fc2ブログ
 些細なところで良くわかる
2013年04月07日 (日) | 編集 |
子供たちと遠征や合宿をしていると、本当に些細なところでその子の器というか、将来の可能性が分かることがあります。

例えば、車の中で寝ている姿です。これから出稽古や試合に行くのに車で移動する時、子供が車の中でどのように過ごすか、これは本性が良く出て面白いものです。
やはり、本番で実力が発揮できる者は、車の中で既に集中が始まっています。寝るにしても、大きな口を開けて股を広げて寝ることはしません。

本番で力を発揮できない生徒を見ていると、車の中の寝姿に共通点があります。緊張感が足りないのです。これは、大事な大会前のしぐさや態度でも同様で、ほんの些細なことでその選手の違いが良く分かります。
本番に強い選手は、試合時間が近づくにつれて徐々に集中力が増してくるのがわかります。選手によっては、それが不可解な単独行動になったり、わがままになったりなんてこともありますが、とにかく、勝ちたいという意思が良く伝わってきます。

いつも本番になると力を発揮できない選手は、逆に試合時間が近づいても、集中が増さず、行動も極めて普通です。



子供の器の判断は、突然インスピレーションのように湧いてくる時もあれば、私なりの独断と偏見の基準を設定して試す時もあります。
例えば、道場に寝泊まりしていて、「ここまでには起きてほしい」という時間を私は勝手に設定します。子供たちに起床時間は伝えません。つまり、起床に関しては自由として子供たちの様子を見ると、適度な緊張感を持っているものと、ダレているものでは起床時間が違うのです。
それも、ほんの10分ほどなのですが、私は「やっぱりな」と思ってしまう。

例えば、本番で必ず実力を発揮できる生徒は8時10分に起きるのが、本番に弱い生徒は8時20分になる。逆にそれよりも早く、7時30分に起きてしまうのもよろしくない。

というのも、

「前日の子供たちの疲れ具合や何時ごろ寝たのかを予め知っておき、私なりに朝何時から練習が始まるので、緊張感が伴っていればここまでには洗面や着替えの用意ができているだろう。それをするには何時に起きていなければ・・・」

なんて計算を私は頭の中でしているのです。これは、早ければ早いほど良いという類いのものではありません。あまり用意が早すぎても練習が始まった時には緊張感が持たず疲れてしまいます。

だから、この10分単位の時間でその子の器を計っているのです。

センスと言っいいのかどうかわかりませんが、ピタリと期待通りに起きて用意をする子供は、ちゃんと今日の行動と明日の予定を頭に入れて、逆算して起床時間を決め、計算通りに行動しているのです。


最近の子は、家での緊張感が足りないから、大事な場面で実力が発揮できない者が多いのではないかと思います。普段緊張していないから大事な場面でかえって萎縮してしまう。
大会の日に寝坊しても親が優しく起こしてくれますし、何をしなくても食卓には朝食が並んでいます。大会会場までは親の車で移動するので、ずっと寝たままで会場に着いてしまう。こんな選手が大事な場面で勝てるはずがありません。



それと、子供のそういった態度でセンスが最もわかるのは挨拶なんです。遠くから互いを確認し近づいてくる。先生に最初に「おはよう」と言われ、あとから「あっ、おはようございます」という子は、総じて本番に弱いです。緊張感が足りない証拠ですから。
だからといって、相手が遠くにいるうちに挨拶をしたらいけない。互いの間合いに入った時にいち早く言えるかどうか、これがポイントなのです。

ですから、自分の生徒だけでなく、全国クラスの大会で他道場の生徒さんに挨拶される時も、その子の間が良いかどうかを知るのが楽しみになっています。


これを考えると、子供が良い選手になれるかどうかは家庭環境に左右される場合が多いと感じますが、じゃあ子供の頃はだらしないと一生ダメなのか、家庭環境だけがその子の将来を決めるのかというとそうではありません。

やはり道場、高校や大学に入ってからの指導者次第でも大きく変わることがあります。



私は、仕事が空手になっちゃっていますから、頻繁に高校や大学にも顔を出させていただいていますが、「えっ!あのだらしないどうしようもなかったやつが随分立派になったものだなぁ・・・」と感心することがよくあります。

環境が変わって、その子の潜在能力がグンと引っ張り出されたのでしょう。面白いもので、人間は人格が向上すると人相が変わります。眼に力がなく口を開けてアホ面していたやつが、生活態度を改めるとキリッとしまった顔になるのです。

他の道場生でも、立派になった生徒を見ると、無性にうれしくなります。
 思いはうつる
2013年04月02日 (火) | 編集 |
子供は、常に頑張り続けるとは限りません。ふがいない試合をした時などは、指導者も親も選手を叱りたくなります。

実際、私も気持ちの入らない負け方をした時は、叱ります。それも、相当きつい言葉を使ってしまう時が多いです。

俗に、「負けて一番悔しいのは選手本人なのだから、叱ることは良くない」という言い方もされます。しかし、一番悔しい時だからこそ、きつく言った方が良い場合もあります。

このあたりは、選手の心理状況を見ながら判断を下さないといけませんね。私が最も気を遣うのは、家庭環境です。親がガミガミ言うタイプだと、指導者もガミガミ言ってしまうと子供の逃げ場がなくなります。また、夫婦二人ともきついことをいうタイプか、片方はなだめ役になるか、それとも二人とも優しく言うタイプか?

親がガミガミ言いすぎるならば、指導者はガミガミ言うわけにはいきません。親が優しすぎて子供がダレている場合は、指導者は厳しく接しなければいけないでしょう。


これを考えると、生徒一人ひとりが状況が異なるわけですから、同じように誉め、同じように叱ることはできなくなってしまいます。だから、指導者はこういう一人一人の状況に応じた指導を差別と思われないよう、注意すべきだと思います。私なども、随分とそのあたりのところを誤解されたことがありますね。
やはり、多くの人がそうであるように、期待が大きければ大きいほど、その選手には要求が厳しくなりますから。

差別はダメですが、区別はしないと生徒一人一人を最大限に伸ばすことはできません。



さて、前置きはこのくらいにして、今日の本題に入ります。親が子供にどう接するかということは大事ですが、たとえ言葉に出さなくても、親の思いが子供に伝わることがあると思うようになりました。

どういうことかというと、親が「うちの子はダメかもしれない」と思うと、言葉に出さなくても子供は、「自分はダメかもしれない」と思ってしまうものです。

親が、「今はダメかもしれないが、絶対にうちの子は何とかなる!」と思っていると、子供は不思議に頑張るのです。もちろん、言葉に出すのは大切ですが、何も言わなくても親の思いも子供に影響していることが不思議でなりません。

過保護や子供の過大評価はダメですが、子供を信じ続けることは大切だと思います。子供がダメになる時は、親が先に諦めてしまうことが多いなと、30年以上の指導経験で感じます。

だからといって、親が信じ続けても子供が勝てるかどうかはわかりません。というよりも、短期間では無駄に終わることの方が多いでしょうね。
世の中、そんなに甘いものではありませんから、どんなに親が信じて応援しても、ダメなときはダメだと思います。

ところが長い期間でみれば、親がいつも子供の可能性を信じて育て続けているとそうでないのとは雲泥の差が出てくるのではないかと思います。

親はあくまでも強気でポジティヴに考えなければ、育つ子供も育たないということでしょうか。

もしかしたら、今は1回戦負けでも、10年後には全日本王者になっているかもしれません。選手としてはダメかもしれないが、指導者になったとたん王者を次々に育てるかもしれません。空手はダメでも、社会に出て大成功をおさめ社会に貢献しているかもしれません。


私もこの歳になって思うのですが、学校の同級生の今の状況を見ると、当時では絶対に考えられなかったほど出世している者が結構多いのです。「あのアホが・・・」とか、「あのビビりが・・・何で?」なんてやつが山ほどいるのです。
 勝たせたければ・・・
2013年01月15日 (火) | 編集 |
この3連休中は、道場の鏡開きと合宿でした。うちの指導員と生徒の事についていろいろと話していました。

「大事な時に実力を出せる生徒と、今一歩のところで及ばない生徒は、決して肉体的素質や技術ではない。私生活を見ているとよく分かる」

ということです。

例えば、後輩の面倒をよくみる生徒は気配りができているということ。挨拶がちゃんとできるということも、気配りが日常化しているからそつなくできるのです。

対して、期待されながら残念な結果になる生徒は、やはり普段の緊張感がないのでだらしない。合宿中、2名の生徒を呼び止め叱りました。
私と指導員が練習場入口のところに立っていたのですが、生徒たちが入ってくる時に我々に挨拶をして入ってきました。

ところが、2名の生徒は我々の前を通り過ぎながら、顔も見ないで、「おはようございます」とボソボソと言って通り過ぎました。

私は、2人を呼び止め、

「挨拶はその人の顔を見て、立ち止まってするものだ。通り過ぎながら顔も見ないでするな!」

と言うと、一人は私の斜め前に来て挨拶をし直しました。私は、

「挨拶は人の斜め前ではなく、正面に立ってしなさい!」

とまた叱った。
もう一人は、背中を丸めて手をポケットに入れてまた聞こえないような小さな声でボソボソと挨拶したので、

「挨拶をする時はポケットに手を入れないで、姿勢を正してしなさい!」

と、何度も叱りました。

指導員は、

「あの顔を見ると、たぶんおっしゃっていることを彼らは納得していないと思います。」

と言ったので、私も

「はい、なんでいつも俺たちだけ言われるの?と思っている顔でしょう。あいつらが一番だらしないし、言っても言っても直そうとしないから言われているだけです。今ここを通った生徒たちの挨拶だけを見てもそれがわかるでしょう。出来ている子とできていない子、空手の上達している子としていない子が比例しているでしょう。でも、肝心の親がそれを分かっていないから、あの子たちは何度言われても直らないんです。」

と、言いました。

私は指導員に、

「技術的にいくら良い指導をしても、ああいうだらしない子は上達しないし、技だけを身に付けてもプレッシャーのかかった場面で踏ん張りが効かないんです。これは、道場だけで指導してもダメで、やはり家庭環境が大事なんです。」

と言っているそばから、今度は普段からまったく気配りがないとしばしば我々の話題に出ている子が、我々のすぐ前を気づかずに通り過ぎました。

そういう子は、必ず期待されながら大事なところでポカをします。99%勝てる試合を追いつかれ逆転されます。この気づかなかった子は、ずっとそれを繰り返しています。だから、どんなに合宿に出ても、良い練習をしても、周囲への配慮を学ばなければこの子は、一生ポカの連続でしょう。

私は、本気で道場での挨拶を一定期間やめてみようかと思っています。

「一切先生や知っている人に対し、挨拶するな!挨拶をしたらペナルティだ!!」

と、徹底してやってみたら子供たちはどう思うかと考えています。「挨拶をちゃんとしなさい」と言ってもしないのであれば、逆療法で「絶対に挨拶するな!」と言ってみて、生徒の様子を観察してみると面白いかもしれません。


家でしっかりと躾けておかないと、外に出た時に子供が恥をかきます。大人になればなるほど恥をかきます。

私が叱った二人のうちの一人は、両親が迎え来て最後の挨拶の時もポケットに手を入れてボソボソと言ったので、今度は両親の前で、

「挨拶の時はポケットから手を出しなさいと何度言えば分かるかな?」

と、きつく言いました。それを親はわかってほしいと思います。
なぜ、親の前でハッキリと叱るのか?それは家でそれを指導してほしいからです。


何度言っても直さない。それは、家でそれで許し、学校では先生は何も言わず、道場だけで言われているからです。
道場では、「お願いします」「ありがとうございました」と、みんなが言っているから言っているだけ。それが習慣となっていないから、心からそう思っていないから、一人になると何もできないのです。

以前、私はレベルでは県のトップで、何度も優勝している子に対し、他人とのコミュニケーションが取れないために、今ひとつ上に行けないのだと判断し、しばらく初心者の指導に回したことがありますが、親は

「なんで月謝を払っているのに先生は教えてくれず、他の子を指導しなきゃいけないの!」

と、立腹していたと他の親から聞きました。私は、伝えてくれた親に、

「彼を勝たせたいから私は指導せず、彼を後輩の指導に回したんです。親は教われば教わるほど勝てる、良い先生に指導を受ければ勝てると思っているかもしれませんがそうじゃないと思います。私の実力では気の回らない子を勝たせることはできません。」

と、言いました。


で、反対に調子が悪いけれど何とか勝ってしまう。選考会でもギリギリで引っかかる。負けても自分なりに実力は出している。こんな生徒は、周囲への気配りがあります。挨拶がちゃんとできる。後輩の面倒が見れる。大きな声で指示ができる。こんな子は、やはり結果が出ています。

私も、

「ほら、彼はボ~ッとしているようで、周囲に気を配って何も言わなくても整列をさせているでしょう。」
「小さな子に寄って行って仲間に入れてあげているでしょう。」
「だから、あの子たちは勝てているんです。実力を見たら、○○も▲▲も変わりません。でも、○○は今一歩のところで負けてしまう。▲▲は安定して上位に入っている。それは、練習ではなく家庭環境に差があるからだと思います。」

と、言っています。

つまり、気配りという緊張感がないから、いざ緊張する場面になると集中力が低下し、身体もガチガチになる。だから、あと一歩のとこで勝てない。

特に家での緊張感がない子はダメです。緊張とはなんでも厳しくしなさいということではなく、課題を与えてそれを必ずさせる。約束事は絶対に守らせるといった類いです。約束が守れなければペナルティ、守れればご褒美、そんな習慣があれば、子供は空手でも勝てると思います。

 大会会場に・・・
2012年11月05日 (月) | 編集 |
最近、大会会場に、ついこの間まで選手だった人が結婚し、小さな子供を連れて後輩の応援に駆けつける姿がめだって来たなと感じます。

これって、とても良い事だと思います。子供にとっては、空手の試合など見ても仕方がないですから、あまり席にじっとさせておかず、親もいっしょに歩き回っていれば良いと思います。

大切なのは、親の友人や先輩後輩と多く知り合いになり、「空手の人って優しいな、良い人達だな」と刷り込ませればこっちのもの。年齢が来ればすんなりと空手を始めることが出来るのではないかと思います。


ただし、強制的に空手の大会にいつも連れてくると逆効果になります。
そこは、うまく大会の帰りにどこかに寄るとかして、そっちを楽しみに会場に来させればいいと思います。

私は、海外のコーチ時代に、背中に二女を背負い、胸に長男を抱えて練習に行っていました。街を歩いているとみんなが私たちを見てニコニコ笑っている。
練習会場に行くと複数のクラスがあり、私が指導中には次のクラスの生徒が面倒をみてくれる。クラスが変わると終わったばかりの生徒が子供たちの相手をしてくれていました。


また、海外の人達はファミリーの結びつきが深い。海外から日本に指導者が来ると、今でも私の子供たちの事を覚えてくれていて、子供たちにお土産をくれます。

海外は、親の仕事を継ぐことが日本よりも多いと感じます。空手も同じで、空手の先生の子供は多くが親の団体を引き継いで空手の先生になります。

このあたりは、空手を生活の糧として成り立っており、社会的地位も高く周囲から尊敬されている人が多い。そんな親の背中を見て育てば、自分も父親のようになりたいと素直に思うことでしょう。


とにかく、結婚して空手を辞めてしまった人も、子供と一緒に会場に足を運んでほしいと思います。
 障害ではなく、個性・才能・希望
2012年07月25日 (水) | 編集 |
空手を指導していると、時折発達障害・多動性障害と思われる子がいます。注意力が散漫でジッとしていられない。次々に質問をしてくるので、こちらが答えると聞いておらず、もう他のことをしゃべっている。何度言っても言うことを聞かない。
一つ一つを挙げて行けばここには書ききれない。空手も覚えようとしないので、全然上達しない。

そんな子がいますが、これは今に始まった事ではありません。昔からこのタイプの子供は存在しました。
ただ、学校で教師に厳しく叱られ、級友に怒鳴られているうちに症状が緩和し、大人になる頃にはほとんど目立たなくことが多かったのです。

続に、AD/HDと言われるもので、その中でもさらに細分化していくつかに分類されているようです。

そちらに関してはネットで検索すればいくらでも出てくるので、個々に調べていただくとして、そのような子が入門して来たら、どうするかという点です。


私の見解は、「指導者や保護者がそういう傾向があるということを把握していれば良く、別に特別扱いをする必要もない。」と思います。

アメリカではこの方面の研究が発達し、症状を緩和する治療も随分と行われているようですが、残念ながら日本では「あの子、おかしい」とのレッテルを貼られ、変わった子と思われるだけのようです。


でも、こういう症状の子って、だいたいにおいて知能が高いんですよ。他人ができることはできないのですが、他人ができないことが出来たり、知っていたりする。

みんなが覚えることは覚えられないが、みんなが覚えられなかったことを覚えることができる。時折、私はそういう子の意見にハッとさせられることがあります。
私の言動で、誰も矛盾に気づかない時、突然「せんせ~!さっき先生は僕たちにこうするように言ったのに、なんで自分では違うことやってんの~?」なんて質問がいきなり飛んでくるのです。

ホント、他人が絶対に気づかないことを当たり前のように気づいていたりするんです。



だから、決してこのような子は、発達障害ではないと思うのです。発育の仕方と度合いが、他の事は大きく違っているだけで、10年後には東大で主席を取っているかもしれず、下手をすればノーベル賞を受賞しているかもしれないのですよ。

これは冗談ではないのです。

AD/HDと思わる偉人には次のような人たちがいます。

政治家    :ジョン・F・ケネディ、ビル・クリントン、ウィンストンチャーチル
武将     :源義経、織田信長、坂本龍馬
企業家    :ビルゲイツ、スティーヴ・ジョブス、ウォルト・ディズニー
学者・発明家 :レオナルド・ダ・ヴィンチ、トーマス・エジソン、アルバートアインシュタイン、

いやいや、他にもここに書ききれないほどの偉人、有名人が幼少時、この症状を抱えていたのです。みんな世界の歴史を、人類の文明・文化を変えた人達ばかりですよ!

では、AD/HDの人間は、皆偉人かといえば、そうではありませんが・・・。

私も、子供の頃そういう傾向があり、授業中にジッとしているとイライラし、高校3年生まで廊下に立たされていました。

自分自身がそうだったこともあり、今もAD/HDの傾向のある子を見ると他人とは思えなくなるのです。
そういう傾向の子でも、今の学校では先生が何もせず、保護者がそういう症状を理解できずに、きつく叱ってしまう場合が多いのです。
こういう傾向の子は、叱れば叱るほど悪い方向に向かっていきます。できないものはできないのですから、他人と同じことを要求してはいけないのです。

特に最も身近にいる親がこれを理解してやらないと、子供は不安になり、ますます症状がエスカレートしてゆきます。少々の迷惑は、親が謝る覚悟でいてほしいのです。

空手だって、上達には時間がかかります。そこを親が我慢して道場に連れて来てくれるかが大事なんです。「うちの子はやる気がないし、友達に迷惑をかけるだけなので・・・」と、親が諦めてしまう場合が多い。

そうじゃないんです。指導者がそれを分かっていて、迷惑をかけられても良いと思っているのであれば、親は頑張って道場に来させ、指導者に任せてほしいのです。

心配なのは、海外では今でも大企業家や偉大な政治家、科学者でAD/HDの傾向のある人が書ききれないほど多く存在するのですが、日本ではあまり聞かないのです。
せっかく、世界に影響を及ぼすほどの才能を持っているのに、無理やり他人と同じことをさせようとして、凡人以下に潰してしまう土壌があるのかと心配です。

このブログを始めた頃に書きましたが、空手界でもどこの世界でも、

「凡人の常識は天才の非常識、天才の常識は凡人の非常識」です。

空手なんか覚えなくてもいいじゃないですか。空手を覚えなくても飯は食っていけます。初心者の形をひとつ覚えるのに2年かかってもいいじゃないですか。もしかしたら、他人が一生かかってもできないことを一瞬のうちにやり遂げてしまう人間になるかもしれないのですよ。

AD/HDというのは、障害ではなく個性なんです。いや、才能なんです。それもとてつもない才能ですよ。だから、空手なんかできなくてもいいんです。
いや、スポ-ツ界でもマイケル・ジョーダンやマジック・ジョンソン等もAD/HDでしたから、10年後には世界5連覇なんていう偉大な空手家になっているかもしれません。

だから、AD/HDは希望だと思えば良いんです。