる選手が多いようです。子供でも、独自のルーティーンを持っている選手っているんですよ。
そういう子は、ものになる可能性が高いです。

だからといって、わが子に強制的にルーティーンをさせるようなことはしないでくださいよ。自然とそうなるのがルーティーンなのですから。


それにしても、こんなに仕事が詰まっているのに、オリンピック中継を観てしまい寝れません。しばらく寝不足の日が続きそうです。
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 オリンピックの柔道
2012年07月30日 (月) | 編集 |
大会2日目を終えた時点で、柔道は大苦戦を知られているようです。金メダル確実と思われていた、女子の福見・中村がまさかのメダルなしに終わりました。

私は柔道に関しては全くの素人です。だから、技術的なことはわかりませんが、随分と戦い方が変わったことに驚きました。
山下泰裕さんが金メダルを獲った頃と比べると悪い言い方ですが、技が汚くなったと感じます。
道着も白と青になってビデオ判定も導入し、文字通り柔道からJUDOとなったと言えるのでしょうか?

さて、オリンピックではたびたび目にすることですが、4年に一度の大勝負。それまで何年も勝ちっぱなしの選手がオリンピックの大舞台で負けるという光景です。

女子の―48㎏と―52㎏は、2009年から2011年まで、日本選手が3年間勝ちっぱなしだったということです。それが4年ぶりの大舞台で、勝利を確信していたのに、見事に1本負け。

もちろん、負けた選手を責めることはできません。この舞台に立つことがどれほど凄い事なのかを知っていれば、ここに立てただけで十分に賞賛に値することです。


しかし、ここまで男女4名の戦いを見て、日本人選手はメンタルコンディショニングに失敗したのではないかと感じました。おそらく、世界選手権とは比較にならないプレッシャーがあるオリンピック。
柔道に限らず、このプレッシャーに耐えるべく心理面でのコーチングを十分に行う必要があるのではないかと思いました。

あの谷亮子でさえも、初めてのオリンピックでは決勝戦で苦杯を舐めているのですから。



それにしても、こんな凄いプレッシャーの中でやれる選手は、幸せでしょう。空手も何とかオリンピック種目になってもらいたいですね。
 覚えられない子どもには・・・
2012年07月29日 (日) | 編集 |
最近、指導をしていて不思議なことがあります。小学生で一切覚えない子が多くなっていることです。

例えば、形の分解を教えている時に、攻め手は左の突き、受け手は左の上段挙げ受け、その後中段の突きで反撃したのを、攻め手が受けて…と、決まったパターンで教えていると、最初の動作から間違っている。

私は、その時は懇切丁寧に教えず、「そこ、違うよ!」とだけ言います。全員が同じことをしているわけですから、周囲を観ればわかると思うのですが、周囲を一切観ずにひたすら自分で考え、また同じことをやる。
私はまた、「だから、そこ違っているよ!」と言う。
すると、また自分でひたすら考え、数分後にまた同じ間違えをする。

私は、ついに「自分がわからない時は、なぜ周りの出来る人を見ない?みんな同じことをやっているんだぞ!」と、毎回言わざるを得なくなりますが、今度は何分もジッと観ているのに、またこれまでと同じ間違えをする。

昨日も、こんな生徒が4組ほどいました。たった2~3動作の約束事を1時間かけても一切覚えない。最初の動作から間違っている。

おそらく、説明を聞いている時に、左の突き⇒右の受け⇒左の前蹴りという説明が、耳に言葉としてではなく音として聞こえているでしょう。
また、出来る人を観ろと言われ見ている時にも、間違っている箇所だけをみて、突きは右か左か?足はどちらが前か?とチェックせず、単なる風景として視界に入っているので、何十分見続けても自分の間違いが認識できないのだと思います。

剣道には、見取り稽古という言葉がありますが、空手も同じで教わらなければできないというのではなく、他者の技や動きを見て盗まなければいけません。


試合でも、何度も何年も同じパターンで負けている選手に聞いてみると、同じパターンで負けているという認識自体が欠けている場合が多いのです。他人から、「この入り方ではカウンターをもらうよ」とアドバイスを受けても、同じ入り方をしてカウンターで負ける。それを何年も続けているのに、自分では全く認識できない。


こういった傾向のある生徒に、「なんでできないんだ!?」と叱っても、おそらくわからないのです。自分では間違っているという認識がないのですから。

私は、心理学を専攻しているわけではないので、詳しいことはわかりませんが、このような子は生い立ちの過程で刺激が少なく、脳がまだ活性化していないのではないかと思っています。

ですから、大部分は成長の過程で刺激を受けながら正常化していくものと思っています。ただし、そこで親が極度に手を貸してしまったり、反対に叱ってばかりいると、脳の活性化がはかられずそのまま成長してしまうのではないかと心配します。

では、私はこのような生徒にはどのように対処しているかというと、正直言って空手の稽古だけでは限界があります。こういう子には多くの刺激を与えなければいけないと思っていますから、できるだけ合宿や遠征に多く参加してほしいのです。

一番の薬は、友達と外で思い切り遊び、近所付き合いをして大人とも交流を持ち、いろいろな情報と刺激を脳に与え続ける事だと思っています。

自分の身の回りのことは自分でする。そして、問題が生じれば子供同士で解決する。何か失敗をすれば親以外の大人に叱られる。もちろん、良いことをすれば他人に褒められる。

こんな当たり前のことが、子供の成長や自立を促すことに大いに役立っていると思います。


だから、優秀な空手の道場はと聞かれれば、空手の上達だけを目指さず、地域社会に密着し、みんなで子供の成長を見守っていけるような環境にある道場が理想ではないかと思うのです。
 良い指導者の見分け方
2012年07月28日 (土) | 編集 |
今、JKFanの特集記事の執筆のため、JKFanバックナンバーを観ていました。

改めて思うのですが、JKFanっていいこと書いてありますよね。この10年間空手界のエポックメーカーとしての役割を十分に果たしてきたのではないかと思います。

で、今日本人と外国人の中段突きの違いを解説しようと思っていますが、当時から外国人の一流選手は空手本来の基本や形から組手を構成していると書いています。

さて、そちらの方は来月号をご覧いただくとして、たまたま観ていたページが、永田一彦先生と沖縄に行き、拳龍同志会の道場を訪問した時の記事があり、なつかしく思っていました。
館長の新城孝弘先生は、なかなかの人格者で、こんな面白い方は滅多にいないと思います。腕も言うまでもなく本物ですよ。


で、永田先生がコラムで良い指導者の見分け方を書いていらっしゃいましたが、これがまた面白い!

「弟子が、質問してくるまで教えない。」
「弟子が弟子を教えている姿を見ると、指導者がわかる。」

等の内容でしたが、その通りだと思います。

子は親の鏡と言われますが、空手では弟子は師の鏡なのです。
指導方法も自ずと似てくる。

ですから、指導者そのものを見るよりも、弟子を観た方が指導者の力量がわかりますね。で、私がもっとも嫌うのは、教えすぎてしまうことです。あれこれ細かく教えればそこそこは上達できます。
でも、先がないんです。自分で考えなくても指導者がドンドン詰め込んでくるから考える習慣がなくなります。

では、放っておけば良いのかといえばそれも違う。「ここは外せない」というところだけをしっかりと教えておけば、あとは生徒のアイデアを取り入れて、自分で考えさせながら練習させれば良いと思うんです。

「教えすぎるよりは教えるな!」
「教えてもらえなければ覚えられないと言う生徒は、教えても覚えない!」

というのが、私のモットーです。

まさに新城先生の道場は、生徒が勝手に頑張るという理想の道場でした。もちろん、勝手に頑張らせているのは、先生の指導者としての腕ですけど。





それと、強豪道場の紹介を過去に何度かしました。すると、面白いことに毎日練習をしているところばかりが強豪道場ではなく、週2~3回の練習で毎年選手を上位に食い込ませている道場がある。

ある号の強豪道場特集の最後に、私がインタビューに答えていますが、けっこう生意気なことを言っている。

「うちは週2回しか稽古をしていない。」
「量を質でカバーできなければいけない。」
「強い気持ちがあれば、練習量が少なくても自信は薄れない。」

夏休みの大会シーズンに向けてどのように調整するかとの質問には、

「私は、夏休みは基本的に遊ぶものだと思っているので、錬成大会にも出ないし、特別練習もしない。お盆は1週間お休みして、じいちゃんばあちゃんのいるいなかに行って、墓参りをさせるのが本筋だと思っています。」

なんて、言ってました。


今は、さすがに上を目指す生徒が、週2回では物足りないと思い、週3回にしました。

さあ、既に7月と8月は、大きな大会・合宿・遠征・地方指導等で、ほとんど家にいません。子供に「お盆はじいちゃんばあちゃんの家に行って、ご先祖様の墓参りをしろよ!」なんて言っているのに、私自信がお盆は毎日指導が入って帰郷できない。

言ってることとやってることが矛盾していますね。



 うちのお嬢さんたち
2012年07月27日 (金) | 編集 |
いや~っ! 暑い日が続きますね。
うちのお嬢さんたちも、写真のように冷たい床の上で身体を伸ばして涼んでいました。

KIKIダレ猫

JIJIダレ猫


身体中毛だらけですから、そりゃぁ人間よりも大変でしょうよ。おまけに汗もかかないし。

こいつらを道場に連れて行って、私と一緒に道場に泊まっています。いっそのこと、猫カフェがあるんだから、猫道場があっても良いだろうと思うのですが、さすがに猫アレルギーの人は入門できないので、猫たちは道場のマスコット程度に止めています。

こんな暑さ続きでも、寝る時はちゃんとわきの下に来る。

猫3

ホント、可愛いもんです。ただ、朝早く顔をペロペロして起こすのはやめてほしい!特に朝方帰宅して睡眠時間が3~4時間しかない時に、ペロペロ20分も舐め回す。

まあ、可愛いからいいか。
 ゾーン
2012年07月26日 (木) | 編集 |
私は、試合の数日前、もしくは数週間前に、生徒に試合の日、会場、集合時間、ルールを訊くことがあります。
最近は親がすべての世話をしてしまい、子供が試合の日も知らないということが驚くほど多いのです。

試合の日も知らず、当日の朝親に起こされ、寝ぼけながら朝食をとり、車の中で熟睡し、会場に着いたら親に起こされ、先生方や保護者・他の道場生に挨拶もしない。
試合前の練習も半分寝ぼけていて声も出さない。

そんな子が試合で勝てるはずがありません。


だから、私は親に

「朝起きなければ家に置いてきて結構です。それで棄権となっても私は怒りません。逆に全部親が何から何までやって、中途半端に負けるよりよほど本人のためになります。」

と、言っています。


朝はアラームをセットして自分で起きる。安全具や空手着は自分で用意してカバンにしまう。試合の日を予め調べておく。ルールをチェックしておく。
場合によっては、出場選手や事前にトーナメントが出ていれば、誰と当たるかを自分で調べておく。

(「場合によっては」と書いたのは、子供の性格により、これをしない方が良い選手もいるからです。)


これができる生徒で、不完全燃焼で負ける者はいません。


本番でボ~ッとして良いところなく負けたり、緊張してバランスを崩して負ける生徒は、多くの割合で事前の準備を怠っており、緊張感がないためにそのままのテンションで不完全燃焼となるか、急に緊張しガチガチになってポカをするかのどちらかです。


試合に緊張は必要です。緊張の度合いでパフォーマンスを最大限に発揮できる範囲をゾーンといいます。試合前に調子が悪いのに、いつも本番では実力を十分に発揮する選手は、このゾーンへの持って行き方が上手なのでしょう。

反面、試合になると実力が発揮できない選手は、ゾーンに持って行くことができないのだと思います。



私は、試合前に事前の準備やイメージをすることで、適度の緊張状態を維持していた方が精神的に良い状態で試合に臨めると思っています。


これは、試合前に限りません。常日頃から生活や練習に適度の緊張状態を持つほうが上達が早いのです。


私生活での緊張状態とは、親がビシビシと鍛えることではありません。
子供に家で役割を持たせ、必ずやらせることです。部屋の掃除、食事の用意・後片付け、ペットの散歩等、少しで良いので毎日何らかの役を義務付けさせ、実行させる。
実行しない時は相応のペナルティを課す。
一定期間欠かさずにできた時は、何らかの形で報酬を与える。


それだけで、子供の勝負強さは格段に上がります。緊張を日常化すれば、本番で緊張をコントロールすることができ、ゾーンに持って行くことが容易になります。




子供がやるべきことを話し合って実行させるまでは親の仕事です。親がそこまで子供と話し合って、子供の同意を得たら、あとは子供が実行すればいいだけです。

それを実行しないのであれば、子供は勝ちたくないのでしょう。



本番に強い生徒は、親がしっかりとそこまで子供にやらせていることが多いものです。
期待されながら今一歩で目標まで届かない生徒は、やはり私生活で緊張感が足りないのです。



面白いことに指導員間で、

「最近、〇〇は後輩の面倒をよく見るようになりましたね。それと率先して声を出している。」

なんて会話があると、その生徒は必ず試合で良い結果が出ています。

練習量は同じでも、練習中の気配りや集中力が身に付いたおかげで、本番でゾーンに持って行くことができた証拠です。

技術は練習量を増やせば向上します。体力も練習で向上させることができます。しかし、こういう精神的なものは、日頃の生活から律していかないとなかなか身に付くものではありません。



ですから、親の義務として、試合の日と場所・ルールだけは最低限子供に覚えさせることを忘れないでください。親の為の試合ではなく、子供自身の試合です。

ならば、子供は自らそれを知らなければなりません。
 障害ではなく、個性・才能・希望
2012年07月25日 (水) | 編集 |
空手を指導していると、時折発達障害・多動性障害と思われる子がいます。注意力が散漫でジッとしていられない。次々に質問をしてくるので、こちらが答えると聞いておらず、もう他のことをしゃべっている。何度言っても言うことを聞かない。
一つ一つを挙げて行けばここには書ききれない。空手も覚えようとしないので、全然上達しない。

そんな子がいますが、これは今に始まった事ではありません。昔からこのタイプの子供は存在しました。
ただ、学校で教師に厳しく叱られ、級友に怒鳴られているうちに症状が緩和し、大人になる頃にはほとんど目立たなくことが多かったのです。

続に、AD/HDと言われるもので、その中でもさらに細分化していくつかに分類されているようです。

そちらに関してはネットで検索すればいくらでも出てくるので、個々に調べていただくとして、そのような子が入門して来たら、どうするかという点です。


私の見解は、「指導者や保護者がそういう傾向があるということを把握していれば良く、別に特別扱いをする必要もない。」と思います。

アメリカではこの方面の研究が発達し、症状を緩和する治療も随分と行われているようですが、残念ながら日本では「あの子、おかしい」とのレッテルを貼られ、変わった子と思われるだけのようです。


でも、こういう症状の子って、だいたいにおいて知能が高いんですよ。他人ができることはできないのですが、他人ができないことが出来たり、知っていたりする。

みんなが覚えることは覚えられないが、みんなが覚えられなかったことを覚えることができる。時折、私はそういう子の意見にハッとさせられることがあります。
私の言動で、誰も矛盾に気づかない時、突然「せんせ~!さっき先生は僕たちにこうするように言ったのに、なんで自分では違うことやってんの~?」なんて質問がいきなり飛んでくるのです。

ホント、他人が絶対に気づかないことを当たり前のように気づいていたりするんです。



だから、決してこのような子は、発達障害ではないと思うのです。発育の仕方と度合いが、他の事は大きく違っているだけで、10年後には東大で主席を取っているかもしれず、下手をすればノーベル賞を受賞しているかもしれないのですよ。

これは冗談ではないのです。

AD/HDと思わる偉人には次のような人たちがいます。

政治家    :ジョン・F・ケネディ、ビル・クリントン、ウィンストンチャーチル
武将     :源義経、織田信長、坂本龍馬
企業家    :ビルゲイツ、スティーヴ・ジョブス、ウォルト・ディズニー
学者・発明家 :レオナルド・ダ・ヴィンチ、トーマス・エジソン、アルバートアインシュタイン、

いやいや、他にもここに書ききれないほどの偉人、有名人が幼少時、この症状を抱えていたのです。みんな世界の歴史を、人類の文明・文化を変えた人達ばかりですよ!

では、AD/HDの人間は、皆偉人かといえば、そうではありませんが・・・。

私も、子供の頃そういう傾向があり、授業中にジッとしているとイライラし、高校3年生まで廊下に立たされていました。

自分自身がそうだったこともあり、今もAD/HDの傾向のある子を見ると他人とは思えなくなるのです。
そういう傾向の子でも、今の学校では先生が何もせず、保護者がそういう症状を理解できずに、きつく叱ってしまう場合が多いのです。
こういう傾向の子は、叱れば叱るほど悪い方向に向かっていきます。できないものはできないのですから、他人と同じことを要求してはいけないのです。

特に最も身近にいる親がこれを理解してやらないと、子供は不安になり、ますます症状がエスカレートしてゆきます。少々の迷惑は、親が謝る覚悟でいてほしいのです。

空手だって、上達には時間がかかります。そこを親が我慢して道場に連れて来てくれるかが大事なんです。「うちの子はやる気がないし、友達に迷惑をかけるだけなので・・・」と、親が諦めてしまう場合が多い。

そうじゃないんです。指導者がそれを分かっていて、迷惑をかけられても良いと思っているのであれば、親は頑張って道場に来させ、指導者に任せてほしいのです。

心配なのは、海外では今でも大企業家や偉大な政治家、科学者でAD/HDの傾向のある人が書ききれないほど多く存在するのですが、日本ではあまり聞かないのです。
せっかく、世界に影響を及ぼすほどの才能を持っているのに、無理やり他人と同じことをさせようとして、凡人以下に潰してしまう土壌があるのかと心配です。

このブログを始めた頃に書きましたが、空手界でもどこの世界でも、

「凡人の常識は天才の非常識、天才の常識は凡人の非常識」です。

空手なんか覚えなくてもいいじゃないですか。空手を覚えなくても飯は食っていけます。初心者の形をひとつ覚えるのに2年かかってもいいじゃないですか。もしかしたら、他人が一生かかってもできないことを一瞬のうちにやり遂げてしまう人間になるかもしれないのですよ。

AD/HDというのは、障害ではなく個性なんです。いや、才能なんです。それもとてつもない才能ですよ。だから、空手なんかできなくてもいいんです。
いや、スポ-ツ界でもマイケル・ジョーダンやマジック・ジョンソン等もAD/HDでしたから、10年後には世界5連覇なんていう偉大な空手家になっているかもしれません。

だから、AD/HDは希望だと思えば良いんです。
 子育てに正解はないが・・・
2012年07月24日 (火) | 編集 |
最近は、ずいぶんといじめの問題が表面化し、毎日のように世間を騒がせています。私も永年教育の現場に身を置いて、自分でも取り組んできた問題なので、他人事ではありません。

世間では、元教師の先生方がコメンテイターとしてあちこちの局から引っ張りだこです。しかし、どのコメンテイターも、加害者と被害者という単純な図式でしかいじめの問題を語っておらず、こんなことをいくら語っても何も解決しないと思い、少々ガッカリしています。

いじめが悪いなんていうのは、有名な先生でなくとも、有名な司会者でなくとも、有名なタレントでなくてもみんな知っているのです。

では、なぜその悪いと知っていることをやってしまうのか?ここをもっと掘り下げて考えて行かなければいけないのではないでしょうか?

うちの子供たちが小学生から中学生の頃は、いじめや学級崩壊の問題をよく耳にしました。また、親が学校に乗り込んで、いじめた(と思われる)生徒をいじめられた(と思われる)子の親が怒鳴り散らすなんてことも何度もあったようです。

担任の先生の中には、頼りない態度で表面的なことしか言わず、最後は喧嘩両成敗で片付けてしまい生徒のフラストレーションがさらに貯まる結果になることもありました。
しかし、中には「この問題は私に一任してください。」と親の前で堂々と言い、見事に解決した立派な先生もいました。



まず、いじめにあっているのではないかと親が感じた時に、どう行動すれば良いか? ある有名な先生が雑誌でこうおっしゃっていました。

「子供が苛められていた場合には、とにかく大騒ぎすること。学校​や教育委員会はもちろんですが、暴力やお金に対する問題があれば​、警察や弁護士に相談することも必要です。・・・」

これは、明らかに火に油を注ぐ行為です。おそらく、この方は本当に深刻ないじめの問題に対面したことがないのでしょう。少しでも、現場での経験があれば、絶対にこんなことは言えないはずです。
確かに、今問題となっているいじめのように、ほぼ一方的に被害者となっている場合もありますが、そうでない場合も非常に多いのです。
だから、事実確認を入念に行い、軽率に行動することのないよう、注意しなければなりません。

大騒ぎをするのは、学校も教育委員会も何もしてくれず、我が子が苛められていることを100%確証を得てからです。つまり、最後の手段としてやむを得ずに行うべきものであり、最初からこんなに大騒ぎでもしようものなら、本当に大切な時に誰も動いてくれないことになってしまいます。

親が大騒ぎでもしようものなら、わが子は二度と友達の輪に入っていくことができなくなります。


また、私の経験上、半数以上の割合で事実誤認でわが子が苛められていると思い込み学校に乗り込む場合、逆に一人の生徒のあまりの横暴にクラスメイトが我慢できず、誰が何度言っても聞かないので、ついにみんなから相手にされなくなった等、決して、我が子が被害者とは限らない場合が多いのです。

そこをいちいち大騒ぎをされてしまえば、学校自体が崩壊しかねません。

また、学校の先生に高圧的な態度を取り、それを我が子に見せつけでもしようものなら、子供は大人を尊敬しなくなります。それは、いずれ回り回って親である自分たちに返ってきます。

ですから、親はあくまでも冷静に対処しなければなりません。もちろん何が何でも我慢する必要はありませんが、「とにかく大騒ぎしろ」というのであれば、「あなたはモンスターになって学校を引っ掻き回しなさい」と言っているのと同じです。

親が冷静に対処できないのであれば、第3者を通じて問い合わせを行っても良いと思いますが、とにかくあくまでも冷静に対処してください。
私もいじめ問題に何度も直面し、間に立ったことがありますが、被害者側と加害者側は見解は大きく違います。そこを根気よく摺合せ、少しでも共通の見解を見出さなければ、双方にとって得をすることはありません。


とはいっても、命に関わる問題の時は、そんな流ちょうなことを言っている場合ではないと思います。そのためには、日頃からアンテナを張って子供の動向を見守ることが一番でしょうね。
 人間力
2012年07月23日 (月) | 編集 |
前回は、一流の教師とはどのような人かを書きました。
今回は、生徒一人一人の資質について述べてみたいと思います。

黒帯を取り、後輩の面倒をみさせると、その子の資質が分かります。まず、教えた方の上手下手も重要ですが、それ以前に声がより大切だと感じます。
一所懸命に教えていても、声に力のない子は相手に響かず、結果まったく上達していません。

反面、声に力のある子は、特別大きな声を出しているわけでもないのに、しっかりと内容が後輩の頭に入り、指示通り動いています。

自然体で、優しく指導しても、後輩が集中して指導をうけることができる先輩がいれば、厳しくしても後輩はボ~ッとし、いくら教えてもまったく理解しようとしない。

これは、要領の良い悪い以前に、人間力の有無で人が動くか動かないかの差ではないかとつくづく思います。

同じことを言っても、人が聞いてくれるかくれないか?これは、筋道を立ててハッキリとわかりやすく説明をしても、相手が聞いてくれるかどうかわからない。やはり、話の内容以前に声に力がこもっていれば、人は動きやすいということだと思います。

物静かであまり騒がず、大きな声も出さなくても、声に力がこもっていれば、人の心に響くものだと思います。

私は、将来どの選手がものになるかを予想する時に、現時点の強さはほとんど参考にせず、性格を観ますが、どんなに性格が良くても、オーラがないとやはり一流の選手にはなることはできません。


では、オーラをどのようにして発することができるのか?

こればかりは難しい問題です。発しようとして発するのではなく、自然と出ているわけで、それを他人が感じるかどうかですから。
面白いもので、オーラを発している生徒は、広い会場の大勢の選手の中にいてもすぐに見つけることができます。オーラのない生徒は、すぐ近くにいてもなかなか見つけることができません。

やはり、空手を学んで、強い心と体を作ることは、人間そのもののエネルギーを大きくする、つまり人間力そのものを養っていくことではないかと思います。
 一流とは?
2012年07月22日 (日) | 編集 |
今回のトピックは、空手に限らず、すべてにおいて共通することだと思います。

最近の私の関心は、最近ニュースで頻繁に目にする学校のいじめ問題です。学校の教員も、さまざまな板挟みにあい、思うように生徒を指導できず、ジレンマの中で仕事をしていると思います。

生徒の自殺も大きな問題ですが、教師の自殺者も年間約150人前後もいることは皆さんご存知でしたか?

ここで、学校や教育委員会の批判をするつもりはありませんが、やはり教師の資質というものも、今後は十分に考慮していくべきではないかと思います。

良い教育のためには良い教師が必要です。


教師として最も大切な要素とは何か? 私は人が好きであることだと思っています。人に興味のない者は勉強を教えることはできても、人を育てることはできない。

教育とは、そのものずばりで、教え育むことです。教えることはできても育むことができないでは、教師の資格はないと考えます。



さて、以前私は学校の管理職をしており、そこは海外のカリキュラムで授業を行うために、教師はほとんどが外国人でした。どの人間を採用するか?私が人事を任されていた時のことです。


まず、良い教師の条件で最初に挙げることは声が大きい事です。声の小さい人は、何を言っているのか生徒が聞き取れず、教室がざわつきます。

しかし、声が大きいだけではまだ一流とは言えません。とりあえず及第点には達しているのですが、絶対にうちで働いてほしいと思うまでには至りません。

では、一流の教師とはどういう人か?

すばり、腹から声を出せる人です。人間とは面白いもので、腹から声を出せる人は説得力があります。例えば、2人が同じ人に同じ事をお願いしたとします。
ひとりは快く承諾され、もう一人は断られる。この場合、腹の座った人の声には説得力があり、相手に受け入れられる可能性が大きくなるのです。



そして、さらに一流かどうかを知るには、私の場合姿勢に注目していました。背筋がピッと伸びて胸を張っている人は、例え若い女性でも生徒たちは騒ぐことなく、真剣に話を聞きます。

ある年、若いカナダ人教師が面談に来ました。日本でもそうですが、若い女性教師はへたをすれば生徒たちにからかわれ、授業にならないこともあり得ます。

ただ、私がその女性教師を観た時、素晴らしい姿勢で自然な口調、上半身に一切の力みがありませんでした。
試しに、1時間だけ授業を任せてみましたが、我々が教室に入った瞬間、生徒全員が教壇に注目し、静まり返りました。一瞬にして場の雰囲気が一変したのです。

私は、この人ならば大丈夫だと確信し、1秒で採用を決めました。

彼女はその後期待どおり、というよりも期待以上の成果を上げてくれました。



この姿勢と腹というのは、万国共通のようです。私が某国でナショナルコーチをしていた時に、日本でいう体育協会のある理事は、女性で学校の経営者でもありました。
私は、彼女の学校体育推進プロジェクトのメンバーとして1年半ほど国内を定期的に回って高校の授業として空手を指導していました。

彼女は、素晴らしい人格者で多くの人に慕われていましたが、目を惹いたのはその美しい立ち姿です。齢50に達し、肥満気味ではありましたが、背筋が伸び、胸を張った姿には気品があふれていました。

会議の時など、我々の前に笑顔で現れると会議室全体に心地よい緊張が走ります。そんな雰囲気ですから毎回有意義な意見が出され、十分な成果を上げることができました。

異国の地で、このような真の教育者の下で仕事ができたことは、私の人生において、大きな宝となっています。


一流の教師というよりも一流の人間は、その場に立っただけで人が注目し、多くを語らずとも、大きな声を出さずとも、場を引き締めることができる。


そんな教師が日本の教育現場で、何人いるでしょうか? 教師の質自体、大きく下がっていることを実感します。
これでは、学校が荒れるのも偏差値が下がり続けるのも仕方がないかと思う今日この頃です。

 好奇心は向上心につながる
2012年07月21日 (土) | 編集 |
ある外国人の先生からこう言われました。「日本の子は覚えが悪いですね。」

私も正直そう思います。覚えが悪いというよりも、ボ~ッとしている子が多くなりましたね。
これは、やはり乳児の時から刺激が足りないことが原因ではないかと思うのです。


1980年代は、某首相が「日本は知的水準が世界一」などと発言し、世間からバッシングを受けましたが、そんな時代を懐かしく思います。

私が80年代に海外に出ていた頃は、なぜ海外の人たちはこんなにも覚えが悪いのか?日本人ならば1時間で覚えるところを3日も4日かかっても覚えない。なんて失礼なことを思っていました。

しかし、今では東南アジアの子供たちの方が、はるかに物覚えが早く応用も効くのです。


さて、私が海外に出始めた80年代の前半は、確かにJapan as No.1でした。日本の成長はうなぎのぼりで、この栄華は永遠に続くのではないかと私でも思っていました。

しかし、当時の海外の子供たちと日本の子供たちを比較すると、確かに日本の子供たちの方が知識はあり、物覚えも良かったのですが、決定的に劣る点がありました。

それは、子供に最も必要と思われる好奇心です。

世界中どの国を訪れても、子供たちは日本人の空手家を見たさに集まってきます。そして、奇声を上げて、映画で観た空手というか、功夫のものまねをするのです。
正直、変な真似をされてこちらはムカッとしますが、子供たちは全く悪気がなく、眼はキラキラ輝いているのです。

世界中どこにいっても、子供は何でも物を真似るのです。異国の言葉でも覚えるのではなく、とにかく口にする。それが合って通じれば大喜び、変な発音で通じなくても大笑い。
とにかく、動作を真似る、言葉を真似る。子供は、物まねの達人なのです。


当時、日本に帰国するとバブルの絶頂で、途上国を専門に渡り歩いていた私は、逆に異国の感覚で日本を歩いていました。電車の中で会話がなくみんな黙って座っている。
子供は、海外に比べ子供らしくない。喜怒哀楽を表情に出さない。


ですから、確かに日本が栄華を誇った80年代であっても、子供たちの好奇心を比べると、既に没落の傾向は現れていたことになります。


知識は、誰かに教えられればある程度は身に付きます。しかし、本当の知識は、自分で覚えなければ身に付きません。
また、知恵というものは、自分で何とかしたいと思うからこそ湧いてくるものだと思います。

この源となるのは、やはり人間の好奇心ではないかと思うのです。

好奇心は、向上心につながります。向上心があれば、人はあれこれと工夫をします。

やはり、今の日本に必要なのは、私が80年代から90年代にかけて海外に住み、今も海外に行くたびに眼にする子供たちの好奇心ではないかと思うのです。



あっ! それから、これとは関係ない話ですが、80年代のマレーシアは、マハティール首相のルック・イースト政策で、欧米の前に日本というお手本がある。日本に追いつけ追い越せと、頑張っていました。私が当時のマレーシア国民で感心したことは、赤道直下の国にもかかわらず、ビジネスマンはネクタイを締めて仕事をしていたことです。
他の熱帯地域には見られなかった光景に、この国の明るい将来を見た思いでした。
今、日本ではクールビズで国会議員の先生方もノーネクタイでお仕事をなさっていますが、当時のマレーシアを観たものとして、これで日本は大丈夫だろうかとの危惧も少々抱いています。

例え暑くてもネクタイを締めることが、気を引き締めいい仕事につながるのではないかと、個人的には思っています。
 結局基本が出来ているかになる
2012年07月20日 (金) | 編集 |
前回の記事で、蹴りは股関節が柔らかければ良いというものではなく、内外転・内外旋ができるかどうかであり、それには引き手が重要だと書きました。

実は、何かを掴んで引っ張る時、力こぶのできる筋肉である上腕二頭筋を使って引いても、大きな力は出ません。それを肩甲骨が使えるようになると、本当に何倍も強くなります。
ですから、引き手というのは、手を引くのではなく、肩甲骨を寄せることが大切だと思っています。肩甲骨が使えるようになったら、あとは手自体は引かなくてもいいんです。すべてを肩甲骨だけで操作してしまえばいいんですから。

普段から基本の受けや突きの時にあれだけ引き手を取っていながら、蹴りの時に引き手を取れる生徒といくら言っても取れない生徒がいます。

確かに、最近は肩が凝っていて、僧帽筋が異常に固い生徒が増え、背中の筋肉を動かせない子が多いですね。でも、引き手を使っている生徒は言われたことを徹底してやろうとしている。

反面、引き手を取らない生徒は、取れないのではなく取らないのです。

ここで、指導されたことが身に付く生徒といつまでも自己流で進歩しない生徒に分かれるんです。


私は、「言われたことは徹底してやりなさい。自分でやっているつもりでもほんの少ししかやらなければ、他人から見てまったくやっていないのと同じです。」と言いますが、「自分はちゃんとやっているつもり」になっている生徒は結果、まったく上達しません。

引き手って、ほんと大事だなと思います。肩甲骨が使えることで、あらゆる動きが一段上のレベルでできるようになる。

だから、「引き手」という言葉に騙されてはいけません。引き手は手を引くことではないのです。



やはり、本当の基本が身に付いている生徒は、言われればすぐにできる。器用な生徒は中途半端な基本でもそこそこできてしまいますが、それ以上のレベルには行けないでしょう。

なぜならば、前述したように、引き手は一段上のレベルで動けるようになる、魔法の身体操作だからです。器用な子は、引き手をろくに使わなくても良い動きをしますが、やはり体力の限界がその子の限界となってしまう。


蹴り以外に例をだすと、突いた後に間を切る時、足で後退したら相手は反撃のため前進するのですから、追いつかれてしまいます。
しかし、引き手で間を切れば相手が反撃しようとしても、一瞬にして間を切るので反撃できないのです。

また、後退するだけでなく、突いた手を引くことで、「横に回る」「間を詰める」ことも足だけで動くよりも速く強くできるので、大変便利です。


だから、やっぱり基本なんですよ。基本稽古の時に「引き手をしっかりと取れ!」と先生がうるさく言う。
これは、まったく理にかなっていることなのです。

基本って、一番つまらないと思います。私も習いたての頃は、一番手を抜いていました。形や組手の方が絶対に面白いですから。

でも、経験を積めば積むほど、指導者となって指導すればするほど、基本ができているかどうかが、その後の上達に大きく関わっていることを痛感します。

ここを読んだ人は、基本の時に引き手をしっかりと意識して稽古に励んでほしいと思います。
 蹴りは引き手が鍵
2012年07月18日 (水) | 編集 |
蹴りは、股関節が柔らかければ蹴れるというわけではありません。180°きれいに開脚ができても蹴りが下手な選手がいれば、開脚ができなくても蹴りが得意な選手がいます。
蹴りというのは単に足が上がるかどうかではなく、股関節の内外転、内外旋と様々な操作が必要になってきます。

それらのエクササイズはたくさんあるのですが、蹴りに最も効果があるのは引き手をしっかり取ることです。股関節と肩甲骨は関係性があり、肩甲骨の操作で股関節の動きを円滑化させることができます。


例えば、中段逆突きの後に前足で蹴る時、突いた手を強く引いて肩甲骨を寄せると蹴り足を勢いよく飛ばすことができます。

中には、反対に肩甲骨を開く者がいますが、そうすると背中が丸くなり、骨盤が後傾してしまい足が上がりません。

また、前足で蹴る時には前手のガードも大きく関わってきます。引き手が弱い者は背中が丸くなり、脇が空いて、おまけにガードの前腕が横になり、防御にも支障をきたしてしまいます。前腕はあくまでも盾のように使うので、しゃれになってしまいますが、縦にしておくべきです。

この前拳でのガードの意識を持っていれば、後ろの手を目一杯引いても相手の攻撃を食らうことはないでしょう。

なぜ、強い引き手が必要なのか?
それは、手というよりも肘を強く引くことで股関節の外旋運動が円滑に行われるためです。

これほど大切な引き手ですが、どうもその需要さを認識せず、基本の時に中途半端に行っている生徒が多いのは残念です。

今後、蹴りがうまくなりたかったら、基本稽古の時や形をする時に引き手を徹底して行ってみてください。
 何となく思った
2012年07月17日 (火) | 編集 |
最近なんとなく思ったことです。それぞれの内容に関連性はありません。
というよりも、全然違うことを書いています。昨日と今日、なんとなく自分が思ったことを書いてみただけです。

気軽に読んでください。


1、旗の巻方
審判をやっていて、旗を巻いた時、どちらの旗が表になっているか? 通常は赤が上になっているが私は青になります。巻き方が逆だからです。
だから、審判がローテーションで回る時、他の審判の使っていた旗をいったん広げて、再び逆に巻いています。
でも、私が使った旗を次に使う審判も逆に巻かれているので、面倒でしょうね。

昨日、お手伝いに行った某大会で、同じコートの審判8名中、私ともう一人青を上にしている先生がいました。一般的に左利きの人は巻き方が逆になりますが、その先生は右利きだそうです。

私は、元々左利きでした。箸とクレヨンを持ち始めた時、両親が右に改めたようですが、おかげで字と絵が悲しいほど下手です。
これから、お子さんを育てる方にアドバイスします。お子さんが左利きならば、無理して右に直すことはしない方が良いと思います。
多少の不自由はありますが、才能を伸ばすにはそのままでいいと思います。

今、パソコンを使ってこの記事を書いていますが、私はマウスも左手で操っています。
子供の頃、男の子はほとんど野球をしていました。私は本当は左打席で打ちたかったのに、みんなと違うと何かと迷惑がられ、無理して右で打っていました。
グローブも左用だと気に入った物がなく、結局右投げになってしまいました。
おかげで二流選手になれたかもしれないところを三流選手で終わってしまったのです。

でも、こうして改めて文章にしてみると、結局左で突っ張り通せなかった自分のせいですね。


2、最近の事件
 今日は、二か月に1度あるかないかのお休みの日でした。とはいっても、1日中今書きかけの本の原稿を書いていましたが、休憩中にネットで今話題となっている、大津中2自殺事件を調べていました。
 加害者と思われる生徒とその親には正直憤りを感じざるを得ないのですが、気になった事があります。

 テレビにたびたび出演される有名な教育者の先生方のコメントが、判で押したように机上の空論しか言わないことです。
 そりゃ、誰だって加害者が悪い、被害者がかわいそうだと思っています。しかし、いじめというのはそれほど単純なことではありません。学校側がなぜ何の措置も取れなかったのか?教育委員会がなぜ調査をろくにできなかったのか? 
 そこを言わずして、学校の批判、教育委員会の批判をしても、私は興味をもてませんでした。

 今回の件は、個人的には明らかに加害者と思われる生徒が一方的に危害を加えていたのではないかと予想しますが、だからといって世間のすべてのいじめをいじめた方が100%悪いと言うのは、非常に危険な考えだと言わざるを得ません。
 「いじめられている方が、いじめと感じたらそれはいじめなんです。」という考えにも半分は賛同し、半分は反対します。

時に異常に神経質な子供がいます。ちょっとからかっただけで大げさにいじめだと騒ぐ。それは良いとしても、これまでいじめる立場にあった者がある日を境に、いじめられる立場になった子。親の性格がきつく、他の親や子供にきついあたり方をして、大人である親を非難することができないので、子供に批判を返すこともありました。
いじめが100あれば、対策も100通りあると思った方が良いのです。

その場のいじめに限って言えば加害者が悪いと思いますが、元を辿って根本を解決しないと真の解決にはなりません。

 こう思うのも、私が過去に、そして現在、教育の現場(学校)に身を置いており、これまで数多くの事例に関わってきたからです。
 10年前は、私はどちらかといえば、そういった元気の良すぎる子の担当であり、経営者からは「いつ生徒や警察から電話がかかってくるかもしれないので、携帯電話は24時間離さずに持っていなさい」と言われていました。
夜中の2時すぎに警察から連絡があり、親の代わりに生徒を引き取りに行ったことが何度もあり、ついには刑事さんに名前と顔を覚えられたほどです。

 やはり、いじめは悪いです。でも、それなりの器量を持った教員が対応に当たらないと、余計に悪い事態を引き起こすこともあります。
 先生の対応としては、「いじめた方もいじめられた方も悪い」と両方に平等に説教する人は、非常に危険でしょう。「喧嘩両成敗」的に、簡単に解決できないのがこの「いじめ」なのです。

 それと、私はこの加害者と思われる生徒たちに憤りを感じますが、やはり本人と家族を実名で、それも写真付きで掲載されることには、危惧を覚えます。
 個人的には、相当ひどいことをしたと思っていますよ。でも、それを立証できない限り、彼らを加害者と断定はできないのです。にもかかわらず、現時点で様々な情報がネットに流失し、中には誤報もあるでしょう。
 しかし、一度メディアに流れてしまえば、例えそれがデマであっても既成事実化してしまうこともあるのです。

 ですから、我々は憤りを感じながらも、ここは冷静に考えて行かなければいけないのではないでしょうか。あくまでも、しかるべき機関による事実解明が第一であり、憶測で行動を起こしてはいけないということです。

 この事件を読み解くには、学校を取り巻く環境を冷静に第三者機関が分析し、そこを解決していかない限り、同様の隠蔽体質は、今後も続くと思っています。



 前置きが長くなってしまいました。私は、世の中に出れば、人は理不尽なことも汚いことも経験するとは思いますが、学校や空手等の未成年の教育に関わる場では、きれいごとを通さなければいけないのではと思っています。無理やり大人の都合を教育現場に持ち込んだりしてはいけないと思うのです。

 そりゃ、空手の先生だって時には反面教師になる場合もあります。間違いはしょっちゅうしでかします。学校の先生も同じです。
 でも、あくまでも自分の関わる範囲においては勧善懲悪を貫き通し、すべての生徒を平等に扱わなければ、教育とは言えないのではないかと思うのです。努力した者、頑張った者、勇気ある者は報われる社会、せめて空手界だけでもそのようなきれいごとが通用する社会にしたいものです。
 気合の出し方
2012年07月15日 (日) | 編集 |
自分の気合は、どのように出しているかはっきりわかっていますか?

簡単に思い浮かぶだけでも、

「エイッ!」「ヤーッ!」「トォーッ!」「タァー!」「テーイ!」等でしょうか?

外国人などは、「ティヤーッ!」なんて気合も出したりします。
ところで、気合はなんていおうと大きければ良いんだと思っていませんか?
私は、そう思いません。

気合の出し方によって、圧のかかり方が大きく変わってくるからです。
まず、私の考えはこうです。

気合を母音のアオウエイに分けます。なぜこの順番にしたかというと、アはもっとも口を大きく開ける、いわば解放の音です。そこから徐々に口が小さくなり、イは口を開けるというよりも横に開く、いわばもっとも圧のかかる音です。

しかし、圧は単にかかれば良いのいうものではなく、解放した方が力が抜ける分、拳が飛びます。

私の主観ですが、「エイッ!」という気合を出す人は、剛柔流に多いような気がします。いわゆる、筋肉の締めで威力を生み出すので、最初からエとある程度の圧力を腹部に持ち、イでさらに締め込み、ッで呼吸を止めて圧をMAXにした時に技を決める。そんな感じでしょうか?

対して、松濤館系の人の気合は、「ヤー!」「トォーッ!」といった、解放の気合で拳を飛ばす人が多いように感じます。

また、当然ですが、いつもいつも同じ気合で良いというわけではなく、技によって気合の発音も変わるべきだと思います。

最近の子供たちは、圧のかけ方を知らないので、気合が小さく、その分技が弱いように思います。

半分冗談ですが、空手の稽古の前に、アエイオウと大きな口を開けて発声練習をしたら、いい気合いを出せそうな気がするのは私だけでしょうか?
 構えの比較
2012年07月13日 (金) | 編集 |
今日は、構えについて書いてみましょう。日本の構え方は、正眼の構えを基に作られているのが一般的ではないかと思います。

対して、海外の選手はほとんどが真横に構えます。

この構えの違いの理由は、身体操作の違い・戦術等、一言で言うのは難しいのですが、1点だけ確実なことがあります。

それは、日本人の構えは自分の身体の前に両手を置くのに対し、海外の多くの選手の構えは、前腕の後ろに自分の身体を隠すように構えることです。

いわば、「前腕を盾として身を守り、後ろの拳は盾の後ろで槍を隠し持つように」こんな例えでしょうか。

この真横に構える方法は、肩甲骨が寄っていて背筋が伸び、股関節の外旋がスムーズに行われるので、蹴りが出しやすいのです。
ですから、構えの差によって蹴りが多様化するという効果があるのです。

加えて、真横に構えて腰を切って攻撃するスタイルは、同じところに立っても真横に構えた方が相手の突きは届きません。しかし、こちらの攻撃は届くのです。

よく、海外の選手は間合いが遠いと言われますが、映像を観ると日本人とそれほど違いません。しかし、実際に立ち会ってみると確かに遠く感じます。こちらの突きが届かなくても、相手の突きは簡単に届くのです。

これを、手足が長いから外国人の突きは届くんだなんてことも永年言われてきましたが、実際は今の日本の選手の体格は、同じ体重ならば欧米の選手に手足の長さは劣っていません。

理由はこの構えの違いなのです。真横に構えることで、相手からは遠く自分からは近いという、間合いのマジックを使っているのです。

日本人だって、海外で空手をやっていれば、簡単にこのようなスタイルが身につきます。だから、多少の身体的な特徴もあるでしょうが、まだまだ海外との交流が少ないことで、「明らかに異なる発展形態」をとっているにも関わらず、その違いを明確に認識できないのでしょう。

私は、決して海外のスタイルを真似するというわけではなく、現在のルールでは真横に構えた方が有利になるので、日本も徐々にそのようになっていくのではないかと予想しています。


そう、決して真似ではないのです。日本の武道にも撞木立ちといって、一直線上に足を置いて真横に近い構えがあるのです。私は、後屈立ちも猫足立も撞木なのではないかと考えます。

だから、空手本来の技を研究すると、海外のスタイルもよく理解できると思います。
 ゴールか?スタートか?
2012年07月12日 (木) | 編集 |
中学になると、部活動に時間を取られ、道場にもなかなか顔を出せない生徒が多くなってきます。生徒も、部活と道場の板挟みで大変です。

予め小学6年生までに黒帯を取って、中学になったら部活に入るので空手を辞めると考えている生徒も多いと思います。

もちろん、私は空手を辞めるということはその生徒と会えなくなることなので、空手は長く続けてほしいのですが、やはり生徒の人生ですから「辞めるな」なんてことは言えません。

中学の部活もそうですが、高校で空手をやるかやらないか?大学で空手をやるかやらないか?社会人になって空手を続けるか?
日本のシステムだと辞めるきっかけが多すぎるような気がします。

海外は、それほどでもないんです。まず、空手の特待生として進学するというケースが海外ではほとんどありません。学校の部活動として空手を行っているところもありません。
だから、高校になっても大学になっても、空手をやりに道場に通うのです。
部活を週7日、時には夜遅くまで練習をするのは、私は日本以外には聞いたことがありません。


その代り、進学は学力がすべてですから、海外の学生は勉強をしっかりとやります。「勉強はダメだから、高校も大学も空手で行きなさい」なんて言われるのは日本くらいです。

このシステムの違いから、日本では黒帯を取った時に、一つの区切りとして辞める生徒が多いのではないかと思います。
海外は、黒帯を取った時から空手家としての人生が始まると捉える人が多いのです。ようやく、帯が黒になって一人前の空手家の仲間入りをしたと考え、今まで以上に空手家であることを自覚して努力する人が多いと感じます。

だから、空手を社会人になるまで続ける人が圧倒的に多いですね。

黒帯をゴールと考えるか?スタートと考えるか?これって、違いが大きいと思いますよ。


また、全少・全中を目標に頑張ってきて、出場の夢を果たした途端に、やる気が失せる生徒もいます。逆に出場を決めたら、今度は一段上のレベルでの優勝を目指してさらに頑張る生徒もいます。

空手に限らず、何か環境の変化やきっかけがあるごとに、次の目標に向かってさらに頑張る生徒と、環境が変化するとそのつどやる気をなくしてしまう生徒では、これからの長い人生を考えた場合、ものすごい差となって現れると思います。

ゴールの設定は大切なことです。ゴールがなければどこまで走り続ければ良いか分かりません。でも、ゴールをした後に次のスタートを始めることができるか、そこで終わってしまうかの違いは大きいものです。

でも、これは必ずしも休むなということではありません。充電期間は人生では重要です。息抜きがなければどこかで行き詰ってしまいます。充電したら次の目標に向かってまた突っ走れば良いと思います。


最後に、海外のある支部で段を取った生徒に対する授与式で、その国の師範がおっしゃった言葉を書きましょう。彼は英語で言いましたが、日本語で書きます。

「黒帯になるまでは、どれだけ自分が空手を覚えたか、どれだけ知っているかを考えなさい。覚えれば覚えるほど、知れば知るほど黒帯に近づきます。」

「しかし、黒帯を取ってからの道は、どれだけ自分は空手を知らないか?やればやるほど分からないことが多いということを自覚します。ある疑問が解決するとそれ以上の疑問が湧いてくる。それを解決しても次の疑問が湧いてくる。永久にその繰り返しです。だから、人間として成長できるのです。」



こういう考え方が出来れば、空手を一生涯続けていくことができるかもしれません。
 組手はコミュニケーションだ!
2012年07月11日 (水) | 編集 |
当会には、形分解組手というものがあります。形をパートナーと共に決められた攻防を行うものですが、これがやってみると結構バカにできないのです。
形の意味を知ることにも役立ちますし、掴んだり組んだりするので相手の力の方向がわかります。加えて、私は何よりも相手とのコミュニケーションを取る最高の手段だと思っています。

これをやってみると社交性のある者は、距離とタイミングの取り方が上手です。普段友達と遊んでいない、また家族との会話の少ない生徒は、どうしても相手との間が合いません。
逆に、友達が多く家族との会話が多い生徒は、空手の実力はともかく誰が相手でもそれなりにできてしまいます。


これは、約束組手でも言えることで、なぜか誰とやっても間が合わず、何度もやり直しをしたり、酷い時は相手が突く前に受けてしまったりと、まるでコントでもやっているかのようにタイミングが合わない生徒がいます。


対人との約束事を行ってみると、やりにくい相手とやり易い相手がいることがわかります。これも相手の呼吸が読めるか読めないかが大きくかかわっているのでしょう。


生徒一人一人を観察していると、カウンターでの失点が多い者は、対人相手の約束事が苦手のようです。カウンターをもらう子は、自分本位の組手を行っているから、相手も攻撃してくるということを分かっていない。何度食らっても、なぜ合わせられたのかわからないから、さらにカウンターを食らい続ける結果になります。

こういう約束事が上手な生徒は、組手の試合でも間を盗まれることはありませんね。

生徒の傾向は、小さい子を相手にした時も顕著にでます。コミュニケ―ションがうまく取れる生徒は、小さな子を相手にしても相手の良さをうまく引き出せるし、さまざまなタイミングで技を出していますが、人とのコミュニケーションが苦手な生徒は、どうしてもワンパターンの攻防になってしまいます。


特に、最近は形は習っても意味を知らない。いわゆる競技のための形になっている。組手も地稽古ではなく、最初から競技のルールで行うことが多くなり、ますます性格の欠点が組手に出てしまう生徒が増えているように思います。

確かに、私も予め決められた技しか出せない約束組手はつまらなくて嫌いでした。でも、今になって思うのは、こういう昔ながらの稽古って、結局は上達には欠かせないものだったのだということです。

つまらない稽古は、今の子供たちにそのままさせてもつまらなくて集中できないでしょう。

そこは、指導者のアイデアで飽きないように、どのように興味を持たせるかが腕の見せ所だと思います。
 いつか支援から交流になるまで・・・
2012年07月10日 (火) | 編集 |
一昨日7月8日は、光が丘体育館でSayOss!Vol.12in東京合同練習会が行われました。
これは、現在土佐樹誉彦先生が中心となって、東北の復興支援のために各地でチャリティを行っているものです。

きっかけは、2004年に起きた新潟中越地震の時でした。私が空手で何か被災地に元気を与えることはできないかと思っていたところ、土佐先生が快く協力を申し入れていただきました。

残念ながら当初の支援計画は実現することができませんでしたが、今度は若い指導者や選手が中心になり、東北支援のために尽力をしてくれています。


昨年の3・11大震災の直後に土佐先生から電話を頂いた時から言っていたことです。2011年は震災の年で日本中、いや世界中で復興支援の声が高まり盛り上がりますが、年が明けるとそれまでの熱はいっぺんに冷めてきます。
そして、2013年になれば復興を口にする人が果たして何人いるか?
でも、いまだに復興はなされておらず、今日の食事さえ満足にできない、寝る場所さえない人がまだ多く存在しているのです。

産業が元通りになるのは、いつになるのかさえ予想できない状態でしょう。

だから、我々の真価は年が明けてからになるということを話し合いました。昨年は、復興支援の空手道大会も数多く開催されましたが、今年になっても支援を続けているのは何団体あるでしょうか?



私は、アフリカにいた時は、アフリカ大飢饉の真っ最中で、まさにその中心にいました。大河が干上がり、砂漠からは何万人という難民が流れて来て、そして死んでいく。死体は軍のトラックによって運び去れらるが、その場所に新たに到着した難民が居座り、そして彼らもいずれ死んでいく。
私がいたのは1985年から1987年までですから、ちょうど世界のミュージシャンたちが一堂に集い、ライオネル・リッチーやマイケル・ジャクソン等が中心となり、We are the worldを歌っている時でした。

そして、フィリピンに移ると、ほどなく何度もクーデターが起こり、実際の撃ち合いをこの目で見ました。そして、ピナツボ火山の大噴火を経験。噴火の日は土曜日の午後で、上空の火山灰が日光を遮り、真っ暗になりました。
そして夜になると、深々と火山灰が雪のように降り注ぎました。

同じ頃に噴火した長崎の雲仙普賢岳の100倍の規模の噴火でした。近隣の村はすべて火山灰で埋まり、ルソン島にあった米軍基地は、空軍基地も海軍基地も、噴火以前にフィリピンから完全撤退し、以降フィリピンから米軍はいなくなりました。

余談ですが、中国が南沙諸島に進出し基地を作り始めたのは、米軍がフィリピンから撤退した直後でした。

そんな経験をしてきた私でも、まさか祖国日本で同様の大災害が起こるとは想像していませんでした。



皆さん思いませんか? 震災後すぐに江頭2:50さんは、サラ金で借金してまで、名前を伏せて被災地に炊き出しに行った。SMAPの中井さんしかり。タレントやミュージシャンは、積極的に行っており、Jリーガーやプロ野球選手も個人単位で支援に赴いている。

で、空手界はどうでしょうか?
被災地の野球少年たちは、プロの選手が何人も慰問に来てくれる。サッカー少年も何人ものJリーガーと触れ合っている。それを見ている被災地の空手少年少女たちは、どんな思いだったでしょう?



ボランティアいとうのは、強制されるものではありません。個人の意思でそれぞれにできることをやっていくべきです。

そして、誰がやるのかはさほど重要ではありません。何をどれだけやるかが重要なのです。すべてをSay Oss!がやらなくてもいいんです。個人個人できることがあればそれをやってください。
そして、どこに何をすれば分からない人がいたら、Say Oss!に連絡をして共に支援して下さい。

復興までは果てしない時間がかかります。2年や3年で完全復興することは絶対にありえません。来月は、関東の子供たちを引き連れて、岩手県に合宿に行き現地の子供たちと交流をさせる予定です。
私たちは、あと20年もすれば死んでいるかもしれません。しかし、今の小学生たちの交流の橋渡しができれば、あと50年以上は交流が続くでしょう。

支援とは、なにもお金を寄付することだけではありません。被災地から全少や全中、そして高校でも活躍する子が一人でも多く出るよう、技術交流をすることも立派な支援だと思います。

大きな大会はいつも東京をはじめとした大都市で行われます。全少だって、東京や埼玉に住んでいれば、朝起きて電車で行けば時間的にも余裕で間に合うし、交通費もさほどかかりません。
一方、被災地から東京に出てくるのは時間も費用もバカになりません。


ならば、今度は関東から東北に出かけていって、子供たちとの交流を図るべきなのです。

私たちのような、社会的地位もない、経済力もない人間がどんなに頑張っても、AKB48が3億円寄付したなんてニュースを聞くと、これだけのおじさんたちがたくさん集まってもAKBの何十分の一の金額しか集まりません。

それでも、空手に関わっている限りは、何年でもこの活動を続けるべきなのです。年を経るにしたがい支援の形態も変化するでしょう。そして、私たちが老いて動けなくなれば弟子たちが意思を継いで続けてほしいと思います。


いつか東北が復興を成し遂げ、支援の必要が無くなっても、それは交流という形で残ってもらいたい。支援は永遠ではありませんが、交流は永遠なのです。
子供たちに、どんなに話をしても、映像を見せても、あまりにも悲惨すぎてかえってピンとこないでしょう。それでも、今回の災害は子供たちに語るべきなのです。
そして、機会があれば見せるべきだと思います。

ここを読んだ方で、チャリティを開催しようと思う人がいたら、いつでも連絡をお待ちしています。
 新ルールでどう変わるのか?
2012年07月09日 (月) | 編集 |
本日は、SayOss!Vol.12in東京合同練習会で、約280名の選手の参加して練習試合が行われ、最後に新ルールの講習会が行われました。

WKFレフリーのゴルバニ先生による新ルールの説明の後、選抜された選手が試合を行いました。

試合の最中、私がマイクで試合の解説を行いましたが、特に強調したのは2名のジャッジが旗を出さなければポイントにならないということで、突きによるポイントが極端に少なかった点です。

数年前からJKFan誌上で、日本人の中段突きがポイントになりにくいことに警鐘を鳴らしていましたが、この新ルールの下では、さらにそれが加速された感があります。

5月末に行われた東アジア大会を観戦された方から、「なんで、日本人の突き(特に中段)はポイントにならないのですか?」と訊かれました。
東アジア大会では日本人というよりも、全体的に突きによるポイントが少なかったのではないでしょうか?


今回、新ルールによる試合を行ってくれたのは、各道場のトップクラスの選手たちです。中には何名も日本のトップレベルの選手がいました。
その選手たちの突きが、特に中段突きがなかなかポイントにならない。

多くは、蹴りや投げで3ポイントは取れるが、突きで1ポイントを取ることができないという試合でした。


このルールで2名以上のジャッジに旗を上げさせるには、本当にきれいに技が決まらなければならないのです。そうなると、基本がどれだけ仕上がっていて、強い技を出せるかが特に重要になってきます。



今日、新ルールの講習前にゴルバニ先生と雑談した際にも、私はほぼ全員が足をドンドン鳴らしているのが気になって、私は

「こんなにドンドン鳴らして組手をするのは日本だけですね。」

と言いました。

小さい頃、それも幼児の頃から試合に明け暮れ、道場の練習が試合用の形と試合用の組手というメニューなのは、私たちが知っている限りでは日本だけです。
ゴルバニ先生の祖国のイランでも、子供のうちから競技空手だけに特化することはありません。

先生も、

「子供がこんなに競技力が高いのは日本くらいです」

というほど競技に特化しているのですが、私は今後この競技力の高さがかえって仇にならないか心配しています。



というのも、今後の世界の空手界の流れでいくと、技の強さに加え残心もしっかりと取らなければならず、基本の出来が勝負を左右することになると思うからです。


多くの日本人が誤解していることがあります。


「日本人は基本をしっかりやるが、外国人はスポーツとして組手の選手は競技用の組手しかやらず、形の選手は競技としての形しかやらない。」

と多くの人が思っています。

私は、11年間海外に住み、30か国に渡る国を指導してきましたが、多くの国は形をしっかりと行い、分解を学び、形の中から応用できるものを組手に活かしています。


昨年末に来日し、現役時代は世界3連覇の偉業を達成し現在はスペインのナショナルコーチをしているエヘア氏は、

「私が子供の頃は、ひたすら基本ばかり行っていました。組手というのは3本組手の事で、自由組手はしたことがありません。」

と言っていました。

2月に来日し、今月も2度目の来日予定のギリシャのタナスも、

「道場では白帯と主に基本を行い、形を毎週行っています。」と言っていました。

だから、彼らは王者として君臨できるし、皆からの尊敬も集めることができるのです。



今の選手たちに言いたいことは、

「将来チャンピオンになりたかったら、基本を一所懸命やってください」

ということ。

道場の指導者に言いたいことは、

「今、試合に勝つことも大切ですが、基本をも形も組手もバランスよく行うことが、長い目で見た場合生徒をチャンピオンにする最も有効な方法です。」

ということです。


でも、この傾向って我々空手界に関わる人間は喜ばなければいけないと思うのです。基本がしっかりとできて、強い技しかポイントにならないのですから、運動能力よりも空手力が勝負を左右する時代になったということです。

本当にこれをラッキーと思い、しっかりと基本の稽古に励みたいですね。
 中段突きの作り方
2012年07月08日 (日) | 編集 |
WKFの新ルールのための対策が急務となっていますが、日本は新ルール以前に課題があり、そちらの解決も新ルールと同じくらい重要となっています。

JKFanでは、数年前から特集を組んでいましたが、日本選手の生命線とも言うべき中段突きが国際大会でなかなかポイントにならない傾向にあります。
理由は、腰を切らないために手打ちと解釈されることです。その解釈が正しいか否かはここでの議題ではありません。

どうすれば中段突きがポイントになるのかを述べてみたいと思います。
既にセミナーでは行っていますが、外国人審判に取ってもらえるよう、腰をしっかりと切るには、決定的に「あること」を変えないといけません。
それさえ抑えておけば、あとは普通に突けば良いのです。

その「あること」を行うにあたり、一つ改めなければなりません。それは、ドンドンと突く時に足を意図的に鳴らすことです。
これをなくさない限り、その「あること」を行うのは不可能なのです。

すでにそのための稽古体系は作成済ですが、この稽古を行うと、腰回りの体幹部が強化され、結果的に空手に必要な体力も養われるという、二次的効果も期待できます。

その内容は、後日書いてみようと思います。

 続・天才の作り方
2012年07月07日 (土) | 編集 |
昨日に引き続き、天才をどのように作るかということを述べてみたいと思います。

まず、私が常々思っているのは、子供の練習メニューと大人の練習メニューの内容は異なるものでなければならず、決して子供に大人のメニューを押しつけてはいけないということです。
過度の負荷をかける補助運動はもとより、基本や形・組手でさえも、子供には子供のためのメニューを考えるべきだと思います。

例えば、小さな頃は空手の練習以外のメニューを増やし、さまざまな動きを覚えさせて脳の神経回路の構築を念頭に入れてメニューを組むべきでしょう。

そして、神経系が完成される小学生中学年から高学年くらいに基本を徹底して身体に染み込ませるべきです。ここで、競技のための形をひたすら回数をこなしたり、試合形式の組手を中心にメニューを組んでしまうと、動きの引き出しが限定されてしまい、その後の伸びしろを無くす結果になるでしょう。

例えば、世界では相手が突いてきたところを後ろ跳び回し蹴りのカウンターを完璧なコントロールで決める選手がいます。日本の選手がこのような大技を出すことが少ないのは、リスクを負っての大技を戒める国民性もあると思いますが、子供の頃に多用な動きを身に付けていないがために、神経回路が構築されておらず、大人になって覚えたくても覚えられないのが一番の原因ではないかと思います。

また、中段逆突き一つとっても、多様な動きを幼少の頃に身に付けておくと、いつも距離とタイミングが同じではなく、相手の動きに応じて突いている途中にタイミングを変えることも可能になります。例えば、相手に受けられると感じたら、手を一瞬先に飛ばしたり、その反対に一人時間差のように突きを遅れて出したりと、さまざまなタイミングで突くことができるようになります。

いわゆる、筋肉を細かに使うことができるわけです。



私は、小さな子供に一流選手の形や組手を真似させたりするのは、必ずしも良いことだとは思いません。子供には、子供の形があり子供の組手があります。
やけに大人びた形をする子供を時折見かけますが、少々将来が不安になってしまいます。

例えば、小学生の頃から高校などに稽古に行くと、同年代の子には負けなくなります。ところが、年齢が行くにつれて周りの子に追いつかれ、高校に上がる頃には普通の選手になっている例などは、小学生でやるべきことを怠って、高校生の技術を学んでしまったということです。



また、良い指導者は生徒をほったらかしておくのが上手です。あれこれ細かく指導しすぎてしまうと子供にとっては、自分で考えなくても言うことさえ聞いていれば勝ててしまうので、以後考える習慣が無くなってしまいます。


最後に、海外の道場は子供の指導をどのようにしているかを書きます。海外の多くの道場は、小さな子供に対しほとんど空手は指導していません。まともな空手の時間よりも、さまざまな体操やゲーム形式を取り入れ、最後に少しだけ空手の基本をやっておしまいです。
ですから、小さいうちはなかなか空手を覚えません。練習の絶対量が少ないのですから当然です。

しかし、小さなうちに様々な動きを身に付けておくことで、高校生くらいになると、急速に技術が上達してきます。

この点で、海外のほうが天才が育ちやすい環境にあるのではないかと思うのです。
 天才の作り方
2012年07月06日 (金) | 編集 |
日本は、どの分野でも世界に名を轟かすほどの天才が現れにくい土壌にあるようです。理由は、規格化を徹底しすぎて、指導者の考えを押しつけ過ぎることではないでしょうか?


空手の基本の稽古メニューは、誰でも強くなれるように構成されています。いわゆる運動能力の低い人でも、時間をかけて稽古すれば一定のレベルを獲得することができます。


しかし、私がこれまで多くの天才といわれる選手を自分なりに研究してきた結果。ある事がわかりました。


 「凡人の常識は天才の非常識、天才の常識は凡人の非常識」 

ということです。

ですから、指導者たるもの、天才には天才の論理で指導しなければならないのだと思います。


私は常々、シアトルマリナーズのイチロー選手の動きを観て、きわめて武道的な動きだと敬服します。

私も高校までは野球少年だったのですが、右打者は壁を右の腰に作れと言われてきました。私は、凡才のそのまた下クラスの選手でしたが、ひとつだけ他と違っていたことは他人と異なる思考回路を持っていたことです。

他人からのアドバイスを聞かない頭の固い、いわゆる監督や先輩からは扱いにくい選手だったと思いますが、独自のアイデアは、ふんだんにありました。

その中で、中学まではスウィングの時には、前の腰(右打ちなので左腰)に壁を作って打っていました。それはすぐに直され、結局は通常の打ち方になってしまいましたが、自分なりの感触として前の腰に壁を作り、全身をそこに向けてぶつけるようにした方が、フォロースルーが楽に取れて飛距離がはるかに伸びたのです。

私自身も野球から離れ、忘れかけていた頃にイチロー選手が登場し、当時「振り子打法」と言われる打ち方で一世を風靡しました。その時に、思ったのが、彼は左打ちなので右腰に壁を作る、いわゆるそれまでの常識とは逆の方法だったわけです。

空手に例えると、従来の打法は逆突き、イチロー選手の打法は、追い突きに近い操作です。

空手の形でも特徴的なのですが、逆突きは後ろ足を張って腰を切ります。しかし、本来の多くの沖縄の形は、後ろ足を寄せながら攻撃を決めます。



さて、競技空手界に目を移すと、面白いことがわかります。世界の競技空手界は、コンスタントに右上がりに発展してきたわけではありません。ある時突然変異的に天才が現れ、それまでの常識を一掃してしまい、彼(彼女)のスタイルがその後のスタンダードとなっているのです。

ですから、凡人の積み重ねの上に天才が現れたというよりも、彼らは突然に現れ流れを強引に変えてしまうのです。


日本で、世界に最も影響を与えた選手といえば、1980年代に世界と全日本の頂点に立った鈴木雄一氏でしょう。
当時、べた足が普通というか、動き回るという概念が全くなかった時代に、フットワークを駆使して日本の頂点に上り詰め、世界では2m級の大男たちを相手に互角以上の戦いをしていました。



実は、私は同じ時代に空手を始め、学連にも出ていました。プロボクサーからの転向で、どうして空手をやって良いか分からず、最初のうちはガードを固めて、フットワークを使ってジャブを出していました。
学連の試合に出ると、当然ボクシングのパンチの打ち方ではポイントを取れるわけがなく、副審が笛を口にしながら私を見て笑いをこらえていたのを今でも覚えています。

そりゃそうです。当時の空手の試合でフットワーク使ってジャブをだし、相手の突きをダッキングでかわして、時々間違ってボディにアッパーを打ちこんでしまったりしていたんですから。


そう思うと、振り子打法も空手のフットワークも同じことをやっていたのに、天才は時代を変え私のような凡才は世間に何の影響も与えないという、当たり前の結果になったことは十分に納得がいきます。




さて、ここまで書いておいて一見矛盾するようなことを書きますが、ここからが私の本音です。
空手の基本とはなんでしょうか?

私は、天才の動きを凡人にもできるように修練過程を合理化されたものが基本ではないかと思っています。
ですから、時間をかけて基本をしっかりやれば、凡人でも天才になれるチャンスはあると思っています。



では、最初に書いたことは嘘だったのかといえば、そうではありません。

本当の基本とは、凡人が天才になれる道だと思っています。しかし、一歩間違えば、基本をやり込むことで、レベルの高い凡人を増産することにもなりかねないのではないかと危惧しているのです。


具体的にどういうことかといえば、指導者の身体意識と生徒の身体意識はイコールではありません。ですから、「こうでなければいけない」という指導方法では、指導者と異なる身体意識の生徒を潰してしまいかねないのです。

指導者にとって正しいことは、必ずしも生徒ひとりひとりにとって正しいとは限らないこともあるということです。


ですから、指導者は自己の身体感覚を生徒に押しつけることなく、生徒の感覚を感じ取ってその人間にふさわしい動きを教えることが必要ではないかと思います。


「こうしなければならない」という指導法が主流を占めている限り、日本から天才は現れにくいのではないでしょうか?



 小学生のうちに何をすべきか?
2012年07月05日 (木) | 編集 |
現在は、小学生は全少に代表される全国規模の大きな大会が開催され、関東では7月1日に第1回の関東少年少女空手道選手権大会が開催されました。

さて、ここで誤解されないよう注意して、私の本心を書かなければなりません。

まず、小学生の頃から全国規模の大会で技を競い合うことは、身近な目標ができて自身の励みとなるでしょう。

しかし、子供にとって今、勝つことを追求することが必ずしも将来のためになるかどうか?これを指導者と保護者は心して考えてゆかなければなりません。


海外では、よほどの英才教育をしない限り、または社会主義諸国でのオリンピック競技でない限り、ひとつの競技をそれも本格的に厳しく行うことはありません。

人間は、9才から12才の期間に神経系が最も発展し、ほぼ完成します。その間に限られた情報しか与えなければ、発達が制限されると言われています。

私が、知っている欧米の空手道場は、小学生の時は厳しく指導はせず、その代わり様々な動きやゲームをさせていました。そして、毎日のように稽古を子供にさせる道場はありませんでした。

空手の稽古も、基本ー形ー分解ー古武道とバラエティに富み、自由組手は極端に少ないのです。
空手以外にもクロストレーニングで様々な競技を経験し、空手もバラエティに富んだ稽古内容です。
また、稽古に入る前の体操や補強運動が長いのです。


ですから、欧米の選手は、小中学生の時は競技レベルは高くありませんが、高校くらいから急速にレベルが上がってきます。
競技が増え、全日本規模の大会や国際大会が増えるのは良いのですが、やはり子供のうちは楽しんでやらせることが第一で、競技結果は二の次で良いのではないかと思います。

指導者は、成績を残したいために必死に勝たせようとしがちですが、勝たせない勇気も時には必要ではないかと思います。

今勝ちたいのか?
五年後に勝ちたいのか?
十年後に勝ちたいのか?

どこで勝ちたいかで、指導方法は大幅に変わってきます。今勝つことが悪いわけではないのですが、今だけ勝てるのであれば、子供は先々苦労します。

ですから、子供のうちから競技に偏ることなく、バランスを考慮した稽古メニューを作成する必要が指導者にはあるでしょう。

私自身も、「勝たせたいけど勝たせない」というジレンマの中で指導しています。

一時期のみ頂点に立つ人間よりも、一生空手に関わる人間を作りたい。
多くの指導者はこのように考えているのではないかと思います。
 男の子の育て方
2012年07月04日 (水) | 編集 |
最近、というよりもここ何年もの間、道場を仕切るのは女の子です。私は、よく相撲をさせるのですが、女の子は逞しく男の子を転がしています。


私は皮肉交じりに、

「女子は、将来一家を支えて生きて行かなければならないんだから、逞しくなりなさい!女は一歩家を出れば7人の敵がいます。」
「男子は、今のうちから炊事・洗濯を覚えて家庭をしっかり守りなさい。」

と言っていますが、これが最近は冗談ではなくなっているのです。


勝気で負けて悔しくて泣くのは女の子、弱気で先生に叱られてメソメソ泣くのは男の子です。合宿でなんでもガツガツと気持ち良いくらいに食べるのは女の子で、男の子は環境が変わって食べられない子が増えました。
中には、「こいつは食事をとらずに、空気と水だけの光合成で生きているのか?」と思うような男の子がいます。


なぜ、こんな現象が起きてしまったのか? 私は家庭と学校の影響だと思っています。学校でも「男らしく」「女らしく」という教育は避ける傾向にあります。家庭でも母親はなぜか男の子には甘いようです。


ここで、世の親たちに一言言わせていただきます。


「女の子は、成長につれて自然と女になります。しかし、男の子は男であることを自覚させない限り、一生男の子のままです。」


男女を比較するとこの点が大きな差ではないでしょうか?
私は、イスラム教の国々に合計4年住んでいました。イスラム教を知らない人は、イスラム教は男尊女卑だと思っていませんか? 実は、日本人が思うほど女性は虐げられてはいないのです。

私が最初に住んだ海外の国は西アフリカのニジェール共和国でイスラム教国でしたが、なぜか職場の上司は女ばかりです。
我々日本人は不思議に思い、ある日現地の人に訊いてみました。すると、意外な答えが返ってきました。


「男を管理職にするとすぐに金をごまかして贅沢をするようになるから信用できない。管理職は女にしか任せられないんだ。」

というのです。


7年間住んでいたフィリピンも、庶民層は女性が子供を育て、仕事に行き、家に戻っては炊事・洗濯をやっていました。企業の管理職も女性が非常に多かったのを覚えています。


世界中どこに行っても、女性の逞しさは変わりません。男がダメならば女は男の代わりに何でもやります。
繁栄している国ほど男は強く、弱い国ほど男がだらしないのです。


今の日本はどうかといえば、明らかに国として衰退の一途をたどっていますが、これはひとえに男がだらしないからだと思います。

学校でも、成績の上位は女子が大多数を占めています。スポーツ界でも世界で活躍するのは、日本の場合女子が圧倒的に多いでしょう。


世の親は、男の子を男として育ててください。一家を背負えるだけの、そして国家を支えるだけの強さを子供のうちから教えなければ、いつまで経っても自立できません。

それには父親が家庭内で父親の役割を担い、母親はしっかりと母親の役割を担う。それを子供にしっかりと見せることが重要ではないかと思います。
 伸びる選手、伸びない選手 その2
2012年07月03日 (火) | 編集 |
昨日に引き続き、どのような選手が強くなるのかということを書いてみます。

 まず、大きな大会になればなるほど、強い選手と対戦すればするほど、緊張感は増して行き、少しの隙を見せたら命取りとなる場面が続きます。
 1試合はたった数分ですが、その中で数秒でも弱気になれば、守りに入れば負けてしまいます。

 では、そうならないために必要なことは何かといえば、生活の中に緊張感を持つことではないかと思います。緊張といっても、別に親がガンガン怒鳴りなさいとか、24時間束縛しなさいという意味ではありません。

 子供ができることですが、これを継続して行うことに意味があります。

 ・家で何らかの仕事を任せる事。(掃除・食器洗い・犬の散歩等)
 ・何か約束をしたら、最後まで諦めずに頑張らせる事。
 ・約束を守るべく頑張らなかった時には、ペナルティを課す事。
 ・自分のことは自分でさせる事。
 
 といった事です。

 空手には全然関係ありませんね。


 これらを徹底できれば、空手だけでなくすべてにおいて本番に強い子に育つことを保証します。

 また、スポーツに特にいえることは、食の細い選手は体力的には当然ですが、精神的にも踏ん張ることができない傾向にあります。
 体格の差もありますから、単純に食べる量で判断することはできませんが、自宅ではそこそこ食べるのに、合宿等場所が変わると食べられなくなる子がいます。
 また、好き嫌いが多く、食べられないものが多い子もダメですね。

 私は、遠征や合宿の時に食事を全部食べるまでは、食事を終わらせません。傾向として、女の子は頑張って食べるのに、男の子にすぐにべそをかいて食べられなくなる子が多いですね。

 少々話が脱線しますが、最近は「男のくせに」というといけないそうです。でも、これってとても大切なことではないかと思います。「男のくせにメソメソするな!」とか、「男のくせにウジウジして!」とか、我々の子供の頃は言われてきました。
 言い方に気をつければ、ある程度は男として意識させて育てないと頼りない成年に育ってしまうような気がします。

 日本中が草食系だらけになってしまうことはさけたいですね。


 本題に戻ります。
 やはり、プレッシャーに負けない精神と身体を作るには、上記に加えよく食べてよく寝る事でしょう。

 どんなに練習量を多くしても良い指導者についても、本番で力を発揮できないようでは勝つことができません。



 私がもしも高校か大学の監督ならば、少しくらい空手が下手くそでも、声が大きくてなんでも食べて、どこでも寝れる。加えて生活にメリハリがあり、気持ちの切り替えがうまい生徒はぜひほしいと思います。



 本番で今一つ力を発揮できない子がいたら、試合の日は絶対に起こさず、自分でアラームをかけて起き、食事も用意だけして、洗面をしたらすぐに自分で食べさせ、空手着にもアイロンを自分でかけさせ、高学年以上の女の子であれば、ゼッケンは自分で縫わせてみてください。
 つまり、親にやらせず自分のことは全部自分でやらせるのです。
 それだけで、明らかに勝負強さが増すはずです。

 さすがに、低学年の子に全部自分でさせろとは言えませんが、ある程度を自分でさせるだけで、大会の成績が抜群に上がるはずです。
 

 生活にここで書いたような緊張感のない子は、いつまでも期待されながらものにならないのです。
 そして、このような習慣をつけるのは、高校の寮に入ってからでは遅いように思います。
 小学生の時にこういった習慣をつけておかないと、空手のみでなくその先の人生で大きな苦労が待っているのではないでしょうか?
 伸びる選手 、伸びない選手
2012年07月02日 (月) | 編集 |
 私がこれまで、何千人か何万人か数え切れないほどの生徒を指導してきた中で、王者となった生徒に共通する点があったので、それについて書いてみたいと思います。

 必ずと言って良いほど、王者となった生徒は記憶力が良いのです。

 大会の反省会で、自分の試合の流れを克明に覚えており、初対戦の選手の名前もちゃんと記憶しています。自分に勝った相手がどこまで勝ち進んだかも試合をしっかりと観ているので、言うことができます。
 また、一度負けても相手に対して苦手意識を持たず、2度目の対戦で勝つことができるのも特徴です。


 性格的には、恐ろしいほど気が強いというのも共通点ですね。やはり勝負事というのは守りに入ったら勝てません。そして、気が弱い子は負けた相手に苦手意識が芽生えてしまいますが、気の強い子は再戦を望み、執念で追いまわします。

 加えて、先月の記事でも書きましたが、組手の選手は瞬きが極端に少ないので、目を見ればある程度の器を知ることができます。

 最後になりますが、当たり前のことを言わせてもらえば、「努力に勝る天才なし」というのが結論でしょう。他人と同じ量の練習では、他人を引き離すことはできない。長い目で見れば、やはりここに行きついてしまいます。

 反対に、期待されながらいつも今一歩のところで負けてしまう生徒は、これらの反対の特徴があるということです。


 当たり前のことをいくら言っても面白くありません。この中で一つだけ強調するとすれば、やはり私は記憶力を挙げたいと思います。
 自分の試合を克明に記憶しているかいないか、これだけでも選手の資質を見るのに十分のような気がします。


 私は、試合後の反省会で試合のスコアを全部順番通りに言わせ、対戦相手の名前、その試合で自分に勝った相手ならば、どこまで勝ち進んだかも訊くことにしています。
 面白いことに、期待されながら負けてしまう選手にこれらを訊いても、答えることができないのです。


 また、試合前でも勝てる選手かどうかがある程度わかります。勝つ選手は、トーナメント表が事前に配布されていれば、自分で見て相手を予想し、シミュレーションを立てておきます。当日までわからなければ、朝一番にパンフレットを確認します。
 全く相手のデータがわからなければ、何試合勝てば優勝なのか?また、試合時間とポイントは等、ルールをしっかりと確認しておきます。

 最近は、子供の分を調べて対戦相手を予想し作戦を与えている親が多くなっていますが、私はそれは子供の将来の芽をを摘む結果になると思っています。

 これらは、自分でやらなければ何の役にも立たないのです。勝ちたいから自分がやる。親が勝たせたいからといって子供のためにリサーチをしたら、子供は考える必要はありません。自分で勝とうという意欲も湧いてきません。

 この辺りは強制してできるものではなく、やはり家庭環境が大きく左右されるのではないでしょうか?
 名前はない
2012年07月01日 (日) | 編集 |
記事の題名が、夏目漱石の「吾輩は猫である」みたいになっちゃいましたが、別に猫の話題ではありません。

空手には、本来技の名前はないということは、多くの先生方がおっしゃっています。


沖縄では、立ち方や技にいちいち名前は付けていなかったということです。当初は、沖縄文化は文字で記録する習慣がなく、いわゆる「てーげー」ゆえの事かと思っていました。

確かに「てーげー」もあるでしょうが、技に名前がついているおかげで非常に応用が効かなくなってしまって困るということに気が付きました。

※テーゲー (teegee) とは、沖縄県で見られる、物事について徹底的に突き詰めて考えず、程々に適当に生きていこうという意味の琉球語であり、概念。 by Wikipedia


まあ、これは私のような中途半端な研究者が語ることをせず、しかるべき方にお任せしなければいけないのでしょうが、名前がつくとなぜいけないかということを私なりに、あくまでも私なりに書いてみようと思います。


我々は、規格化あるいはスタンダード化するために、動作に対して共通認識を持たなければならず、その為に名前を付けます。
しかし、動作に名前が付いてしまった時点で、動作の効果が限定されてしまいます。



一つ例に取れば、松濤館の「後屈立ち」や和道流の「猫足立ち」は、撞木足の一種ではないかと思っています。名前が付いて規格化され、前進する時も後退する時も受ける時も攻撃する時も同じ足幅や両足の重心の掛け方では、逆に効果が薄くなってしまうのではないでしょうか?。
剛柔流の猫足立も、やはり本来は撞木足ではなかったかと思うのです。



ここまで書いたところで、6月13日の私の記事をお時間のある方は再度読んでみてください。


猫はどのように鳴くか? 

猫は、決して「ニャ~ッ」とは鳴かないと書きました。これは、猫の鳴き声を聞いた日本人が、勝手にかつ無理やり文字に直しただけで、実際に猫の気持ちになってみれば容易にわかりますが、こんな鳴き方はしていないのです。

今考えると、「これって沖縄の空手と同じじゃないのかな?」と思ったのです。

猫の鳴き声を「ニャ~ッ」と表した時点で、それは既に猫語ではなく日本語に変換されてしまったのです。猫語を使いたいのであれば、猫の鳴き声をそのまま感じ鳴くしかないのです。



そういえば、形ってよくできているなぁと、最近驚いています。
稽古していると、その目的や効果等、知れば知るほどわからなくなってくる。でも、それがいずれわかってくるけれど、また新たな疑問が湧いてくる。


しかし、近年作られた形やいわゆる創作形には、そういった奥深さがまったく感じられないのです。その点でも、時代が古くなるほど人々の感覚は強かったのではないかなどと思ったりしているうちにまた寝るのが遅くなってしまいました。

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