無駄話は集中力を欠く
2017年05月01日 (月) | 編集 |
久々の更新です。最近は、書きたいことは相変わらずたくさんあるのですが、パソコンの前に座ることが少なくなってしまい、更新が難しくなっています。 すみません。

さて、昨日私が主催するJKFan/Yoshida Cup in Aichi 2017が行われました。

北は埼玉、南は沖縄、そして今年も海外からフィリピンと韓国が参加して昨年よりも120名も参加者が増えたことは本当に喜ばしいことです。
大会決勝戦のもようは、後日you tubeにアップしますので、ご覧ください。

さて、当道場生の試合を観ていて、思うことがたくさんありました。優勝した選手の何名かは、技術ではなく精神的な成長で勝つことができたと思います。今までは自分の都合で組手をしていました。つまり、相手のことは全く考えず、攻めたい時に攻め、相手が強いとどう攻めようか考えているうちに先にポイントを取られてしまう。そんな子が、相手の動きに合わせて技を出せるようになった。これは、間違いなく精神的な成長の証です。
また、「絶対に勝つ!」という意気込みが全身に表れ、気迫で勝利した生徒もいました。

一方、思うような結果を出せなかった生徒は2種類いたように思います。一つは、現段階では結果はそれほど気にする必要はなく、この方向性で頑張ってゆけばいずれ結果が出る生徒です。もう一つは、普段の練習で言われたことをやろうとせず、今回もその注意されていることが原因で負けてしまった生徒です。

前者は、とにかくこれまでどおり頑張ってゆけば大丈夫です。しかし、後者は事態は深刻です。「こうしたら勝てるよ。」「これを気をつけないと負けるよ!」というアドバイスは一切念頭になく、ひたすら自己流で闘い、決まって同じパターンで負けている。
しかし、こういうタイプの生徒は指導の責任もあるので、私も今よりも工夫して指導することを考えなければいけません。

昨日、最も気になったのは、会場でべらべら知り合いを見つけてはおしゃべりをする。真剣に調整をしている選手たちの隣でゲラゲラ笑ってふざけている。コート脇に並び、今から始まるのにまだベラベラと話している。
まして、それが先輩だったら。もう後輩たちはボロボロになります。つまり、先輩が後輩の邪魔をしていることになるのです。

その生徒たちには、これまでも何度か注意したことがあります。勝ちたい生徒はそういう先輩には近づきません。黙々と自分の調整をしています。人の良い生徒は、そういう先輩につかまってしまい、逃げることができずいじられていました。結果は、言うまでもありません。先輩だけでなくつかまってしまった生徒も最悪でした。

面白いもので、上記に書いた人間的に成長して勝利した生徒は、過去は同様にベラベラとおしゃべりをしていた生徒たちでした。本気で勝ちたいと思った時に、無駄話が自然になくなりました。
ですから、年齢にかかわらず本気の生徒は自分で調整の仕方を心得ているが、本気でない生徒は必ず他人を巻き込んでしまうのです。

また、ある生徒が0-6でストレート負けをしました。負けたこと自体は問題ありません。問題は、1ポイントも取れず負けたことなのです。これが1‐6であれば私は褒めるつもりでいました。1-6はいずれ3-6になり、そして5-6になり、最後は6-5で勝つ可能性があるからです。しかし、何度も突きが極まっているのに審判の旗はピクリともしない。
気合が小さい、思い切り技を出していない、残心が足りない。だから、審判の心が動かないのです。組手競技は、拳が目標に届いたから得点ではありません。得点を与えるのは審判という他人です。審判の心が動かなければ旗は動きません。
ならば、どうすれば審判の心が動くのかを考えなければなりません。そして、実行しなければなりません。

審判の心が動かないということは、人間力が足りないのです。必死さが足りないのです。だから、何度も拳が届いているのに旗が動かないということは、たとえ試合時間が10分に伸びたとしても、得点は0のままなのです。

私は、1‐6の負けよりも、0‐1の負けの方が差が大きいと考えます。前者は5点の差、後者は1点の差ではありません。自分がゼロであれば、相手との差は無限大なのです。
普段の稽古で言われていることを忠実に実行する。それができれば勝負は何とかなるのです。


話は変わりますが、とても幸運なことに、今年も沖縄から伊波光忠先生が生徒さんを連れて大会に参加してくれました。伊波先生は、古武道の世界では沖縄はもとより、世界的に名の知れた第一人者です。その伊波先生の演武を生で観れるということは、それだけでこの大会に参加した価値があるというくらい凄いことだと思いました。

ひとつだけ、心配したことがあります。技というのは、凄ければ凄いほど、理解しがたいということです。つまり、見る人が見なければ、本当の凄さがわからないということです。棒先のスピード、予備動作なくサッと飛退く身の軽さ。これは理解できますが、その元となる身体の使い方は果たして何人が理解出ているかな?なんて心配して観ていました。

門下生の皆さんも伊波先生の前に演武してくれましたが、棒・ヌンチャクの振り方が、腰➡肩➡腕を伝って手から道具の先までが見事に連動している。当然身体をクネクネさせるわけですが、あのクネクネがないと真の威力は出ない。

感心を通り越して、感激、感動する演武でした。

古武道は良いですよ。空手には不可欠のものではないかと思います。形と組手は両輪だと言われますが、本当はそれに古武道を加えて、3輪ではないかと思います。


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伊波光忠先生の演武


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 WBC
2017年03月24日 (金) | 編集 |
WBCは、22日に準決勝戦が行われ、日本は惜しくもアメリカに敗退し、前回に続き準決勝で姿を消しました。

1次・2次予選と全勝で来た日本ですが、私は、敗戦した対アメリカ戦が最も内容の良かった試合だったと思いました。アメリカのほぼベストのチームを相手に真っ向から勝負して僅差の勝負に持ち込んだのですから立派です。

予選の時は、選手起用や継投策が失敗し、不安もあった小久保監督ですが、準決勝戦は継投策も代打もピタリと当たりました。

エラーが絡んで2点を失いましたが、ものすごいプレッシャーの中で闘っているのですから、これは私としては想定内のことでした。

最大の課題は、アメリカの2シームを投げる投手陣をどう打ち崩すかが最大の問題だったと思います。日本が放った4安打は、菊地、坂本、小林、内川で、クリーンアップはノーヒットでした。

ツーシームを打てていたのは、球を引きつけて打てる選手だと思いました。バットが少々遠回りする選手は手元の変化についていけないような印象を受けました。

菊地のホームラン、代打内川のヒットは、きれいに右に流し打ちでの結果です。

これで私が思い出したのは、イチロー選手がメジャーに移籍した1年目です。代名詞となった振り子打法を封印し、シーズンが始まる直前まで、イチロー選手は流し打ちばかりしていました。チームメイトは「彼は野球をバカにしているのか?」と思ったといいます。

手元で変化するメジャーの投手を打つには、ギリギリまで引き付けて打つことを徹底していたのでしょう。その後、引っ張るようになった時も、普通に引っ張るのではなく、小さくスウィングをしていました。

これを考えると、このチームにイチローがいればどんなに若い選手の参考になっただろうかと悔やまれます。

次回のWBCまでには、ツーシームを苦にすることなく打てるようになって、3大会ぶりの優勝を味わいたいですね。

野球の良いところは、素人もああだこうだと講釈を垂れることができることです。
日本チームの皆さん、お疲れさまでした。
 代償
2016年12月16日 (金) | 編集 |
少し話題が古くなってしまいましたが、ユーキャンの2016年新語・流行語大賞のトップ10に「保育園落ちた日本死ね」がランクインしたことで再び話題となりました。
なぜか受賞したのは山尾志桜里議員です。前原誠司議員なども「日本死ね」受賞おめとうございますと祝いの言葉を送ったようですね。
これに関して、一時期ネットでは識者たちがその賛否を書き込み大きな話題となりました。

賛成派の大方の意見は、「死ねという悲痛な叫びで待機児童問題がクローズアップされたのだから良いのではないか。」というものです。それに対して反対派は、「世間の注目を浴びれば良いのなら、ヘイトスピーチも良いということになる。」との意見で、双方ともに一理あるなと思っています。

ただし、現場で子供たちに直接接している私は個人的には、「ユーキャンの選考委員はとんでもないことをしてくれたな。」との気持ちが大きいです。山尾志桜里議員はじめ、民進党の議員の人たちに対しても同様の気持ちです。

なぜならば、流行語大賞にランクインしたことで、「死ね」という言葉が市民権を得てしまったからです。政治家が笑顔で「死ね」を受賞する。なんとも恐ろしい光景でした。

例えば、大人が死ねと言って肯定されるなら、子供はいくらでも他人に対し、「死ね」という言葉を使いますよ。それにより、傷つく子供たち(大人も)がどれほど増えるか、選考委員はその後の影響も考慮していただきたかったです。
今後「死ね!」「消えろ!」という言葉が、強者が弱者に対しこれまで以上に使われることは想像に難くありません。

それでも、選んだことに間違いはなかったというのであれば、今後「死ね!」と言われていじめられ自殺をした子供に対し、コメントは控えていただきたい。

話題は変わりますが、子供に観せたくない番組というのがあり、私が子供の頃は、「ドリフターズの8時だよ、全員集合!」などが上がっていました。最近ではロンブーが上位の常連です。
しかし、日本のくだらないバラエティ―番組よりも、今私が子供に観せたくない番組を挙げろと言われたら、迷わず「国会中継!」と答えます。「いいか、国会中継だけは絶対に観るなよ。NHKは禁止だぞ!」と。

特に蓮舫議員の安倍首相への揚げ足取りの質問などは、「他人に嫌われたい、他人を怒らせたいのなら蓮舫の口調をマネしなさい!」といえるほど酷いものです。今の言葉を借りれば、蓮舫さんは他人をディスるのが日本一うまいです。

普通の社会であれば通用しない。それを大人たちは反面教師として子供たちに教える義務があります。
国会ならば、正当な政策論議を聴きたいですね。
 勝負の結果は4種類
2016年11月29日 (火) | 編集 |
勝負は、その名のごとく勝ちか負けかです。しかし、指導者はもう少し細かく勝負を分類します。

勝ちにも次につながる勝ちとつながらない勝ちがある。負けも同様で次につながる負けとつながらない負けがあります。つまり、勝負は、4種類あるのです。さらに引き分けを入れれば6種類ですね。

次につながれば、勝っても負けても褒められます。次につながらなければ勝っても負けても叱られます。
優勝しても叱られることがあります。1回戦で負けても褒められることがあります。

いわゆる、目先の小さな勝利なのか、将来の大きな勝利なのか?指導者は今の結果ではなく、将来の展開までも含めた、点ではなく線で生徒を見ています。

その線は、現在から未来へと続くだけでなく、過去から現在まで伸び、そして未来まで続くものです。その日の試合内容だけではなく、試合の日まで費やした努力も当然評価に入っています。

選手も保護者も指導者も、勝てばうれしいし、負ければ悔しいです。でも、その感情を抑えてでも、褒めるべき時は褒めるべきであり、叱るべき時は𠮟るべきです。

 指導者の評価
2016年11月28日 (月) | 編集 |
急に成績が良くなってきたり、徐々に成績が落ち込んできたり、選手として空手をやっていると、こんなことはどこの道場でもあります。

指導者たちが集まると、「あの子は最近、○○ですね。」「ちょっと、○○だなぁ・・・」とやはり自分たちの生徒の話題が多くなります。指導者は、人が好きな人種なので、集まると自然に人の話になるのですね。

保護者は、勝てば良い、負ければダメと単純な評価をする傾向にありますが、指導者の見方は勝ってもダメな勝ち方、負けても良い負け方があり、勝敗が評価の高低に比例することはありません。

昨日の大会後も、高校の先生方が生徒のどこを見て評価するかを話しました。まず、挨拶ができない子は話になりません。残念ながら、何度言ってもできない子がいます。道場の保護者が「おはようございます」と言っても、親は「おはようございます」と返すのに、子供はまったく無表情で何も言わない。
大きな声で明るく、「おはようございます!」と誰にでも言えたら、誰でもうちに来てほしいと思うでしょう。

また、中学生で後輩たちの面倒をよく見る生徒は、やはりその行動が試合内容に出ます。気配りが習慣になっていますから、試合でも相手の動きをよく把握しているのです。

みんな勝ちたいのは、一緒です。でも、そんなに勝ちたいならば、勝つだけの努力と工夫ができているでしょうか?毎回同じ負け方をしている選手が、ただ必死に練習しても絶対に勝つことはできません。指導者は、どうすれば勝つことができるかを必ず細かに指導しています。なぜ負けたのかを教え、どうすれば次に勝てるのかを教えています。あとは選手がそれを理解してやるかやらないかです。
同じ負け方をしている選手は、どこまでも自分流に徹し何年間も同じ負けを繰り返しています。見かけはどんなに速く動いて素晴らしい技を持っていても、指導者から見るとそういう選手には何の魅力も感じません。

昨日、私はある選手の試合を観ていて、大きな魅力を感じました。遠くで観ていたので、どこの道場かも誰かもわかりませんでした。どこに魅力を感じたのかというと、「やめ!」がかかった後、開始線に戻る「間」がとても良かったのです。指導者はそれだけで選手の潜在能力がわかります。その選手は、1-0でリードしていましたが1-1に追いつかれました。すると、すかさず攻めてまたすぐに2‐1とリードし、その試合に勝ちました。
追いつかれたらまたすぐに引き離す。この素晴らしい内容が、その前の「やめ!」の後に開始線の戻り方に出ていたのです。結果論で言っているわけではありません。その時にある方にそれを伝えていましたから、「良い戻り方をしていますよ。ああいう選手は物事に動じない性格です。」といった直後の点の取り合いでした。

良い指導者ほど、試合の時の技や動きではなく、人間性を見ているのです。だから、日々の挨拶や返事ができない生徒は、そういう些細なところでぼろを出すし、それができている生徒は、逆に試合の結果にかかわらず高評価を受けるのです。

また、子供の本質は親の知らないところにあります。親が来ると急に良い子になる場合もあれば、親が来ると急に甘え始めてダメになる子もいます。
まさか、自分の子が挨拶もできない子だとか、雰囲気を乱している子だとは思っていないでしょう。

私の道場は、親が何でもかんでも面倒を見ることを禁じています。先輩が後輩の面倒を見なければなりません。どうも最近はまったくそれができていないようです。
面倒を見れない先輩は、本戦が同点の時の判定で、試合自体は押しているにも関わらず、判定負けになることが驚くほど多いのです。
周囲に気を配る余裕のなさを審判に見られているのです。自分本位の戦い方、いわゆる独り相撲を取っている姿が審判にマイナスイメージを与えているのです。
審判をやってみればわかります。攻めた数が多いから判定勝ちではないのです。前に出ていたから判定勝ちではないのです。心の余裕はどちらにあったのか?しっかりと相手に合わせて技を出していたのか?判定とは、人間性の勝負でもあるのです。

10月のWKF世界大会では、日本代表選手たちは判定になるとことごとく勝利していました。金メダルを獲得した植草選手など、相手の方が前に出ていたし、手数も多かったのですが、判定勝ちをしました。心の余裕があったからです。攻められていたのではなく攻めさせていたからです。

では、判定勝ちをしたければ何に気をつければ良いのか?
同じ道場の生徒が試合をしてるのに、まったく応援せず、試合を観てもいない生徒。自分の試合が終わったら生徒たちと一緒に行動せず、親の隣にずっと座っている生徒。自分の試合が終わったら、席にさっさと戻り、携帯をずっといじっている生徒。
先輩にも関わらず、後輩の面倒を見ない生徒。
こういうところが、本当に不思議なのですが、判定の結果に出てしまうのです。

ですから、再三にわたりそこを指摘しているのですが、やはりできる子は初めからできているができない子はまったくできない。自分を変えようとしないからです。
昨日も保護者に言いました。「努力をしない。自分のやり方を改めない。でも、日本一になりたいです。」というのは、「週休5日ほしいです。上司の指示には従いたくありません。でも、月給は100万円下さい。」と言っているのと同じです。

無理なことを平気で期待しているのです。

誰でも、頂点を目指す権利はあるし、可能性も誰にでもあります。でも、行動をしない人間にはその権利もなければ可能性もありません。
親は、その点だけしっかりと教育してもらえば良いのではないでしょうか?技術は後からいつでも向上させることはできます。でも、挨拶や返事、他者への気配りは長い時間をかけて習慣づけるしかないのです。

指導者は、大会中は審判や役員を務めるので、いちいち生徒の面倒を見ることはできません。だから、先輩がしっかりしているかどうかが良い道場になるかどうか、大きな割合を占めているのです。